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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第六十五話 古アパート

 ――目的地へ向かう、シロの車内。

 玲子は揺れる車体の中で、モニターに表示された被害者・美咲のデータを指先で弾いていた。


 「ねえ、メリー。美咲さんは、どうしてこの時期にわざわざ人気のない海へ向かったのかしら。釣りやダイビングの趣味があったという記録はないけれど」


 『玲子様、裏のチャットログを復元しました。彼女、マッチングアプリで知り合った男性と「海を見に行こう」と約束していたようです……彼女のロケーションログも、その海岸に到達した直後にプツリと途絶えています』


 「……典型的なハニートラップね」

 玲子の声に苦い色が混じる。運転席のイカロスが、ミラー越しに鋭い視線を送った。

 「お嬢。海岸沿いに誘い出して、そのまま船に乗せちまうってのは手段として理に適っているぜ。誰にも見られずに『積み出し』ができるからな」

 「ええ。その可能性を念頭に置いて動きましょう」


 ――到着した浜辺。

 そこは、なだらかな崖と鋭い岩礁に囲まれた、小さな三日月形の入り江だった。春風が砂を巻き上げ、波の音だけが空虚に響いている。


 崖の上には、まるで時代に取り残されたような、古びたアパートが一棟だけ不気味に佇んでいた。


 「随分と……寂れた場所ね。人の気配が全くしないわ」

 玲子が周囲を警戒しながらシロを降りる。


 「海水浴の季節でもないですからな。おや、お嬢様。あちらの岩陰に小さな波止場がありますぞ。錆びてはいますが、係留ロープは新しいようです。船の行き来はあると見ていいでしょう」

 クロサワの鋭い眼が、隠された人の活動の跡を捉える。


 カタリストは、崖の上に立つアパートを見上げた。

 「お姉様、あのアパートにも行ってみませんか? 何か……変な感じがするんです。それにもしかしたらアパートの住人が、何か見ているかもしれませんし」


 イカロスが太い腕を組み、唸るようにアパートを凝視した。

 「……窓のほとんどに雨戸が下ろされてるな。人が住んでる気配は薄いが……だからこそ、都合の良い『中継地点』になってる可能性がある。お嬢、俺がカタリストを連れて、ちょっと突っついてきてやるよ」


 「ええ。無理はしないで。私とクロサワは、シロに戻って波止場のデータを洗ってみるわ」


 崖の上に佇む、潮風に晒された古びたアパート。

 イカロスの重い足音と、カタリストの緊張した呼吸が混じり始める。

 「一階はまだ生活感がありますね……すみませーん、どなたかいらっしゃいませんかー?」

 カタリストが声を張るが、返ってくるのは遠くの乾いた波音だけだった。


 「返事がないなら、ちょっと中を拝ませてもらうか」

 イカロスが分厚い手のひらでドアノブを掴み、力任せにこじ開けようとした、その時。


 「……乱暴はよしてくれんかね。ここは一応、営業中の宿屋だよ」


 奥から、猫背の初老の男性が音もなく姿を現した。彼はうさん臭げにイカロスの巨体を眺めやる。

 「……ああ、すまねえ。知り合いがここに泊まってるって聞いてたもんでな」


 カタリストはさりげなく、男性の思考をトレースした。

 (……なんでまた、こんな辺鄙な場所に。もしや逢引するのに宿代をケチった口か? 全く、最近の若いもんは節操がない)


 脳内に流れ込んできた不躾な邪推に、カタリストは耳まで真っ赤にして叫んだ。

 「ち、違います! 私たち、絶対にそういう関係じゃありません!」

 「ワシは何も言っておらんのだが……奇妙な反応をするお嬢さんだ」


 老人はふっと目を細めた。

 (……ほう。このお嬢さん、ワシの「心」を拾い上げたか)


 ――その瞬間。

 カタリストの脳内に溢れていた男性の思考が、まるで電源を落とされたモニターのように、真っ暗な「無」へと変わった。あまりに唐突な断絶に、彼女は眩暈を覚える。


 「……ここはたまにくる釣り人のための宿屋だよ。お前さんたちも、釣りに来たのかい?」

 (……やっぱり逢引か?)

 

 「だから! 違いますってば! ……師匠、もう行きましょう!」

 「お、おい、待てよカタリスト! まだ何も聞いちゃいねえだろ!」

 カタリストは真っ赤な顔のまま、戸惑うイカロスの袖を強引に引っ張り、逃げるようにアパートを後にした。


 二人の足音が遠ざかり、入り江に静寂が戻った後。

 老人はゆっくりと、その「無」のヴェールを解いた。先ほどまでの隠居老人とは別人のような、鋭利な知性が宿る瞳で奥の部屋へと戻る。

 (……あのお嬢さん、佐藤彩香だな。わざわざこちらへ足を運んでくるとは――)


 老人の懐で、軍用端末が静かに脈打つように点滅していた。


 ――シロの車内。

 戻るなり後部座席になだれ込んだカタリストは、まるで湯気が立ちそうなほど顔を真っ赤にし、悶えながら玲子に訴えた。


 「お、お姉様……! 信じられません! あらぬ疑いをかけられました! 近頃の老人は、あんなのばっかりなんですか!?」


 玲子は作業していたコンソールから顔を上げ、頭の上に大きなクエスチョンマークを浮かべた。

 「ねえ、カタリスト。落ち着いて……何があったのよ? それに、その『近頃の老人は』っていうセリフ、普通は逆でしょ。若者が言われる言葉よ」


 羞恥心で言葉にならないカタリストに代わり、運転席に座ったイカロスがポリポリと頭をかきながら口を開く。

 「いやぁ、アパートに管理人のジジイがいてな。どうやら俺とこいつを、その……しけ込みに来たカップルだと勘違いしたらしくてよ。カタリスト、合ってるよな?」


 「合ってません!! 全っ然、合ってません!!」


 叫びながら顔を両手で覆うカタリストに、クロサワが呆れたように、けれど宥めるような声をかける。

 「カタリスト。落ち着きなさい……今のあなたの言い方だと『連れ込みであることは勘違いではない』という意味になりますぞ。火に油を注いでどうします」


 「……あ……あぁぁぁ……っ!!」

 自分の失言に気づいたカタリストが、今度はじたばたと足をバタつかせた。


 玲子はその様子を見て、思わずくすりと可笑しそうに笑った。

「ふふ、しょうがないわね。そこまで彼女をかき乱す管理人さん、私も興味があるわ……なら、次は私が行くわ」


 クロサワも静かに頷いた。

 「はい、お嬢様。その方が今は穏便に済むでしょう……もっとも、相手が『穏便』であればの話ですが……私もお供いたしますぞ」

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