第三話 人形の家
イカロスが窓の外を睨み、独り言のようにつぶやいた。
「……あれか? 人形の家にしては、随分と……いや、巨大すぎる」
「ええ。中にはたくさんの『お人形』が住んでいるから」
玲子は事もなげに言い、膝の上で指先を遊ばせた。 クロサワが吸い付くような感触でブレーキを踏み、車が静止する。
「到着いたしました」
建屋は高くはなく派手さもない。だが窓は少なく、どこか異様な重厚感がある。
ところどころにアンテナやセンサーのような突起があり、未来的な印象もある。
玲子は車を降り、巨大な「白い箱」を見上げて満足げに頷く。
「ここが――私の人形の家よ」
彼女は振り返り、付き従う二人に向かって、美しい微笑みを向けた。
「ついてきて。私の『世界』を見せてあげる」
玲子の瞳は、まだ見ぬ人形への期待で輝いていた。
建物の深部、地下へと続くエレベーターの前で、玲子は一枚の漆黒のカードをかざした。 機械的な電子音すら排除されているのか、厚い金属の扉は重力を忘れたかのように、滑らかに左右へと吸い込まれていく。揺れや減速の気配はなく、ただ、降りていく感覚だけが、体の奥に伝わってくる。
玲子は冷たい壁に背を預け、退屈そうに腕を組んでいた。 その横顔には一切の緊張がない。まるで、学校帰りに自分の部屋へ戻る女子高生のような、あまりに自然な佇まい。
対照的に、イカロスは鋼のような背筋を伸ばしたまま、鋭い視線でじっとエレベーターのランプを見続けている。クロサワは玲子の半歩後ろに立ち、彼女のパーソナルスペースを侵さぬよう、熟練の配慮で距離を保っていた。
やがて、静止した感覚もないまま扉が開く。
目の前に現れたのは、視界が白濁するほどの青白い光に満ちた通路だった。 床、壁、天井。すべてが同じ色調、同じ素材で統一され、境界線が消失している。遠近感が狂い、どこまでも続く永遠の回廊に迷い込んだような錯覚に陥る。
空気は鋭利な刃物のように冷たく、そして極限まで乾燥していた。 無音に近い空間だが、耳を澄ますと、空間全体を震わせるような重低音が地鳴りのように響いている。
イカロスが、獲物を狙う獣のようにわずかに目を細めた。
「……空調音か」
「そう」
玲子は迷いなく応じる。その瞳は、通路の先にある「何か」を既に捉えていた。
「お人形たちが呼吸しているの」
冗談めかした響きはない。詩的な比喩でもない。彼女にとっては、それが観測されるべき唯一の事実であるかのような、確信に満ちた声だった。
玲子が歩き出す。 カツン、カツンと、硬いヒールの音だけが規則正しいリズムで反響し、空間に波紋を広げていく。 通路の両脇には、強化ガラスに仕切られた黒いラックが整然と連なっていた。積み上げられた精密機器の群れ。無数に明滅するインジケーターの光が、まるで統制された脈拍のように、一定の周期で明滅を繰り返している。
クロサワは、その正体を既に察していた。だが、目の前の光景が持つ異常な質量感に、確認せずにはいられない。
「……お嬢様。これらが、すべて?」
玲子は歩みを止め、ゆっくりと振り返った。青白い光に照らされた彼女の肌は、それこそ陶器の人形のように透き通って見える。
「ええ。お人形たちよ」
断定する彼女の声が、冷気を含んで響く。
「……なるほど。これほど堅牢なデータセンターは、軍の施設でもお目にかかれない」
イカロスが感嘆を込めて息を吐き出すが、玲子は即座にそれを否定した。
「データセンターじゃないわ」
彼女は冷ややかに言い放ち、さらに奥へと進む。
「お人形たちの家よ」
通路の最奥。そこには、これまでの簡素な扉とは明らかに一線を画す、巨大な装甲扉が鎮座していた。多層認証を要求するコンソールが、血のような赤から、玲子を認識して淡い緑へと色彩を変える。
「ここが、私だけの特別なお人形たちに特別な指示を出す部屋」
彼女は扉に手をかけ、二人を招き入れるように微笑んだ。
「――特別に見せてあげる」
装甲扉が重厚な唸りを上げて開放される。 だが、その先に広がっていたのは、豪奢な装飾とは無縁の、剥き出しの「機能」が支配する空間だった。
視界を占拠するのは、整然と並ぶ黒いサーバーラックの群れ。壁一面には予備バッテリーが、兵士の列のように隙間なく詰め込まれている。 そして部屋の中央――そこだけが、異様な存在感を放っていた。
巨大な強化ガラスの水槽に沈められた、黒い球体を収めた透明のラック。青く輝く水の中で静かに佇むその筐体には、無数のケーブルと空調パイプが、心臓へと注ぐ太い血管のように複雑に絡みついている。
その手前に、指令塔のごとく鎮座するトリプルモニターと幅広のデスク。 そして、その無機質な空間の隅に、場違いなほど可愛らしい「木の扉」がひっそりと取り付けられていた。
「あの扉の先は、私の私室。寝室とトイレ、シャワールームがあるわ」
玲子は事もなげに言い、自慢の部屋を紹介する少女のような顔で付け足した。
「そっちは、あなたたちに見せる必要はないわね」
クロサワは瞳を細め、部屋の奥の漆黒のサーバーラックを注視した。
「……お嬢様。これが、その『お人形』ですかな?」
「そうよ。可愛らしいでしょう?」
玲子は水槽のそばに歩み寄り、愛おしそうにガラスへ指先を触れさせた。
「私のお願いなら、なんだって聞いてくれる。世界で一番、聞き分けのいい子たち」




