第四十一話 カタリストのテスト
玲子の言葉に、カタリストは背筋を伸ばし、直立不動で応えた。
「はい、玲子様の望むままに!」
「じゃあ、簡単なことから始めましょうか――クロサワ、イカロス。協力して」
カタリストに対する「テスト」が始まる。
それは、単なる余興を超えた、Black Wellの『最強の剣』の性能試験でもあった。
玲子の提案に、ダイニングには独特の緊張感が漂った。
「まずは、クロサワの心を読んでみて」
「はい!」
カタリストが元気よく返事をし、クロサワと向き合う。
老執事はいつもの柔和な微笑みを崩さず、余裕の表情で受けて立った。
「はっはっは、お手柔らかにお願いしますぞ、カタリスト殿」
カタリストはクロサワの瞳をじっと見つめる。数秒の沈黙。彼女の瞳の奥で、無数の思考の糸が手繰り寄せられていく。やがて、彼女は淡々とその答えを口にした。
「……『しかし、本当に心の中を読めるものですかな……そういえば、今日はお嬢様のカレー、お代わりできなかったのが残念です。あの大食らいたちめ』」
その瞬間、クロサワの完璧な微笑みが凍りついた。
「なっ……!?」
いつもの冷静さをかなぐり捨て、絶句するクロサワ。玲子は面白そうに二人を交互に見比べた。
「その様子だと、正解かしら?」
「……ええ。お恥ずかしながら、一言一句、その通りでございます」
悄然と肩を落とすクロサワ。その横で、イカロスが「執事のくせに卑しい奴だぜ」と鼻で笑った。
「じゃあ、次はイカロスの方をお願い」
「分かりました!」
カタリストはにっこりと笑い、今度はイカロスを真っ直ぐに観察し始めた。先ほどまで笑っていたイカロスは、途端に「まずい」という顔をして、慌てて視線を逸らそうと手を振る。
「おい、よせ! 俺はいい、俺は――」
だが、カタリストの「解析」の方が早かった。彼女は少し顔を赤らめながら、困ったように解答を述べる。
「……『まさか、今日の朝、久しぶりに嫁と熱い抱擁をしたことも、ばれちまうのか?』」
ダイニングに沈黙が降り、直後、イカロスの顔が沸騰したように真っ赤に染まった。彼はそれ以上何も言えず、大きな体を丸めて俯く。
「答え合わせをするまでもないわね」
玲子は愉快そうに笑いながら、改めてカタリストの特異な才能を再確認した。
「ねえ、カタリスト。いつもこんな風に、手に取るように人の心が読めるの?」
「いえ、玲子様。少し意識するだけだと相手の『雰囲気』や『感情の揺れ』がぼんやり掴める程度です。でも、こうしてじっと相手を観察して、波長を合わせるように潜り込めば、表面化している思考を正確に読み取れます」
玲子はしきりに感心したように頷いた。
「それでも凄いわ……これなら、どんな嘘つきもあなたの前では裸同然ね」
最強の武力と知力に加えて、絶対的な「真実」を見抜く目。
Black Wellというチームの完成度が、玲子の想像を一段超えた瞬間だった。
玲子はにっこりと、それこそ「天使」のような無垢な微笑みを浮かべた。しかし、その瞳の奥には好奇心の光が宿っている。
「それじゃあ……最後は、私の心を読んでみてくれる?」
その言葉に、カタリストの肩がびくりと跳ねた。
「わ、分かりました……」
覚悟を決めるように息を呑み、カタリストは玲子の瞳をじっと見つめる。
先ほど、クロサワやイカロスの思考をいとも容易く手繰り寄せた彼女の読心。だが、玲子の意識の深層へ潜ろうとした瞬間、カタリストは深い「戸惑い」に襲われた。
(分からない……相変わらず、何も響いてこない。まるで、底のない漆黒の湖を覗き込んでいるみたい……)
そこには、喜びも、怒りも、カレーに対する未練も、家族への愛情さえも存在しない。あるのはただ、漆黒の静寂と、どこまでも広がる「虚無」だった。
やがて、カタリストは力なく視線を落とし、しょんぼりとした様子で告げた。
「……何も、読み取れませんでした。玲子様が今、何を考えているのか。欠片も……」
その答えを聞いた玲子は、どこか満足げに、そして慈しむようにカタリストの肩を優しく撫でた。
「正解よ……だって私、感情は一切出していなかったもの。いいえ、正しく言えば――出し方を忘れてしまったの。これもきっと、お母様の熱心な教育の賜物ね」
軽やかに、まるでお天気の話でもするかのように玲子は笑う。
だが、その言葉の重みに、ダイニングは氷付いたような沈黙に包まれた。
クロサワはティーカップを持つ手に力を込め、イカロスはやり場のない拳を握りしめ、ただ俯くことしかできなかった。
目の前にいるのは、愛すべき主君であり、救世主だ。
けれど、彼女をここまで「完璧」に作り上げるために、母・雅がどれほどの心と血を抜き去ったのか。その傷跡が「虚無」という形で目の前に突きつけられたことに、二人は胸を締め付けられるような痛みを覚えていた。
「……さて。テストは終わりよ」
玲子は立ち上がり、いつもの隙のない微笑みを「装着」した。
心は読ませない。けれど、その指先がカタリストに触れた時の体温だけが、彼女に残された数少ない「ぬくもり」だった。




