第四十七話 玲子とアフロと雅
玲子は縋るように両手を組み、潤んだ瞳でアフロを見上げた。カタリストは献身的な妹を装い、震える玲子の肩を優しく支える。
「……アフロディーテ様。その免醜符を……どうか、どうか私たちに譲っていただけませんか」
その必死な訴えに、周囲の信者たちが「先を越された」と色めき立つ。
――だが次の瞬間。
玲子はふっと憑き物が落ちたように背筋を伸ばした。その瞳から霞がかった眼差しが消え、鋭利な冷気が溢れ出す。
「……はあ。もういいわ、疲れた。こんな茶番、これ以上やってられない」
玲子の声は、低く、広間全体を支配するような威圧感を帯びていた。
「ねえ、それをこちらに渡しなさい。中の髪の毛がお母様のものか確かめてあげるから……偽造品は、白坂家では許されないの」
アフロの顔から余裕が消える。
「お母様? 雅様の? ……笑わせないで。あなたのような不遜な小娘が、聖母の御子であるはずがないわ!」
すかさずカタリストが、アフロの顔面に張り付いた醜悪な本音を暴き立てる。
「『――ふん。顔だけの小娘が。生意気な口を利いて、反吐が出るわ』」
アフロの表情が驚愕に染まる。カタリストは視線を逸らさず、淡々と暴露を続けた。
「……おや。アフロ様、『考えを読み取られているのかしら、そんなはずは』……とお思いですか?」
「気味の悪い真似はやめて頂戴!」
玲子はアフロに向けて、一歩前を踏み出した。
「ねえ、アフロ様。お母様へ上納すると嘘をついて、一円も渡していないわよね。あなたの金庫に、信者から巻き上げたお金がたんまり眠っているのを、私は知っているのよ」
「っ……!」
アフロが絶句する。
カタリストは絶句の内容を翻訳した。
「『まさか、地下室の隠し金庫のことまで……!?』」
「……へえ。本当にあったのね。システムを排除してアナログ運用してるから、まさかとは思ったけど」
その時――大広間の襖の一つが、小気味よい音と共に開かれた。
部屋に入ってきたのは、背筋を凛と伸ばした、二十代にしか見えない若々しい女性。透き通るような漆黒の髪を流しながら、どこかうすら寒い美貌をアフロへ向けた。
「アフロディーテさん。ごきげんよう」
その場にいた全員の呼吸が止まる。
意図せず、玲子とアフロの震える声が重なった。
「……お母様。どうして、ここに?」
「げっ! 雅様……」
本物の「聖母」の登場により、教団という偽りの箱庭が、その土台から音を立てて崩れ始めようとしていた。
雅は、心配そうな母親の仮面を隙なく貼り付け、部屋の中へと歩を進めた。
「……玲子、大丈夫? 変なこと、されてないかしら」
まじまじと玲子の顔を覗き込む。
「玲子が心配で、部屋の前でやり取りを聞かせてもらっていたの……なんだか、おも……コホン。私の大切な愛娘を侮辱していたようだから、居ても立ってもいられなくなってしまったわ」
すかさず、カタリストが玲子の耳元で、雅の愉悦に満ちた本心を囁く。
『――こんな面白い余興、特等席で参加しない理由がないわ。さあ、どうやってこの状況を料理してやろうかしら』
雅は玲子を慈しむように抱き寄せると、蛇に睨まれた蛙のように硬直しているアフロへ、嗜虐的な微笑を向けた。
「改めて紹介するわね。私の愛娘、玲子よ。あなたの審美眼では、どうやらこの子の価値を正しく測りきれなかったようだけれど」
その光景を目の当たりにした信者たちは、本物の「聖母」の降臨に理性を失い、両手を組んで嗚咽を漏らした。
「「「……ああ、聖母様。聖女様……!」」」
狂信的な祈りが呪文のように大広間を埋め尽くす。
厚化粧の中から湧き出すように脂汗を流しながら、アフロは震える両手を胸の前で組んだ。
「い、いえ! そんな! とても可愛らしいお嬢様だとは思っておりましたのよ! ただ、白岡と名乗っておいででしたので、まさか雅様の御子とはつゆ知らず……」
一通りの茶番が終わると、雅は獲物をじっくりと追い詰める猫のような足取りで、アフロの前へと歩み寄った。
「それはそうと――その『免醜符』とやら、一体どこの誰の髪の毛を封入しているのかしらね? 私、あなたに一本たりとも、自分の髪を譲った記憶はないのだけれど」
その一言で、広間の熱気は一瞬にして凍りついた。まるで葬列のような、死の静寂が空間を支配する。
「それに、この気味の悪い集まりは何かしら? 私はこんな組織、許可した覚えもなければ、名前を貸すのを許した覚えもないわ」
先ほどまで「聖母」を崇めていた信者たちの視線が、一転して鋭利な釘となり、アフロの全身を射抜く。
「……は、はい! 髪の毛は、その、雅様に最も近い『代理人』のものを使用しております! この集まりも、すべては雅様へ奉納するための寄付を募るために……ほら、信者の皆様! 私たちの祈りが天に通じたのですわ。こうして雅様御本人に拝謁することが叶った……!」
アフロは必死に信者たちへ向き直り、必死に言葉を紡ぐ。その見苦しい虚言を、雅は困った子供を見るように眉を寄せ、慈悲の欠片もない瞳でアフロを凝視する。
「……申し訳ないのだけど、あなたに私の代理人は務まらないわよ」
一拍置いて、たったひと言で切り捨てた。
「――だってあなた、ちっとも美しくないんですもの」




