第四十八話 依頼達成
――「ちっとも美しくないんですもの」
その言葉は、アフロという存在を根底から破壊した。彼女は糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
「そういうわけだから、この集まりも本日付けで解散してくださいね……ああ、でも。慰謝料として地下の金庫の中身はすべて貰っていくわよ。元は私への上納金という名目で集めたお金なんですもの、いいわよね? ……それとも、警察とお友達になりたい?」
圧倒的な支配力で場を制圧した雅を、玲子は冷めた眼差しで見つめていた。そして、ふいに雅に近づくと、彼女の耳元に小さく囁いた。
「……ねえお母様。お母様が来れば数分で片付いたと思うの。わざわざ依頼しなくても良かったのでは?」
雅は玲子を壊れ物を扱うように優しく抱き寄せ、その耳元へ、甘い吐息と共に囁き返した。
「玲子の力量を見極めたかったのよ……あなたの『怯えた信者』の演技はもう少し工夫が必要だけど、依頼遂行能力は――ええ、十分合格点ね」
抱き合う雅と玲子の周囲に、黒だかりが迫っていた。
「雅様……見捨てないでください!」
「どうか、どうかお導きを! 寄進ならいくらでもいたしますから!」
縋りつく信者たちへ、雅は完璧な慈母の微笑を向ける。だが、はたから見ていたカタリストは、雅の心がゾワゾワと粟立っているのを感じ取っていた。
(あ、すごく焦っているけど、顔に出さないのは流石ですね)
「貴女たち、自分自身の美しさを信じて。誰かに頼ってはだめよ。美しさは内面から湧き出すものなのだから」
雅は聖母の如き声で宥めるが、熱狂の渦中にいる信者たちには届かない。
徐々に包囲網が狭まる中、一瞬だけ目を泳がせた雅はポンと手を叩き、隣にいる玲子を指し示した。
「そうそう。この子が私の言葉を伝える『預言者』なの。私だと思って、この子の言うことをよく聞きなさい」
それだけ言い残すと、雅は驚くべき身のこなしで信者たちの間をすり抜け、襖の向こうへと姿を消した。
残された玲子とカタリストは、開いたままの襖を呆然と見つめる。
「……雅様、逃げましたね」
「ええ……私に丸投げしてね」
標的を失った信者たちの目が、一斉に玲子へと向けられる。玲子は重い溜息を一つ吐くと、感情の死んだ瞳でその「飢えた群れ」を見据えた。
一瞬の静寂。玲子が、氷の触れるような声で口を開く。
「……あなたたち、お母様の美しさの秘密を知りたい?」
信者たちの目がギラリと、獣のように輝いた。異口同音の「はい」という肯定が、ステレオのように広間を揺らす。
玲子は一度伏せ、沈黙した。そして、次に顔を上げた時――そこには妖艶に笑みを浮かべる「聖女」がいた。
「まずは、感情をすべて捨て去ること。無駄な感情は、美しさを乱す雑音でしかないわ」
指先一つ、視線の配り方一つが、信者たちを跪かせる振る舞いへと変貌していく。
「その後に、相手を魅了する演技を覚えるの。どういう表情を見せれば相手がどう反応するのか、骨の髄まで叩き込みなさい。これを、一日も欠かさずに一生続けるのよ……あなたたちに、できるかしら?」
玲子がとる仕草や姿勢に対して、信者たちは畏怖を覚える。あまりにも計算されつくした振舞にただただ見惚れていた。
「私はね、幼い頃にお母様に感情を去勢されて、この演技を強制されてきたの……ここまで自分を殺せれば、貴女たちもお母様と同じ高みへ行けるかもね」
湖の底のように澄んだ、静かに響き渡る声。
「……これがお母様の作り上げた『私』よ」
すべてを見透かす湖のような瞳。信者たちは光を吸い込む白い肌から、オーラのような冷気が立ち昇るような錯覚を覚えた。
カタリストはその神々しさに一歩も踏み出せず、震える声で独りごちた。
(……今、お姉様の中を、何かが通り過ぎた。恐ろしいほどに美しい何かが)
――どれほどの時間が経っただろうか。不意に玲子がカタリストの手を握った。その手のひらには、まるで体温が感じられなかった。
「……彩香、行くわよ」
沈黙し、石化した信者たちを置き去りにして、二人はその場を後にする。建物の表にシロが待っていた。
――シロの車内。
助手席で端末を操作していたクロサワが、鏡越しに玲子へ視線を送る。
「お嬢様。先ほど、雅様より依頼達成報酬の入金を確認いたしました」
「ありがとう。ずいぶん早いのね」
玲子は短く応じると、隣でまだ少し緊張の抜けない様子のカタリストに向き直った。
「ねえ、カタリスト」
「はい、お姉さま。何でしょう」
「今回の報酬の半分、五百万円を受け取って」
カタリストの動きがピタリと止まった。
「えっ……!? で、ですが、私はただお姉さまの隣にいただけです。そんな大金、受け取れません!」
玲子はカタリストの慌てたように振られた手を掴み、胸の前に持っていく。そして優しく、けれど拒絶を許さない力強さで包み込んだ。
「よく聞いて。あなたがいなければ、アナログな教団の『真理』をあんなに鮮やかに暴くことはできなかった……私はね、あなたを対等のパートナーとして認めたのよ。それとも、私のパートナーでいることは不服かしら?」
運転席のイカロスが、バックミラー越しに不敵な笑みを浮かべる。
「働きに対して、正当な対価をガッツリもらう。それがうちの流儀であり、プロの証明だぜ」
「……わかりました。私は、お姉さまの隣にふさわしいパートナーでありたい。ありがたく、受け取らせていただきます」
カタリストの返答に、玲子は満足げに目を細めた。先ほどまで「女神」を宿していた透き通った横顔が、少しずつ柔らかさを取り戻していく。
そんなカタリストはモジモジしながら、唐突に相談を切り出した。
「ところでお姉さま……一つ、相談があるのですが」




