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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第二十九話 訪問

 ――彩香が休むバンガロー。

 玲子はクロサワとイカロスを伴って扉の前に立っていた。


 クロサワが、年長者らしい穏やかな手つきで扉を叩く。

 「佐藤彩香様。不躾に失礼いたします。玲子様の執事をしておりますクロサワと申します。お体の具合はいかがでしょうか。お疲れのところ恐縮ですが、お嬢様がお見舞いをとおっしゃいまして」


 数瞬の、ためらうような沈黙。

 「……鍵は、開いています。どうぞ」


 入室した玲子の目に飛び込んできたのは、キャンプ場のバンガローには不釣り合いなほど白く、高級な羽根布団に埋もれた彩香の姿だった。彼女はまだ現実を受け入れきれない様子で、呆然と玲子たちを見つめている。


 クロサワは「つまらないものですが」と、宝石のようにカットされた高級フルーツの皿を枕元へ置いた。


 「彩香さん、気分はどう? 少しはお話しできそうかしら?」

 「……はい。おかげさまで、だいぶ」


 「それは良かった! あのね、あなたに一つだけ伝えておきたいことがあって来たの」

 玲子の明るい声に、彩香の肩がピクリと跳ねる。


 「な、なんでしょうか……?」


 「あなたを狙っていたスカル・ラッツのこと……昨晩のうちに、もう殲滅せんめつしておいたわ。今日からはもう、誰に怯えることもなく、足を伸ばして眠れるわよ」


 「え……?」

 彩香の思考が停止する。たった一晩。あのアリ地獄のような恐怖が、跡形もなく消えたというのか。


 玲子は笑みを浮かばせながら、茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。

 「本当なの。嘘だと思うのなら、私のお母様に聞いてみてね」

 だが、その直後――笑顔を捨て、真剣な表情で、ただ真っ直ぐに彩香を見据えた。

 「ここから本題に入らせてもらうわね。ねえ、彩香。あなたのお母さんに会いたい?」


 彩香の息が止まった。全身が石のように固まり、ほどなくして、目から一筋の涙が溢れる。

 「約束するわ。私の仲間になってくれるなら、必ずお母さんに会わせてあげる」


 玲子はそれ以上の言葉を口にしなかった。ただ、データセンターの住所と連絡先が記された、無機質な一枚のメモを差し出しただけだ。


 「決心がついたら、ここへいらして。歓迎するわ……それじゃあ、お大事にね」

 嵐のような去り際だった。 バンガローを出た後、イカロスが少し意外そうに玲子の背中に声をかける。

 「お嬢、良かったのか? あのまま契約書にサインさせちまっても良かったんだぞ」


 「あれでいいのよ、イカロス。恐怖を利用してサインさせるのは意味がないわ。彼女が自分で答えを出して、自分の足で扉を叩くことが重要なの」


 玲子は眩しそうに空を仰いだ。

 「大丈夫。彼女は必ず来る……だって、他に道はないもの」

 空から二人に視線を戻すと、何かを思いついたように、いたずらっぽく告げた。

 「……そうだ。彩香にサプライズを用意するわ。クロサワ、数日留守にするから組織の面倒をお願いね」


 ――それから一週間後の土曜日。

 灰色の雲が広がる空の下。一人の少女が、白亜のデータセンターの巨大な扉の前に立っていた。 震える手で、あの日受け取った紙を握りしめて。


 扉の前でキョロキョロとしていると、ふいに重厚な扉がプシュッと音を立てて開いた。

 「お待ちしておりました――どうぞお入りください、佐藤彩香様。1週間ぶりですね」


 扉の奥で深く一礼したのは、あの日の執事、クロサワだった。 彩香は小さく頷き、彼に導かれるように中へと足を踏み入れた。入った瞬間に感じたのは、サーバーを冷却するための乾いた、冷たい空気。それは、外界から完全に遮断された異界の気配だった。


 青白く照らされた無機質な廊下を進むと、巨大なエレベーターが鎮座していた。クロサワがカードをかざすと、扉が音もなく左右に開いた。


 「どうぞ。この先でお嬢様がお待ちしております」


 彩香はおっかなびっくり乗り込むと、エレベーターは静かに地下へと沈んでいった。密室に広がる沈黙に耐えきれず、彼女は震える声で尋ねた。


 「あの……私はここで、どのようなことをするのでしょうか。私に、何かできることがあればいいのですが……」


 その問いは想定内だったのだろう。クロサワは穏やかに微笑み、軽く頷いた。

 「彩香様の、やりたいことをなさればよろしいかと」


 「えっ……?」

 (クロサワ様、本当にそう思っている……)

 彩香が混乱するのをよそに、エレベーターは静かに停止した。

 「さあ、着きました。詳しいことはお嬢様がお話しくださいますよ」


 地下の廊下を歩き出した彩香は、ふいに足を止めた。 乾いた空気が流れる地下。そこから腹の底をくすぐるような、たまらなく良い匂いが漂ってきたからだ。


 「ここって……?」

 戸惑う彩香の前で、キッチンの自動扉が開く。 そこにいたのは、司令官でもオーナーでもなく、淡い色のエプロンを纏い、真剣な表情で巨大なフライパンを振る玲子だった。ダイニングには、巨体を揺らして玲子の手元をじっと見つめているイカロスの姿がある。


 「あ、彩香! 来てくれたのね」

 玲子が顔を輝かせ、弾むような声で言った。

 「ちょうど今、お昼ごはんを作っているところなの。そこの二人と一緒に座って待ってて」


 イカロスが彩香に気づき、野獣のような顔をニッと綻ばせた。

 「一週間ぶりだな。歓迎するぞ、嬢ちゃん。俺はイカロス、よろしく!」

 マリーとメリーもイカロスに続く。

 「彩香ちゃん、ようこそ!」

 「歓迎します。よく来てくださいましたね」


 彩香は椅子に座ろうとした手を離し、一歩後ずさる。

 「うそ……? お人形さんがしゃべった?」

 なぜかイカロスが誇らしげにマリーとメリーを紹介する。

 「ああ、マリーとメリーというんだ。普通にしゃべれるぞ。お嬢お気に入りの人形たちだ」

 彩香は毒気を抜かれたように、恐る恐るイカロスの対面に腰を下ろした。すると、いつの間にか背後に回っていたクロサワが、透き通った琥珀色のコーヒーをそっと差し出した。


 「あ、ありがとうございます……あの、どうして、こんな……」

 (クロサワ様とイカロス様からは、心からの歓迎の気持が伝わってくる……)

 昨日までの一週間の葛藤。それが、この一杯のコーヒーの湯気の中に溶けて消えていくような錯覚に、彩香はますます混乱の深淵へと沈んでいった。


「お待たせ。自信作よ」


 玲子がにこやかに運んできた大皿には、湯気を立てる野菜炒めが山盛りになっていた。香ばしい醤油の香りと、油を纏って宝石のように輝く野菜の色が、食欲を激しく揺さぶる。 クロサワとイカロスが、示し合わせたような流れる動作で、炊き立てのご飯と味噌汁を配膳した。


 「まあ、まずはご飯を食べてからゆっくり話しましょうか」

 玲子は彩香のすぐ隣に、クロサワはイカロスの隣に腰を下ろした。

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