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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第三十七話 彩香の決意

 ――データセンター地下、ダイニング。

 オーブンから漂うブランデーの甘く芳醇な香りが、ダイニングを柔らかく満たしていた。

 その甘い香りとは対照的に、彩香が玲子に向かって文字通り「地の底までめり込むような」深い土下座を捧げていた。


 「……彩香って意外と頑固なのね。もう10分経ってるわ」

 玲子が困り果てた顔でそっと腕を取ろうとするが、彩香は甲羅に閉じこもった亀のように微動だにしない。傍らでは、クロサワとイカロスが「困ったものだ」と言わんばかりの苦笑いを浮かべていた。


 「……到底、許されることではありません」

 彩香の肩が、小刻みに、かつ激しく震える。

 「玲子様を無視して母娘二人で泣き喚きあうなど……! 私は、私は万死に値します……!」


 「そんなに自分を責めないで。私は気にしていないし、むしろあの光景が見たかったのよ……もう、しょうがないわね」

 玲子の慰めも、今の彩香の「忠義のフィルター」は通り抜けない。玲子は小さく溜息をつくと、わざと冷徹な声音へと切り替えた。


 「――彩香、命令よ。今すぐ立ちなさい。あなた、私の『命令』に背いたらどうなるか、分かっているわよね?」


 その瞬間、彩香の背筋に電流が走ったように跳ねた。

 顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしたまま、彼女は弾かれたように、すっくと立ち上がった。そのあまりの瞬発力に、クロサワとイカロスも思わずビクッとした。


 「あら。聞き分けがいいわね……最初からこうすれば良かった。ほら、顔を洗ってきなさい」


 彩香が慌てて顔を洗い、戻ってくると、今度は玲子の足元に音もなく跪いた。

「もう、土下座は禁止!」

 狼狽える玲子を余所に、彩香は震える手で玲子の指先にそっと触れた。その瞳には、もはや迷いのない、澄み渡るような決意が宿っている。


 「私は決めました。この命、この一生、すべてをあなたに捧げます。玲子様が白と言えば黒いものでも白くなり、玲子様が死ねと仰れば、私は笑って地獄へ向かいます……どうぞ、どんな命令でも下してください」


 その重すぎる、けれど純粋すぎる言葉を受け止め、玲子は少しだけ面食らったように目を瞬かせた。やがて、その口元に、嬉しそうな笑みがこぼれる。


 「あら……それなら、あなたに命令を出すわ」

 玲子はオーブンを指差し、悪戯っぽく目を細めた。


 「ブランデーケーキをオーブンから取り出して、等分に切り分けてくれるかしら? みんなで温かいうちに食べましょう」


 彩香は一瞬呆然とした後、「はい!」と本日一番の、そして十年前の自分を取り戻したかのような明るい声で返事をした。


 クロサワが淹れた、香り高いアールグレイが人数分のカップに注がれる。

 彩香が丁寧に切り分けたブランデーケーキを、イカロスがその大きな手で壊さないよう慎重にテーブルへと運んだ。


 玲子はブランデーケーキを食べ終わると、彩香に今後のことを切り出した。

 「彩香。綾乃さんには、以前私が買い取った農園をあなたと一緒に任せようと思うの。どうかしら? ちょうど人手が欲しかったところなのよ」


 「えっ……本当によろしいのですか? 母は昔から土をいじるのが好きでしたから、きっと喜ぶと思います」


 「なら、決まりね。活きのいい若者を何人か下につけるわ。彩香、お母さんに働く意思を確認しておいて……クロサワ、労働契約書の作成を。待遇はBlack Wellと同じ、最高水準で」


 「かしこまりました、お嬢様。至急、契約書を用意いたします」

 クロサワが恭しく一礼する。玲子の視線は、次にフォークを止めて待っていたイカロスへと向けられた。


 「次に、イカロス」

 「……なんだ?」

 「あなたとウルフパックに、十億円を支払うわ。メンバーへのボーナスにするなり、装備を新調するなり、好きに使いなさい。それと――二週間の特別休暇を。皆、よく働いてくれたもの。羽を伸ばしてきなさい」


 流石のイカロスも、口に運ぼうとしていたケーキを止めて絶句した。

 「……おい、マジかよ」

 「言ったでしょう、最高級の礼を尽くすと。それで足りなければいつでも言ってちょうだい」


 玲子はさらりと告げ、最後に、老執事を見上げた。

 「クロサワ。あなたには、各国警察から振り込まれた報奨金五億円をそのまま渡すわ。あなたの個人口座に入れるなり、好きに使いなさい。もちろん、あなたにも二週間の休暇を与えるわ」


 クロサワは少しだけ意外そうに眉を動かしたが、すぐにいつもの完璧な微笑みに戻った。

 「お嬢様、私のような老いぼれに五億など……では、仰せのままに」

 クロサワのモノクルの奥の瞳が、どこか光ったように見えた。


 「ふふ、みんな楽しんできてね」


 玲子は紅茶を一口啜り、満足げに目を細めた。

 勝ち取った三十五億を、惜しみなく仲間の未来へと還元する。

 それは単なる「報酬」ではなく、玲子という太陽を中心に回る、この歪で強固な「ファミリー」への信頼の形だった。


 琥珀色のケーキを平らげ、温かな紅茶で人心地ついたダイニング。

 その穏やかな空気を切り裂くように、彩香がイカロスを真っ直ぐに見据えて口を開いた。


 「イカロス様、お願いがあります……私を、ウルフパックに入れてください」

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