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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第四十二話 カタリストの決意

 玲子がダイニングを去った後も、その場には重い沈黙がよどんでいた。

 イカロスは椅子の背もたれをきしませ、クロサワは玲子が出て行った扉を、どこか遠い目で見つめている。


 カタリストは、無意識に自分の肩へ手を置いた。

 先ほど、玲子が自分の肩に触れた時の感触はとても温かかった。けれど、そのときに読み取れたのは、すべてを塗りつぶした漆黒のキャンバスのような、あまりにも静かすぎる「虚無」だった。


 (……あんなに優しくて、あんなに強いのに。心の中には、誰もいないんだ)


 カタリストは、胸の奥が焼き切れるような痛みを覚えた。

 自分は玲子に救われた。母を地獄のような詐欺拠点から、名前も尊厳も奪われていた場所から、光の当たる世界へと引きずり上げてもらった。

 けれど、救い主である玲子自身は、今もなお、雅が作り上げた「完璧な人形」という牢獄に閉じ込められたままなのだ。


 (私が……私が、玲子様の心に色を取り戻す)


 カタリストは、拳を強く握りしめた。

 イカロスから教わった格闘技術で、玲子を狙う敵を排除することはできる。

 けれど、彼女を本当の意味で「自由」にするには、外敵を倒すだけでは足りない。


 「師匠、クロサワ様」


 その呼びかけに二人は顔を上げた。カタリストを見つめるその瞳は、同志を見るような光が宿っている。


 「私、決めました。玲子様が忘れてしまった『感情』を、私が一つずつ見つけて、届けます。いつか玲子様が、心から笑ったり、怒ったりできるように……それが、私の本当の任務です」


 イカロスは不器用に鼻を鳴らし、少しだけ口角を上げた。

 「……フン。言うじゃねえか、嬢ちゃん……いや、カタリスト」


 「左様ですな。それは老いぼれ一人では、到底成し得ぬ仕事です」

 クロサワもまた、穏やかに微笑んだ。

 「お嬢様の『触媒』となって、幼い頃に停止してしまった時間に化学反応を起こしてください……微力ながら我々も協力しますぞ」


 窓のないデータセンターの地下。けれど、カタリストには確かな光が見えていた。

 玲子のために、強くなる。

 玲子のために、学ぶ。

 そして、いつか玲子の心の扉をノックする。


 『アイス・エンジェル』と自らを呼んだ孤独な王女に、人間としての温もりを取り戻させるための、彼女の「一生をかけた戦い」がここから始まった。


 ――翌日のダイニング。

 テーブルには、玲子が腕を振るった彩り豊かなタコライスが並んでいた。スパイシーな香りが漂う中、カタリストはスプーンを止め、意を決したように玲子を見つめた。


 「……玲子様。ご相談があるのですが」


 玲子が静かに視線で先を促すと、カタリストは言葉を選びながら、昨夜胸に誓った思いを切り出した。


 「私……大学に行きたいんです。もちろん、任務を最優先にします。夜間か、あるいは通信制で、少しずつでも学んでいければと……」


 傍らで聞いていたイカロスとクロサワは、何も言わず、ただ玲子の反応を待った。玲子は一口タコライスを飲み込むと、事も無げに答えた。


 「分かったわ。じゃあ、新たな任務を与えるわね――大学の授業時間は、すべてBlack Wellの『勤務時間』としてカウントしなさい」


 「えっ……?」

 予想外の言葉に、カタリストが呆然と声を漏らす。


 「授業料もすべて組織から出すわ。表向きは4Sグループの奨学金制度を利用した形にするけれど、全額私が持つ……何、その顔。不服かしら?」


 「いえ、そうではなくて……あの、理由とか、聞かないんですか?」

 玲子は不思議そうに首を傾げ、いつもの透き通った瞳でカタリストを見つめた。


 「向学心のある優秀な人材への投資は、いつでも大歓迎なの。理由を聞く必要なんてないわ。あなたが学ぶことは、巡り巡って私のためになる……そうでしょう?」


 玲子の言葉はどこまでも論理的だった。けれど、その「投資」という言葉の中に、自分を信じてくれているという強い信頼を感じ、カタリストは目頭が熱くなるのを堪えた。


 「クロサワ」

 「はい、お嬢様」


 「カタリストと同じように、他のメンバーの中にも進学や資格取得を望む者がいたら、同じようにサポートしてあげて。学費も、そのための休暇も、組織の必要経費として計上してちょうだい」


 クロサワは、一瞬だけ慈しむような優しい表情で主君を見つめると、すぐに完璧な執事の顔に戻って頭を下げた。


 「……承知いたしました。各拠点へ、オーナーの『寛大なる布告』として、直ちに告知を出しておきましょう」


 「おいおい、ウルフパックの連中が大学デビューかよ。騒がしくなるぜ」

 イカロスは肩をすくめたが、その口元は緩んでいた。


 こうして、Black Wellは単なる武力集団から、知性と教養を兼ね備えた「エリート組織」への一歩を踏み出した。

 カタリストの「玲子の心に触れるための戦い」は、教科書を抱え、キャンパスの門をくぐるところから始まることになった。


 玲子の布告が、暗号化通信を通じてBlack Wellの全メンバーへと届けられたその日の夜。

 各拠点では、これまでにない熱気に包まれていた。


 元スカル・ラッツの若手構成員の一人が、端末に表示された布告を何度も読み返し、震える手で隣の仲間に見せた。

 「……おい、見たか。オーナーが……学費を全額出してくれるってよ……」


 かつて暴力と詐欺に明け暮れ、明日をも知れぬ日々を送っていた彼らにとって、それは信じがたい「救済」だった。


 「ただの鉄砲玉じゃねえってことだ……俺、高卒認定から始めて、いつか経営学を学びたい。オーナーを支えられるくらいの頭になりてえんだ」


 訓練場では、屈強な傭兵たちがスポーツドリンクを片手に、資格試験の参考書を回し読みし始めていた。

 「イカロス隊長が言ってたぜ。『お嬢様は、脳筋はいらねえとお考えだ』ってな。これからは、火薬の調合比率も、弾道の計算も、全部プロのレベルで理論立てて説明できなきゃ、Black Wellの看板は背負えねえ」


 組織の隅々まで、「学ぶことへの飢え」が伝播していく。

 彼らにとって、玲子は「金をくれるボス」を超え、自分たちの人生を根本から肯定し、新しいステージへと引き上げてくれる「救世主」へと昇華されたのだ。


 メンバーたちの活気づくログを眺めながら、マリーとメリーが玲子に報告する。


 『玲子ちゃん。みんな、すごい勢いで勉強を始めたよ!』

 『「教育」というきっかけが、彼らの帰属意識を極限まで高めることでしょう……とてもよい判断でした』

 玲子は満足そうに、ただ頷くだけだった。

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