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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第五十一話 晩餐会?

 カレーを口にした正人の切れ長の目に、驚愕が宿った。

 「……ほう、これは驚いた。生のカレーリーフか。日本でこの鮮度を保ったまま入手するのは至難の業だぞ」

 分析官のような冷静さを保ちつつも、思わず感嘆の声を漏らす。


 「サフランの香りとエキゾチックなスパイスのマリアージュ……完璧だわ。玲子、訂正するわね。この『体験』、二百万円でも列をなして求める層がいるわ」

 雅もまた、商売人としての計算を口にしつつも、スプーンを運ぶ速度は確実に平時を上回っている。


 「まさに麻薬を思わせる味ね。一度でも脳にこの味を刻まれたら、二度と忘れられなくなりそうだわ」

 玲香も、舞台の余韻を楽しむような微笑みを浮かべながら、せわしなく、けれど優雅に咀嚼を繰り返していた。


 やがて、一番先に皿を空にした正人が、無言で片手を上げた。

 それは自身に厳しい規律を課している、彼の中では滅多に見られない――「お代わり」の合図だった。

 配膳していた使用人が一瞬だけ驚愕に目を見開くが、すぐにプロの顔に戻り、銀鍋へと向かう。


 雅が、刺すような視線を正人に送る。

 「あら、正人さん。お代わりなんて珍しいわね。普段は摂取カロリーを一単位(ワンユニット)まで厳格に管理しているはずなのに」

 「……なに。明日のジムの時間を延長すれば済む話だ。せっかく愛娘が作ってくれた料理だ。残しては不憫だろう?」

 「……それならご心配なく。私ももう少し、愛娘の成長をこの舌で噛み締めたいと思っていたところですもの」


 二人の間に火花が散る。それは親の愛などではなく、最後の一滴までこの至高の味を口に入れたいという強欲さの衝突だった。

 その空気を感じ取った使用人が、冷や汗を拭いながら「先制攻撃」の如き残酷な事実を告げる。


 「……申し訳ございません。お代わりは、あと二皿分しか残っておりません」


 一瞬、ダイニングに戦慄が走った。

 正人、雅、そしてまだ口を動かしている玲香。

 二つの空席(お代わり)を巡る、白坂家の「神々の戦争」が幕を開けようとしていた。

 二人の睨み合いに、玲香が「愛らしいヒロイン」の如き立ち振る舞いで参戦した。

 「お父様、お母様。娘の成長を噛みしめたいというのでしたら、ぜひ私に譲ってくださいな。ご存じの通り、過酷な舞台に立つバレリーナには、何よりも良質なカロリーが必要なのですもの」


 だが、正人はその娘への愛おしさを一切排除した、白坂家の主としての眼差しで一蹴する。

 「……玲香。お前は今日、ゲストとして呼んだんだ。ホストを差し置くのは感心しないな……分を弁えなさい」


 雅もまた、射殺すような冷徹さと、母親らしい慈しみを同時に浮かべた矛盾する表情で、長女を諭した。

 「そうよ、玲香。この晩餐会のスポンサーはあくまで私たち。出資者の権利を侵すのはマナー違反だわ」


 (……これは、営業をかけるまでもないわね)

 玲子は心の中で、確信を持ってほくそ笑んだ。目の前の怪物たちが、たった一杯のカレーという「商品」に、ここまで飢えている。


 その時、玲香が突如としてさめざめと涙を流し始めた。

 頬を伝う一筋の雫。それは見る者の心臓を掴み、跪かせる「悪魔の涙」。レペルトワールの舞台で何万人もの観客を魅了してきた、玲香の十八番スペシャリテだ。


 (出たわね。お姉様の最大出力の演技……)

 玲子はそれを冷めた目で見つめた。演技だと分かっていても、その圧倒的な表現力は周囲の空気を歪ませるほどの力がある。


 玲子はこの隙を逃さず、両手を胸の前で組んで両親に向けて訴えた。

 「お父様。そんなに争わなくても、私の作り上げた『栽培・調合システム』そのものをお買い上げいただければ、いつでもお望みの時にこれを召し上がれますわ」


 正人の興味が、瞬時に食欲から「利権」へと切り替わった。

 「ほう? いくらだ。言い値で買ってやろう」

 「三億」

 「よし、交渉成立だ。今すぐクロサワに送金させなさい」


 秒速で成立する三億円の商談。

 「お母様。食材の優先供給権もセットでお売りしますわ」

 「ええ。私も言い値で買ってあげる……フフ、これで私のサロンメンバーに、さらに大きな顔ができるわね」


 結局、その後も続いた「論理」と「演技」による熾烈な議論の末、雅と玲香が最後のお代わり二皿分を勝ち取り、白坂家の晩餐会は幕を閉じた。


 娘の料理を楽しみ、三億を支払い、そして最後は互いの権利を主張し合って終わる。どこまでも「白坂家」らしい、歪で完璧な結末だった。


 ダイニングの喧騒と、金と打算の入り混じった空気から解放された玲子は玲香と共に、月明かりの差し込むバルコニーにいた。

 夜風が玲香の長い黒髪を揺らし、食後のコーヒーから立ち上る湯気が姉妹の境界を曖昧にする。玲香は長い足を優雅に組み、陶器のような肌を月光に晒しながら、宝物を鑑賞するかのような瞳で玲子を見つめた。


 「ねえ、玲子。あのお父様とお母様を手玉にとって、三億も掠め取るなんて……貴女もずいぶんと『やる』ようになったわね」


 玲子もまた、月明かりをその身に宿したような、幻想的で温度のない笑みを姉に返した。

 「ふふ。お姉様が、あのお代わり争奪戦で二人を煽ってくれたおかげよ。私はただ、一番美味しいタイミングで『商品』を提示しただけだわ」


 玲香は長くて細い指をそっと唇に当て、小鳥のように首を傾げる。その仕草一つ一つが、観客を魅了するための完璧な振付ステップのように見えた。


 「ところで――私の公演にはいつも立派な花を贈ってくれるけれど、一度も劇場に足を運んでくれないわね……それに今、どこに住んでいるの? その三億円のシステムが稼働している、あなただけの『お城』……いつか私も招待してくれるかしら?」


 玲香の瞳が、獲物を捕らえようとする猛禽類のように鋭く細められる。

 玲子はコーヒーカップを静かにソーサーへと戻した。磁器の重なる微かな音が、沈黙の中に響く。


 「……私も忙しいの。組織を立ち上げたばかりで、今はまだバタバタしているわ。いずれ……落ち着いたら、招待するわね」


 さり気ない、けれど確実な拒絶。だが玲香は、その言葉の「いずれ」という不確かな約束を、逃さぬように笑顔で上書きした。


 「ふふ……約束よ、玲子。忘れないでね」

 玲香は音もなく椅子から立ち上がると、玲子の頬をなでるように視線を這わせた。

 「それと、一度は必ず公演を観に来なさい……あなたのその冷え切った心を、私のステップで満たしてあげるから」


 玲香が背を向けて去っていく。その足取りはどこまでも軽やかで、けれど玲子の背後には、決して逃げられない執着の香りが、夜の闇と共に残されていた。

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