第二十八話 雅への報告
――高く上がった太陽が、廃ホテルのひび割れたアスファルトを白く照らし、玲子の眠る「シロ」の車内にも柔らかな光が差し込んでいた。
玲子は重い瞼をこすりながら、ゆっくりと身体を起こした。
「……おはよう。って、もうお昼なのね」
すぐさま、マリーとメリーの明るい声が、眠気を追い払うように響く。
『おはよう、玲子ちゃん! ぐっすりだったね!』
『玲子様、おはようございます。昨晩の疲れ、少しは癒えましたか?』
「ええ、ありがとう」
二体の人形の頭を優しく撫で、玲子は窓の外へと視線を向けた。 そこには、昨夜の戦場が嘘のような光景が広がっていた。クロサワ、イカロス、そしてウルフパックの五人が、折り畳み椅子に腰掛け、和やかに談笑している。
だが、そこには雅から派遣された「ブルーム」と「ダストパン」の姿はなかった。彼らは夜明けと共に、目的の「荷物」を抱えて音もなく去っていったのだろう。
玲子はキャンプウェアに手早く着替え、ドアを開けて外の空気を吸い込んだ。主の登場に気づいた瞬間、談笑していた一行が弾かれたように立ち上がり、一糸乱れぬ所作で敬礼を送った。なぜかクロサワまでが、楽しげにその列に加わっている。
「……そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。そのたびに背筋が伸びる思いがするから」
苦笑しながら手でそれを制すと、イカロスが野獣のような体躯を揺らし、一歩前に出た。
「お嬢、昨晩は大変だったな。よく眠れたか?」
「ええ。おかげさまで。今はすっきりしているわ」
「それはよかった……さて、お嬢に朗報がある。ウルフパックの連中がな、正式にBlack Wellに加わりたいと言い出した。決して昨夜のカレーの味が忘れられないから、という理由だけではないそうだぞ」
イカロスの言葉に、ウルフパックの面々が照れくさそうに、だが力強く頷いた。
「……お嬢様のあのお声、そしてあのカレー。俺たちの牙を預ける先は、ここしかないと確信しました」
玲子の顔が、ぱっと輝いた。
「本当に? とても心強いわ……皆様、どうかよろしくね。これからは私のファミリーよ」
一通り自己紹介が終わると、イカロスがこれからの実務について提案した。
「しばらくはこの廃ホテルを拠点にして、彼らにスカル・ラッツの連中を徹底的に鍛え上げさせようと思うんだが、どうだろうか。あいつらを『動ける手足』にすれば、お嬢も楽ができるだろう?」
「それは、いい考えね。お願いするわ。あとの細かいことは……そうね、追々決めていきましょう。あらためてお願いします!」
玲子はウルフパックのメンバーに、ぺこりと可愛らしく頭を下げた。
メンバーたちは玲子に対して再び深い敬礼で返した。
「……さて。ご飯を食べたら、彩香さんの様子を見に行かなくちゃ」
玲子の呟きに反応したクロサワが、静かにサンドイッチとティーセットの準備を始めた。Black Wellの真の活動は、この穏やかな昼下がりから静かに始まろうとしていた。
――4Sプライベートキャンプ場、厳重に鍵の閉められたバンガローの中。 外の喧騒を遮断した静寂の中で、雅と玲子は二人きりで向き合っていた。雅は感情を削ぎ落としたような無表情、玲子はいつもの穏やかな「お嬢様」の表情だ。
「お母様。昨晩の『お土産』は、お気に召したかしら?」
玲子の問いに、雅の唇がわずかに弧を描いた。
「ええ……とても。あの男、意外と面白い情報を隠し持ってそうだし、『遊び甲斐』がありそうだわ」
「それはよかった……それで、代わりと言う訳ではないんだけど、お母様から借りているあの『ドブネズミ』、正式に私に飼わせてもらえないかしら? 少し、実験に使いたいの」
それを聞いた雅の瞳に、ギラリとした嗜虐的な光が宿った。彼女は満足げに、愛おしそうに玲子の頭を撫でる。
「あらあら、玲子。あなた、あんな汚らわしいもので『実験』だなんて……ふふ、そんな趣味があったのね。それなら良いわよ、あげるわ」
(――お母様の考えているような実験ではないけどね)
玲子は心の中で小さく苦笑した。玲子がしたいのは「社会のシステムをハックする組織」の運用実験であって、拷問や解剖ではない。だが、雅の機嫌が良いのであれば、その誤解を解く必要もなかった。
話題を、別のバンガローで保護されている彩香へと移す。
「あとね、佐藤彩香さんをBlack Wellのメンバーに加えたいと思うの。お母様はどう思うかしら?」
「あら、あの子が自分から入りたいと言えば構わないわよ。そんなこと、私に許可を取るほどのことでもないでしょうに」
雅は興味なさげに言った。彼女にとって、彩香は「玲子のお気に入り」という記号に過ぎない。
「ありがとう、お母様。それでは、さっそく彼女のところへ会いに行ってみるわね」
雅に見送られ、玲子はバンガローを後にした。 これから、昨夜の惨劇と奇跡の狭間で目を覚ましたであろう彩香の元へ。




