第四十六話 免醜符
――通された応接室。その正面には、壁の半分を占拠するような巨大サイズの白坂雅の肖像画が鎮座し、慈愛に満ちた微笑を浮かべていた。
アフロは、その肖像画を誇らしげに手で示しながら、陶酔した声を響かせる。
「ご存知の通り、我が教団は白坂雅様を現世の聖母として称えております。美の女神から授かった至高の美貌を、信じる者たちに分け与える。それが私たちの神聖な使命なのです」
すかさず、カタリストが玲子の耳元でアフロの冷ややかな本心をフィードバックする。
『――ふん。雅も過去の女ね。今では私の方が数倍美しくなってしまったのだけれど。私の美しさは彼女には手に入らないわ』
「それは……! なんて、おめでたいことでしょう!」
玲子は感極まったふりをして声を弾ませた。皮肉のトゲを「祝福」のオブラートに包んで投げ返したが、虚栄心に溺れたアフロはそれに気づくことさえできない。
「私はね、雅様のサロンでも最上級のメンバーでしたのよ。今は教団の活動が忙しくて、なかなかお会いしに行けないのが悩みなんですけれど」
カタリストの囁きが続く。
『……どうして最近、あの方は私を誘ってくださらないのかしら。連絡しても、事務的にあしらわれるばかり。嫉妬かしら、それとも……』
玲子は間髪入れずに、アフロの不安をフォローする。
「きっと、雅様もあなたの崇高な活動を邪魔したくないのですわ。アフロディーテ様の影響力が大きくなりすぎて、気を使っておいでなのですよ」
「まあ! そうですわね。うふふ、分かっているじゃない……ええ、ここで貴女たちが献身的に尽くすなら、雅様へ直接口添えして差し上げてもよろしくてよ?」
(……口添えされても、あまり会いたくはないのだけれど)
玲子は内心で冷たく毒づいた。その相手こそが、魅了の演技を叩き込んだ張本人なのだから。
アフロは上機嫌で、二人に手招きをした。
「これから集会が始まりますの。貴女たちも一緒にどうかしら? きっと、人生が変わるような入信体験ができるわ」
カタリストが、呆れながらも無感情な声でアフロの最終目的を玲子に伝えた。
『――洗脳して、二度と私の元から逃げ出せない「貯金箱」にしてあげる。たっぷり搾り取ってやるわ』
通されたのは、四十畳ほどもある時代がかった大広間だった。
宴会場を思わせるその空間には、既に三十人ほどの女性たちが、どこか虚ろな、それでいて何かにすがりつくような熱を帯びた瞳で座していた。
アフロが襖を勢いよく開け、壇上へと進み出る。
「皆様、ごきげんよう。今日は素晴らしい報せがあるの。私たちの美の探求に加わる、新たな同志がやってきたわ。さあ、挨拶をしていただけるかしら?」
玲子とカタリストは、無機質な視線が突き刺さる壇上へと半ば強引に押し出された。
「あ、わ、私……白岡玲子と申します。こちらは妹の彩香です。あ、あの、皆様みたいに、一日も早く美しくなりたいです。よろしくお願いいたします……!」
震える声と、怯えた小動物のような完璧な演技。
「よろしくお願いします」
カタリストもそれに倣い、二人同時に深く頭を下げた。会場に、どこか品定めするような、乾いた拍手の音がパラパラと響く。
「ありがとう。それでは、空いている席へ座ってちょうだい」
アフロが満足げに頷き、部屋の照明を落とした。
暗闇の中、鼻を突くような甘ったるい香りが、空気を満たしていた。
「……見えます! 貴女たちの毛穴から、過去の不摂生と醜さが、ドロドロとした黒い霧となって溢れ出しているのが見えますわ! さあ、汚れを排出しなさい。合唱を!」
それを合図に、信者たちは憑かれたように一斉に唱え始めた。
「「「――免醜、免醜、ハレルヤ」」」
「「「――免醜、免醜、ハレルヤ」」」
異様な熱気に包まれる中、玲子は唇を動かさず、隣のカタリストに極小の声で耳打ちした。
「……彩香、何かしらね、これ」
カタリストは一点を見つめたまま、信者たちの心の中を読み取った。
「完全にアフロの策略にはまって妄信してますね。美しさのためなら、時にタガが外れる人もいますから」
不意に、部屋全体を包む照明が薄いピンク色の光に切り替わった。
信者たちの顔には、激しい運動の後のような奇妙な高揚と、熱狂的な疲労が混じり合っている。
「皆様、ご覧なさい。一段と美しくなったわ。さあ、鏡を取って確認してごらんなさいな」
一斉に手鏡を覗き込んだ女性たちのあちこちから、吐息のような歓声が漏れる。玲子もまた、手元に置かれた鏡を覗き込むふりをして、口元を隠しながらカタリストに零した。
「……計算されたライティングね。バカバカしい」
「ですが、彼女たちには、それが本物の『奇跡』に見えているようですよ」
ここで、アフロがパンと両手を叩いて注目を集めた。彼女が恭しく両手で掲げたのは、金糸の刺繍が施された小さなお守りのようなものだった。
「皆様、もう一つ、震えるような吉報がございます。なんと今回は、聖母・雅様の美しき髪を封入した特製『免醜符』を……奇跡的に五つだけ、用意することができましたわ!」
「……えっ、お母様の、髪?」
玲子の頭の中に『まさか』の三文字が灯った。
すかさず、カタリストが玲子の耳元で、嘲笑を含んだ真実を囁いた。
『――ふん。中身は昨日美容院で切ったばかりの私の毛よ。雅の髪より、よっぽどご利益があるでしょうよ』
玲子はカタリストと視線を交わした。その瞳には、ハッカーが致命的な脆弱性を見つけた時のような、愉悦の光が宿っている。
「……これは、使えるわね。彩香、行くわよ」
二人はフラフラとした足取りで、免醜符に吸い寄せられる信者のふりを装いながらアフロの元へと近寄っていった。




