第二十七話 一流の支配
――以前、なにげなく正人が玲子に言った言葉が脳裏によみがえった。
――4Sの会長室にて。
「玲子、お前に支配哲学を教えてやろう」
上機嫌な父が玲子に伝えた言葉。
「力で支配する者は三流。人心掌握で靡かせる者は二流……敵対する者の論理を解析し、その逃げ道を全て塞ぎ、自らの服従を切望させる者こそが一流だ」
「……プロフェッサー。あなたの『三流の支配』を、私の『一流の支配』で塗り替えてあげるわ」
――30分後。
イカロスから作戦完了の報告が入った。
「お嬢、拠点は全て制圧した。親玉の『ぷろふぇっさー』だったか? お嬢と話したいそうだが、どうする?」
「さすがプロね……仕事が早いわ。あと、プロフェッサーに伝えておいて。『くず』とは話す気はないってね……それよりスカル・ラッツのメンバーをロビーに集めておいて。ちょっとした演説をするから」
言い終わると、玲子は高級感のあるヘッドセットを頭に付けた。
――廃ホテルのロビーに集められたスカル・ラッツのメンバーたち。 暗闇の中、ドローンがプロジェクターで投影した「Black Well」のロゴだけがロビーの壁に青白く浮かび上がり、そしてドローンの全方向スピーカーから玲子の、鈴の音のように澄んだ声が響き渡る。
「……皆さん、こんばんは。私はBlack Wellのオーナーよ。混乱しているでしょうけれど、落ち着いて私の話を聞いて。あなたたちには今、二つの選択肢があるわ」
わざと間を空けて、玲子は選択肢を告げる。
「一つは、私の組織に入って私の庇護を受けること。もう一つは、このまま警察に引き渡されること。好きな方を選びなさい」
ざわつく男たちを遮るように、玲子はクスクスと、だが冷ややかに笑った。
「一応言っておくけれど、日本という国は犯罪者にはとても厳しいわ。前科、実刑、社会的な静かな死……刑期を終えた後、まともな職に就けず、世間に石を投げられながら生きる人生。それがあなたたちの選択可能な『未来』よ……ねえ、まともな人生が送れるといいわね?」
絶望がロビーを支配する。玲子は片方の選択肢が「社会的な死」しかないことを淡々と告げた。
「私は、あなたたちの側に転がっている『くず』のように、恐怖や暴力であなたたちを縛るつもりはないわ。私のゲームに付き合ってくれるのなら、あなたたちの人生の質も、再就職先も、私が責任を持って考えてあげる」
「ただし――」
声の温度が、一瞬で絶対零度まで下がる。
「裏切った時は、死んでもらう。それも、ただの死じゃない。この世に存在した痕跡ごと、綺麗に清掃させてもらうわ……あなたたちの後ろにいる『専門家』たちがね」
闇の中から、雅から派遣された二人の清掃員が、無機質な視線でメンバーたちを射抜く。
「私のゲームはね、社会のシステムを食い物にしている、肥え太った『本物の悪党』を抹殺すること。面白そうでしょう? 世の中を必死に回してくれている、つまらない善人たちをターゲットにする気はないわ……私と一緒に、この腐った世界をハックしてみない?」
沈黙。そして、一人の若者が震える声で叫んだ。
「……助けて、くれ……俺、奴に脅されてただけなんだ……俺、あんたのゲームに参加したい!」
「俺もだ!」
「警察は嫌だ、助けてくれ!」
一人、また一人と、彼らは自らの意志で膝を突き、闇の中にいるはずの「新しい主」に救いを求めた。全ての逃げ道を塞がれた彼らは、今や服従を「切望」し始めていた。
玲子は演説を終えると、ヘッドセットを頭から外し、脇にどけた。
「ふう、演説終わり。クロサワ、どうだったかしら?」
「お世辞抜きで名演説でしたな。私が彼らの立場でしたら一番にお嬢様に服従を誓うでしょう」
「それはよかった……もうひと仕事ね。クロサワ、カレー作るから手伝って……材料足りるかしら?」
クロサワは玲子をまるで孫娘をみるような目で慈しんだ。
「もちろんですとも……材料の心配も必要ありません。籠城戦も可能なよう食糧スペースに、たんまりと積んであります」
――2時間後。
若者たちが跪き、ロビーが嗚咽と懇願に包まれる中。 「シロ」の後部にあるキャビンモジュールから、張り詰めた空気を和らげるような、芳醇で温かなスパイスの香りが流れ込んだ。
「――お前ら、オーナーの温情に感謝しろ。ここからは契約の話だ」
イカロスが大鍋二つを運び出し、無造作にロビーのテーブルの上へ置いた。ブルームとダストパンの二人が、流れるような動作で紙皿を並べ、黄金色のカレーを盛り付けていく。
「Black Wellはプロの集団だ。お前らを『家畜』としてではなく、『牙』として育てる。一日7時間勤務、週休2日。残り5日の内、1日は自由行動。夏休みと冬休みはそれぞれ二週間だ」
絶望の淵にいた若者たちの前に、湯気を立てる一皿が置かれる。
「……え? 休みがあるのか?」
「嘘だろ、ここじゃ寝る間もなかったのに……」
「冬に実家に帰れるかな……?」
イカロスは鋭い眼光で彼らを射抜いた。
「勘違いするな。これは最高のパフォーマンスを出すために用意したものだ。オーナーのゲームは遊びじゃない。心身ともに磨かれた牙でなきゃ、一秒で死ぬことになる……まずは黙って食え」
若者たちは、震える手でスプーンを握った。一口食べた瞬間、暴力と恐怖で麻痺していた味覚に、玲子の慈愛(と、隠し味の計算尽くされた旨味)が爆発する。
「……うめぇ……うめぇよ……っ!」
誰かが泣き出し、それは瞬く間に全員へと広がった。温かい食事が、彼らの凍りついた心を溶かし、論理を超えた忠誠心を胃袋から刻み込んでいく。
その様子を「シロ」の中から見届けていた玲子は、優雅にカップを置いた。
「クロサワ、後始末をお願いね……『檻』の準備はいいかしら?」
「ええ。ブルームとダストパンが、すでにプロフェッサーを“梱包”しております。青木様を通じて、奥様への最高の手土産になるでしょう」
玲子は満足げに頷くと、モニターに映る「新しい兵隊」たちの姿を見つめた。今夜、一つの犯罪組織が消滅し、Black Wellに飲み込まれた。
その後、玲子は思い出したようにクロサワに指示を出す。
「クロの中の彼は解放して廃ホテルに移して」
クロサワは一礼し、玲子に尋ねた。
「奥様には何と?」
「私から話すわ……少し考えがあるの……マリー、メリー、ホテルのリノベーション・プランを策定しておいて。ここを正式に買い取って、私たちの『城』の一つにしたいわ……ひと眠りした後、彩香にも会いに行く」
人形たちの了解の言葉を聞きながら、一度大きく伸びをする。
「働きすぎね……」
愚痴ともつかない呟きを一つした後、玲子はロフトのベッドの中で深い眠りについた。
夜明けの光が、廃ホテルの窓から差し込み始める。Black Wellの長い夜は、最高の勝利と共に幕を閉じた。




