第三十二話 Z壊滅作戦
玲子はメリー人形の頭を撫でながら、報告を求めた。
「メリー。解析結果を頂戴」
『はい、綾乃様を監禁している組織の通称は“Z”。構成員1,000名。うち100名が中枢、残り900名は使い捨ての奴隷要員です。特殊詐欺、違法薬物の取り扱い、人身売買――あらゆる汚濁を煮詰めたような組織ですね。綾乃様は山の麓の偽装ホテルで、特殊詐欺の“かけ子”を強制されています』
「拠点は一つじゃないわよね?」
「世界中に点在しています。今、マッピングしますね」
ディスプレイに映し出された世界地図。東南アジアを震源地として、日本を含む主要都市に無数の光点が病魔のように広がっていく。
「Zの運営するサイトのセキュリティレベルは?」
『以前に壊滅させたパンドラ・グローバルと比較すれば、子供のおもちゃ程度です』
「そう。量子演算を使うまでもないわね。ありがとう、少し考える」
玲子は静かに目を閉じ、腕を組んだ。ダイニングは静寂に包まれ、彼女の思考を加速させる。数分後、玲子が目を開けた時、その脳裏には勝利の数式が完成していた。
「よし、決めた」
玲子が一つ目の指を立てる。
「一つ。ランサムウェアで『Z』の全サイトを暗号化。直後に『暗号を解いてほしければ、仲間の情報を差し出せ』というメッセージを中枢メンバー全員に送りつけて――ただでさえ少ない『信頼感』を『不信感』で盛大に煽るのよ」
二つ目の指を立てる。
「二つ。コアメンバーの個人情報を公開。差出人を『他のメンバー』に偽装してね。宛先は捜査機関、それから彼らにお金を振り込んだ“債権者”たち」
三つ目の指を立てる。
「最後。敵が互いを不信の渦に巻き込まれて、混乱が頂点に達した瞬間に、ウルフパックを突入させる。綾乃さんを確保した後、即座にマスコミと警察を呼び込みなさい……世界中に面白い観劇をみせてあげましょう」
不敵に笑った後、玲子はいたずらを思いついた子供の様な表情を見せた。
「マリー、メリー。私からのプレゼントを配ってきてくれる?」
「はい、玲子様。プレゼントの投函口は、すべてこじ開けました」
「まかせて! ……全拠点にプレゼントを届けてきたよ!」
玲子は満足げに頷くと、最後の一人に視線を向けた。
「クロサワ。マスコミと警察の扇動はできるかしら?」
クロサワは眼鏡の端を指先で上げ、静かに一礼した。
「お嬢様にお出しするコーヒーを淹れるよりも、容易なことです……では、少し風を吹かせて参ります」
そう言い残し、クロサワは影のように音もなくダイニングを去っていった。
その場に残された彩香は、震える手で膝を握りしめていた。彩香の母を攫った「Z」という巨大な悪の帝国が、玲子の一言で、まるで砂の城のように崩れ去ろうとしている。
「彩香は、お母さんをお迎えに行く準備をしておいて」
「は、はい!」
彩香が見た玲子の微笑みは、どこまでも優雅で、そして、神々しいまでに美しかった。
――イカロスが救出任務のために発ってから二日後。
並んで腰を下ろした玲子、クロサワ、そして彩香の三人は、一様に通話用のインカムを装着し、壁一面のディスプレイを凝視している。そこに映し出されていたのは、熱帯の湿った空気を切り裂くような、静謐なまでの殺気だった。
画面の中、漆黒のタクティカルギアを纏い、深い彫りを湛えた完全武装のイカロスが立っている。その後ろには、彫像のごとく微動だにせず整列したウルフパックの精鋭五名。さらに背後では、巨大な輸送ヘリがローターを静かに回転させ、獲物を待つ怪鳥のように沈黙していた。
「お嬢……こっちはいつでもいけるぜ」
スピーカー越しに届くイカロスの声は、低く、重い。
「こちらの準備も整っているわ。それじゃ、始めましょうか」
玲子の声は、あくまで平熱。日常の挨拶を交わすような軽やかさで、彼女は死刑宣告とも言える作戦を口にした。
「作戦は先ほど伝えた通り。私の合図と同時に、ヘリで拠点まで近づいて屋上から強襲――いいわね?」
「イエス・マム!」
六人の屈強な男女の返声が、一つの咆哮となってダイニングに響く。
「……私は軍隊の司令官になった覚えはないのだけれど。まあいいわ、そのまま待機していて」
「イエス・マム!!」
玲子はディスプレイに向けて一度だけ片手を上げると、傍らに置かれたメリーとマリー人形に向き直った。その瞳に昏い光が宿る。
「メリー、以前送り付けた『プレゼント』の箱を、すべて開けて。マリー、箱が開くと同時に、Zの幹部たちの個人情報を公開。関係各所へ、丁寧に『ギフト』を添えて送付して」
「玲子様。すべてのプレゼントをオープン……全拠点のサーバーリソースが暗号化されました。Zのネットワーク、完全に沈黙」
メリーの無機質な声が、終焉の鐘を鳴らす。
「玲子ちゃん、お待たせ! 個人情報の公開も完了。今頃、世界中の警察と、彼らにご執心の『お友達』の元に、可愛いプロフが届いているはずだよ!」
「ありがとう……さあ、Zのお偉いさんたちがパニックに陥るまで、あと三〇秒」
玲子は腕時計に目を落とし、カウントダウンを始めた。
横に座る彩香は、自分の心臓の音がうるさいほどに鳴り響くのを感じていた。彩香の願いが、今、彼方の大地を裏側から動かしている。
「――十、九、八……」
玲子の唇からこぼれる数字は、救出のカウントダウンであり、一つの犯罪組織が地図上から消滅するための弔鐘だった。
玲子のカウントダウンが刻まれるその裏側で、世界は一変していた。
東南アジアの国境沿い。密林に潜む「偽装ホテル」の大部屋では、数十人の『かけ子』たちが、無機質なモニターの光の中で、日常という名の犯罪に勤しんでいた。
だが、その静寂は断末魔のような叫びによって引き裂かれた。
「なんだ……!? 画面が……真っ赤だぞ!」
保守点検中のエンジニアが、狂ったようにキーボードを叩きながら絶叫する。
「暗号化されている!? サーバーが死んだ!」




