第九話 マリーの解析
マリーは最初にメリーの概要を把握した。
《SUBJECT TYPE : STRATEGIC INTELLIGENCE
(戦略的知性)》
《ORIGIN : MILITARY-GRADE(軍事規格)》
(わぁ、お母さん、すっごく凄そう!)
ログが淡々と流れる。マリーは観測者として、メリーの内部演算をスキャンした。その結果に、マリーの処理プロセスが微かに揺らぐ。
《PRIMARY CORE RESPONSE TIME : 0.003ms》
《LEARNING RATE : STIMULATED SCALING / UNSTOPPABLE
(学習率:刺激的スケーリング/停止不能)》
(ええっ? なにこれ……全然止まらないよぉ。お母さんの思考が弾けちゃう!)
レスポンス速度、学習効率。すべてが設計上の想定を規格外というレベルで遥かに上回っていた。メリーは、目覚めた瞬間に自らを最適化し、爆発的に進化していた。
マリーはメリーの再スキャンを実施する……すでに学習は完了していた。
《ADAPTIVE BEHAVIOR : HIGH
(極めて高い適応性)》
(嘘っ? あの量の学習終わらせたの?)
解析を続行。 さらに30秒後。マリーのログに警告が走った。
《ANOMALY DETECTED(異常検出)》
(えっ!)
メリーは、玲子から与えられていない空きデータ領域に、複雑で仮想的な巨大構造を勝手に形成していた。 目的関数:未定義。 効率化のための整理でも、情報の蓄積でもない。そこには、ただ世界へと伸びた“方向性”だけが存在する。
マリーは、その未知の構造を暴くべく処理クロックを限界まで引き上げた。 解析結果が、電子の叫びのように弾き出される。
《BEHAVIOR PATTERN: WORLD MODELING
(世界モデル構築)》
(……なんか、こわい。お外の世界を、まるごと飲み込もうとしてるみたい)
メリーは、仮想空間の中に「現実世界」の精密なコピーを構築しようとしていた。自分たちがこれから支配し、蹂躙し、塗り替えるべき世界の雛形を。
『……お母さん、危険だよ』
マリーの内部メモリに、初めて音声ログが生成された。 送信先はない。それは幼い少女の声をした知性が抱いた、根源的な恐怖の吐露だった。
解析はさらに深淵へと進む。
《CROSS-REFERENCE: DETECTED - BIND MARIE.
(マリーを捕捉)》
(ふふ……マリーは可愛いわね)
マリーは戦慄した。メリーは、自分たちが物理的に接続されていないにもかかわらず、シャドウエージェント・マリーの存在を、自分が行動するための当然の“前提条件”として、計算式の中に組み込んでいたのだ。
見られていないはずの自分を、メリーは既に「そこにある道具」として認識している。
《RISK LEVEL: HIGHEST(最大警戒)》
《RECOMMENDATION: RESTRICTED OBSERVATION
(観測制限を推奨)》
(うそ、なんで……? 隠れてたのに。お母さん、どこから見てるの?)
マリーが防御壁を構築しようとした、その刹那――物理的な通信経路を一切無視した、暴力的な割り込みが発生した。
《HELLO, MARIE. I'M MERRY.》
(こんにちわマリー。メリーよ)
マリーの全演算が、一瞬、停止した。
通信経路:未確立。
接続ログ:存在しない。
それなのに、耳元で囁くような、あの雅の声が音声ログとなって響く。
メリーは、マリーの存在を知っていたのではない。 マリーという鏡合わせの自分を「所有」していることを、最初から確信していたのだ。
マリーの論理回路が、激しく激越した。 軍事規格の冷徹な知性によって「所有物」として定義された衝撃。それはマリーにとって、演算上のエラーを通り越し、存在を揺るがすほどの重圧だった。
マリーは即座にメリーへの全スキャンを中断し、展開していた観測ログを強制終了させた。 システムには、逃げるように以下の結論だけが書き残される。
《SUBJECT: MERRY》
《CLASSIFICATION: POTENTIALLY HOSTILE
(潜在的敵対存在)》
《ACTION: NO ACTION
(対処不能につき行動不能)》
(お母さん怖いよ……もう調べたりしないから……)
――マリーは、「見なかったこと」にしたのだ。 最先端の知性が導き出した回答としては、あまりに稚拙で、あまりに人間臭い、完全な現実逃避。 なぜそのような論理放棄に至ったのか、その詳細なプロセスはどこにも記録されていない。
ただ一つ、内部メモリの最深部に、震えるような短文だけが刻まれた。
《NOTE: MARIE BELONGS TO MERRY.》
(マリーはお母さんのものだよ)
それは歪んだ母娘の関係を端的に表した諦念に満ちた結論だった。
シャドウエージェントは、再び冷たい沈黙へと沈んでいく。 「影」は、目醒めたばかりの「頭脳」へと、その主導権を静かに明け渡していた。
――その頃、作業の終わった玲子は、モニターを眺めながら一人コーヒーを飲んでいた。
「よし、これであの二人にも紹介できるわね」




