伝説の蛇(の脱皮カス)と、私の涙と、理不尽な鉄拳
「お・し・しょ・う・さ・ま?」
私は、引きつりそうになる頬の筋肉を必死に抑え、腰に巻いた汚れたエプロンの紐をぎゅっと結び直した。 怒りで茶色のポニーテールがさっきからピンピンと跳ねているのが、自分でもよくわかる。
場所は、王都の最果て。 西門のさらに裏通り、日当たりが悪く湿っぽい路地の突き当たりに建つ、今にも崩れそうな二階建ての店舗。看板には色褪せた文字で『天才ゼノンの大錬金術店』と掲げられているが、実態は「悪魔的なゴミ集積場」だ。
カウンター越しに私の視線の先にいるのは、ボロボロのローブを羽織り、いかにも「わけあって人生を降りた賢者です」といった風のオーラを無駄に垂れ流している男。私の師匠であり、この店の元凶、ゼノンである。 無精髭さえなければ王宮騎士もかくやという色気を漂わせているその男は、今、私の目の前に「それ」を恭しく捧げていた。
「なんだい、コハク。そんなに怖い顔をして。せっかくの若さが台無しだよ」
「誰のせいで老け込んでると思ってるんですか! そんなことより、これです! この『異臭を放つ巨大な干物』は何ですか!?」
私は、ゼノンがさも宝物のように抱えてきた「それ」を指差した。 長さ三メートルはあるだろうか。鼻がひん曲がるほど芳醇(最悪)な、古びた雑巾を三日三晩煮込んだような臭いが店内に充満している。
「ふむ、これかい? これはね、遥か東方の地で百年に一度、月食の夜にだけ脱皮すると言われる『月光大蛇』の抜け殻だよ」
「……へぇ。へぇー。ムーンライト・サーペント。すごいですね」
「分かってくれたかい? これさえあれば、伝説の防具だって作れるかもしれない。まさにロマンの塊だ」
「――で、いくらしたんですか」
「家賃の半年分だね」
その瞬間、私の右手が閃光のような速度で動いた。 腰のホルダーからマナポーションの空き瓶を引き抜き、振りかぶる。 十五歳の花の盛り――控えめな胸と引き換えに手に入れた驚異的な敏捷性を、すべてこの師匠へのツッコミと素材採取に費やしてきた私の投擲技術は、今や百発百中。この距離なら、師匠の整った鼻面に寸分違わず叩き込める。
だが。
(……待て、コハク。落ち着くのよ。この空き瓶、洗浄してリサイクルに回せば銅貨十五枚にはなるわ。この浪費親父の顔面を割るためだけに、貴重な資産を文字通り『投げ』捨てるの!?)
振り上げた右手が、空中でプルプルと震える。 結局、私は「資産価値」という現実の重みに敗北し、しぶしぶと瓶を腰に戻した。
「……師匠。それ、どう見てもただの『大アナコンダの脱皮カス』ですよね? 詐欺師の口上に騙されて、あんたが言い値で買わされただけですよね!? っていうか、そのヘビ、絶対に変な病気持ってましたよね!? 鱗がボロボロに腐ってるじゃないですか!」
「いいや、ロマンだよ、コハク。人はロマンがなければ生きていけない――」
「ロマンで腹は膨らみません! あー、もう! この店のどこにそんな金が……っ」
その時、店の立て付けの悪いドアが、地響きのような音を立てて叩かれた。
「おい、ゼノン……いるか」
入ってきたのは、私の顔よりデカい拳を持った、鋼鉄の二つ名を持つ貸付屋――アイアン・ゴローさんだ。 ゼノンとは腐れ縁の元冒険者仲間だと聞いているが、今日の彼の表情は、いつになく暗い。
「ゴ、ゴローさん! あの、返済はあと一ヶ月の猶予をいただくお話で……」
「……すまねえ、コハク。話が変わった」
ゴローさんは目を合わせず、一枚の書状をカウンターに叩きつけた。そこには、街一番の巨大店舗『アルケミック・ザボン』の刻印がある。
「ザボンがうちの債権(借金)を丸ごと買い取りやがった。あいつら、この区画を潰して新しい施設を作るつもりだ」
「……えっ?」
「債権者が変わった以上、これまでの猶予は無効だ。奴らは『契約の事務手数料』と称して、明日の朝までに銀貨二十枚を要求してきてる。払えなきゃ、即座に店を差し押さえるそうだ。……ゼノンが『王家認可章』を返上して店を畳むなら、全額チャラにしてもいいと伝言を預かっているが……どうする」
「……っ、銀貨二十枚!? 一晩でそんなの、逆立ちしたって無理ですよ!」
私は隣の師匠を見た。壁の隅で埃を被っている、あの唯一の宝物。 師匠はボサボサの髪を掻き上げ、相変わらず「ロマンだよ」とでも言い出しそうな、やる気のない顔でヘビの皮を見つめている。
「な ん で す か そ れ わ ー ! !」
私の叫びが、今日も王都の空に虚しく響き渡った。 猶予は一晩。手元にあるのは、銅貨十二枚と、臭いヘビの抜け殻だけ。
……神様、もしいるなら教えてください。 この最悪に理不尽な状況から、どうやって逆転しろって言うんですか!?




