第三十三話 救出
世界中に点在する『Z』の全端末。そのモニターに、嘲笑うようなピエロのアイコンが浮かび上がる。同時に、玲子が仕込んだ『プレゼント』が一斉に発動した。十二か国語同時でメッセージが表示される。
『暗号を解きたければ、隣の席の者の真実を誰よりも先に公開しなさい。さもなければ、あなたはきっと刑務所で寂しい余生を送ることになる――タイムリミットまで、あと三〇秒』
「おい、お前! 何を打ち込もうとしてる!」
「やめろ、仲間だろうが!」
モニターに出現した入力フォームを奪い合い、昨日までの『同僚』たちが、不信感という名の伝染病により、互いを生贄に差し出そうとする。平穏だった密室が修羅場へと変わっていく。
――時を同じくして、とある国の捜査機関。
一人の捜査員が、自身の端末に届いた高秘匿の告発メッセージに目を輝かせていた。
「予告通り告発がありました。犯罪グループ『Z』の潜伏先、および中枢メンバーの詳細なリスト……ドアロックの解除パスまで添付されています!」
上官は送られてきた資料のあまりの精緻さに、背筋に冷たいものを感じながらも、即座に立ち上がった。
「……やはり前から目を付けていた場所だったか。真偽は後だ、即座に人員を派遣しろ」
――さらに同時刻。ある被害者のSNS。
貯金を騙し取られ、絶望していた男性の元へ一通の通知が届く。
《貴方が振り込んだ金は、現在この場所で、彼らのパーティ費用として有意義に使われています》
そこには、主催者の実名、住所、そして隠し口座の残高が記された資料が添えられていた。
「……ふざけやがって。許さねえ、絶対に逃がさねえぞ……!」
彼の怒りに震える指でスマホが操作されるとメッセージが『拡散』された。情報の濁流がインターネットという海へと流れ込む。
世界各地で巻き起こる阿鼻叫喚と自壊の連鎖。
そのすべてを、ダイニングで冷ややかに見つめていた玲子が、静かに唇を動かした。
「……三、二、一。ゼロ。マリー、ターゲットを完全封鎖」
玲子の静かな宣告に、マリーが軽快に応える。
「了解! 電源、通信、外部ゲート、すべてのお口にチャックをかけたよ! この建物は今から、世界で一番頑丈で……静かな『棺桶』になるからね!」
その言葉と同時に、数千キロ先の拠点の灯が一斉に掻き消えた。
サーバーの駆動音、空調の唸り、そして文明の光。それらすべてが奪われた完全な暗闇の中で、閉じ込められた「Z」の構成員たちは、自分たちの心臓の音さえ恐怖に感じるほどの静寂に放り出された。
「イカロス、パーティの準備が整ったわ……最高の挨拶を届けてあげて」
「あいよ――ちょっくら、行ってくるぜ」
――十分後。
ドォォォォォン!!
静寂を、暴力的な破壊音が粉砕した。
拠点の屋上に備えられた非常口が無残に大きな口を空け、転がり落ちるドアの金属片と共に、漆黒の影が滑り込む。
「……悪いな。もうおねんねの時間だ」
暗闇の中、ナイトビジョンの不気味な緑光を双眸のように爛々と輝かせ、イカロスが床を踏み鳴らした。その手には漆黒の消音アサルトライフル。
続いて音もなく侵入したウルフパックの精鋭たちが、流れ落ちる水のように展開する。
パニックに陥り、闇雲に逃げ惑う構成員たちを、彼らはまるで作物を収穫するかのような無慈悲な手際で次々と無力化していった。
放たれるのは殺傷用ではなく、骨を砕く衝撃を与える暴徒鎮圧用の重ゴム弾。逃げ場のない「棺桶」の中で、構成員たちは悲鳴を上げる間もなく泥のように地に伏していく。
ヘッドセットから届く玲子の冷静な声が、迷うことなくイカロスをナビゲートする。
「イカロス、そのまま直進して。左奥の扉の先よ。そこに、監禁されている女性たちのグループがいるわ」
「了解だ、お嬢――邪魔だぜ、どきな!」
行く手を阻む閂のかけられた鉄扉。イカロスは背中のキャリアから引き抜いたハリガンバーの先端を、ドアの隙間に叩き込む。渾身の力で体重を乗せると、軋む音と共に閂とラッチが弾け飛んだ。抵抗を失った扉を蹴破り、部屋の中へと踏み込んだ。
そこには、突然の襲撃と暗闇に震え、互いの体温だけを頼りに身を寄せ合う数十人の女性たちがいた。
「……ッ、誰だお前ら! 警察か!?」
暗闇に目が慣れていない幹部が、震える手で拳銃を構える。だが、イカロスが引き金を引く方が何倍も早かった。銃声とも呼べない乾いた音が響き、幹部の胸をゴム弾が正確に撃ち抜く。
「……あがっ……!?」
男が崩れ落ち、脅威が排除される。イカロスは荒い呼吸を整えながら、ヘルメットに装着されたライトを付け、高解像度カメラを、ゆっくりと、祈るような沈黙が支配する部屋全体へと向けた。
「嬢ちゃん……見えているか? この中にいるはずだ」
ダイニングのディスプレイに、白く照らし出された現地の映像が映し出される。無数の女性たちが怯える部屋の隅。イカロスが向けるカメラのレンズが、一人の女性を捉えた。白髪の混じった乱れた髪、痩せこけた頬。だが、その面影に、彩香の魂が激しく震えた。
「あ……」
喉の奥が熱くなり、声にならない吐息が漏れる。疲れ果て、もはや希望すら忘れてしまったかのように呆然と立ち尽くすその女性。けれど、その姿は、彩香が地獄のような日々に何度も、何度も思い返してきた「お母さん」そのものだった。
「イカロス様! きっと、その人です……! 奥の、ボロボロの茶色のシャツを着た人……! 佐藤綾乃か、確認してください、お願いします!」
彩香の切実な叫びが、衛星通信を通じてイカロスのインカムを震わせた。
イカロスはライフルをスリングで背負い、大げさに肩をすくめて緊張を解いた。硝煙の匂いが立ち込める中、彼は一歩、また一歩と無骨な足取りで綾乃の前へと歩み寄る。
そして、戦場の鬼神とは思えないほど不器用で、しかし温かな微笑を浮かべた。
「……佐藤綾乃さん。だな? 迎えに来たぜ」
「はい……私が綾乃ですけれど。あの、あなた、は……警察の方……?」
「いや、俺はあんたの娘――彩香の『仲間』だ……会えて良かった」
その言葉が届いた瞬間。
綾乃の瞳に、せき止めていたダムが決壊するように光が戻った。彼女は枯れ果てたと思っていた涙を溢れさせ、崩れ落ちるようにその場に泣き伏した。
画面越しにその姿を見つめていた彩香もまた、堰を切ったように嗚咽を漏らし、膝をついてディスプレイに縋り付いた。
玲子は、泣きじゃくる彩香の背中にそっと、優しく撫でるように手を置いた。




