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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第三十四話 日本へ

 「クロサワ、仕上げをお願い……この『地獄』へ、警察とマスコミを招待してあげて」

 「承知いたしました、お嬢様……功名心に燃えた正義の使者たちが、特ダネを求めてすでに玄関先まで到着しておりますぞ」


 「イカロス。綾乃さんを最優先でヘリへ。マリー、彼らの離脱を確認次第、拠点のロックを全面解除――獲物を追い込んでくれる彼らに、素敵な『プレゼント』を拝ませてあげましょう」


 ――十分後。密林の静寂を切り裂くように、一台のヘリが屋上から力強く離陸した。

 眼下では、マリーがかけた呪縛ロックが開放され、エントランスから人の群れが一斉に雪崩れ込んでいく。


 世界を欺くBlack Wellという深い「闇」が、たった一つの、けれどかけがえのない「光」を家庭に連れ戻した瞬間だった。


 顛末を見届けたクロサワは、音もなくヘッドセットを外し、玲子へ向けて優雅に姿勢を正した。


 「お嬢様、イカロスには綾乃様を伴い、現地の指定ポイントで警察と合流するよう命じました。被害届の提出、および身元の安全確認が済み次第、彼ら(ウルフパック)が乗ってきたプライベートジェットにて即座に帰国いたします」


 クロサワの流れるような説明に、玲子はその顔を、まじまじと見つめた。

 「ねえ、そんなに早く帰国できるものなの?」


 その疑問にクロサワは、主である玲子にだけ見えるよう、悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。


 「種明かしをいたしますと、現地の治安当局には『日本人の重要人物を救出したという特大の手柄』を献上いたしました。その対価として、『綾乃様を国賓級の被害者として、一切の法的手続きを簡略化し、最速で日本へ送還する』ことで合意済みです。綾乃様の帰国のための渡航書も、すでに用意しております」


 「ふふ……本当に、私の期待を裏切らないわね、あなたは」


 ――玲子の満足げな声が響いてから一時間後。

 ダイニングのディスプレイに、先ほどまでの「死神」の面影はどこへやら、ひどく困惑した表情のイカロスの顔がアップで映し出された。


 『おい、旦那! 何をどう根回ししたんだ!? 警察の野郎どもが、パトカー十数台で空港まで護衛するって言って聞かねえんだ! 街中の車を全部どかして、えらい騒ぎだぞ!』


 クロサワは、慌てふためく現場の映像を眺めながら、したり顔でインカムに応えた。


 「よろしいではありませんか。そのまま、王侯貴族のような気分で送られなさい……お嬢様への『土産』を買い忘れることのないように」


 そして、思い出したかのように玲子と彩香に伝えた。


 「日本到着後の手続きも完了しておりますのでご安心を。入管と厚労省の知人には、『4Sグループの最高医療チームが綾乃様の診察にあたる』という条件で、空港から彩香様の自宅への直行許可を取り付けてあります……綾乃様を、世俗の煩わしいカメラに晒すような真似はさせません」


 モニターの向こうで「まったく、とんでもねえ旦那だぜ……」と毒づきながら、イカロスが苦笑して通信を切った。


 クロサワを見つめる彩香の目には、再び温かな涙が溜まっていた。

 もはや「帰れるかどうか」を心配する段階ではない。綾乃は、最強の「盾」に守られながら、真っ直ぐにこの場所を目指して戻ってくるのだ。


 ――高度一万メートル、夜の静寂を滑るように進むプライベートジェットの機内。

 綾乃は、ウルフパックの女性メンバーによる介助で数年ぶりの温かなシャワーを浴び、柔らかな生地のワンピースに着替えさせられていた。鏡に映った彼女は別人のように見えた。


 通路を挟んで隣に座るイカロスは、普段の荒々しさを必死に抑え、借りてきた猫のように大人しく座っている。

 綾乃は膝の上で震える手をぎゅっと握りしめ、意を決したように隣の巨漢へ視線を向けた。


 「あの……」

 「ん? お母さん、何か困りごとか? お腹でも空いたか?」


 イカロスは努めて優しい声を作ろうと奮闘しながら、少しだけ顔を近づけた。

 綾乃は小さく首を振り、遠く流れる夜景の雲を見つめる。


 「なんだか、夢みたいで……それと同時に、怖いんです。十年間、人様を騙すようなことをしてきた……その罪を償わなければならないかと思うと……せっかく娘と暮らせるようになったのに……」


 イカロスは太い腕を組み、静かに、だが揺るぎない声で言いきった。


 「かけ子のことか? ……いいかお母さん、あんたは『現代の奴隷労働』の被害者だ。罪には問われねえし、世界中の誰もあんたを責めやしねえ……あんたの意志で、誰かを傷つけたかったわけじゃねえんだろう?」


 「もちろんです……私は、申し訳なくて何度も死のうと思いました。でも、そのたびに娘の顔が浮かんで……死ぬことができませんでした」


 綾乃は俯き、こらえきれずに嗚咽を漏らした。細い肩が激しく震える。

 それを見たイカロスは、困ったように大きな頭を掻くと、ジャケットの胸ポケットから一枚の写真をそっと取り出した。


 「……実はな、俺にもあんたの娘さんと同じくらいの、年頃の娘がいるんだ。土産を買い忘れたら、嫁さんと一緒に絞り上げられるような、そんな家庭なんだ」


 写真には、屈託のない笑顔の少女と、幸せそうな女性が写っていた。イカロスはそれを愛おしそうに見つめてから、綾乃に向き直る。


 「だから分かるんだ。地獄の中でも死ねないことも、ただ会いに戻ってやるだけで、娘が救われることも。それでいいじゃないか」


 イカロスはぶっきらぼうだが、確かな温かさを込めて告げた。


 「お母さん。どうしても償わなきゃ気が済まねえってんなら……一つだけ方法がある。奪われた時間の分だけ、あいつ――彩香を思いっきり抱きしめて、これでもかってくらい甘やかしてやりな。それが、生き残ったあんたにしかできない、親としての最高の『償い』ってやつだ」


 綾乃は目を見開き、溢れる涙を拭おうともせず、深く、深く頷いた。

 ジェット機は、夜明けの待つ日本へと、翼を休めることなくただ真っ直ぐに進んでいく。

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