第二十六話 廃ホテル
「それでは、お母様。またすぐにお会いしましょう」
玲子が別れの挨拶を告げようとした瞬間、雅がそっと彼女を抱き寄せた。絹のように滑らかなルームウェアの感触と、甘い香水の香りが玲子を包む。
「ええ。玲子、私のお友達を助けてくれて本当にありがとう……このお礼は……」
今回の救出劇がよほど雅を満足させたのか、お小言は一切なかった。彼女は嬉しげに玲子を手放すと、不意に何かを思いついたように手のひらをぽんと叩いた。
「そうだわ。青木さん、玲子にベテランの『清掃員』を二名ほど融通してあげて……玲子、これからのあなたには、きっと役に立つはずよ。クロサワ、青木に“清掃場所”を教えてあげてね」
「「承知いたしました」」
クロサワと青木は雅に一礼を捧げた後、傍らで声を潜め、事務的に、だが迅速に「合流地点」の打ち合わせを始めた。雅が提供する清掃員――それは死体処理から証拠隠滅、あるいは「人間を人間でなくす」工程のプロフェッショナルであることを、その場にいる全員が理解していた。
「それでは、お母様。行ってまいります」
玲子とクロサワは雅に見送られながら、静かに「シロ」へと乗り込んだ。 先行するのは、イカロスが運転し、拉致犯の一人を助手席に転がしたワンボックス「クロ」。その後ろを「シロ」が音もなく追随する。
バックミラーの中で、雅と青木の姿が夜の闇に溶けて消えていく。
マリーが玲子に話しかけた。
『玲子ちゃん、廃ホテルの構造スキャン完了したよ……なんか、地下に嫌な空間があるみたい。そこにたくさんの影が映っている』
メリーがマリーの補足をする。
『どうやら廃ホテルの地下駐車場を拠点に改造して使用している模様です。男性21名、女性10名の集団を確認。ほぼ全員、若者ですね』
スピーカー越しにイカロスの声が響く。
『お嬢、俺の元部下たちにも召集をかけた。カレーの交換条件を付けられたが5人全員集まってくれるぞ』
「嬉しい援軍ね……カレーの件は了解したわ。彼らを廃ホテル裏門に集合させて。クロサワ、清掃員の二人も同様に廃ホテルの裏門へ」
『了解』
「承知しました」
二人は短く了承を玲子に伝える。クロサワはダッシュボードに添え付けたスマホを通じて依頼を出していた。
玲子は一度、着替えスペースで動きやすいキャンプウェアに着替えなおした。後部座席に座ると襟を正し、冷静な指揮官の顔で前方の闇を睨んだ。
「今夜、スカル・ラッツは消滅する……Black Wellの最初の『出城』として、あのホテルを綺麗に塗り替えましょう」
漆黒の森を、二台の死神が駆け抜けていく。50キロ先、自分たちの運命が尽きようとしていることも知らずに、廃ホテルのドブネズミたちは、まだ泥のような眠りの中にいた。
――夜明け前の廃ホテル裏門。 深い闇の中に数条の鋭い光が差し込んだ。 先行する「クロ」と、その後ろに静かに佇む「シロ」。
エンジンを切った「シロ」のドアが開き、キャンプウェアを纏った玲子が地上に降り立つ。その背後には、抜身の刀のような鋭さを放つクロサワ。
闇の中から、一台、また一台とバイクやオフロード車が颯爽と集結した。
「――隊長、お待たせしました」
軍用バイクやオフロード車から降り立ったのは、筋骨隆々とした五人の男女。イカロスの元部下たちだ。彼らは玲子の姿を一瞥し、その年若さに一瞬驚きを見せたが、彼女の纏う「支配者」のオーラを見て、即座に敬礼を送った。
イカロスが彼らの前に立ち、玲子に紹介した。
「お嬢、全員揃った。部隊のコールサインはウルフパック」
玲子は彼らに深く一礼する。
「玲子です。ウルフパックの皆様、夜分に集まっていただいて本当にありがとう。仕事が終わったらカレーを振舞うので楽しみにまってて下さいね」
玲子の言葉に、傭兵たちは色めき立った。
「30分で終わらせてしまったら、カレーを煮込む時間がなくなってしまいますかね?」
ウルフパックメンバーはそう言いながら、どう猛な笑みを浮かべた。
さらに、別の闇から二人の中年男性が歩み寄る。雅から派遣された「ベテラン清掃員」だ。
「青木様より伺っております……私はブルーム、彼はダストパンとお呼びください。後始末は、我らにお任せを」
玲子は二人にも深く一礼した。
「ありがとう。頼りにしてるわ」
「お嬢、行ってくる。指示はスマホ越しで送ってくれ……クロサワの旦那、どうかお嬢の護衛を頼む」
「わかったわ」
「任せなさい」
玲子とクロサワはシロに戻り、状況を確認する。
「マリー、メリー。状況は?」
『ドローン1号・2号でホテル全域を包囲中! 鼠一匹逃がさないよ』
『6号機、地下駐車場でEMP照射スタンバイ……玲子様、合図を』
玲子は小さく、だが厳かに命じた。
「始めて……まずは彼らの『光』と『繋がり』を奪って」
直後、目に見えない電磁波の衝撃が地下の電源とWifi設備を襲った。 パッと消える照明。沈黙する通信機器。深夜の拠点が、完全な「情報の空白地帯」へと叩き落とされる。
続いてイカロスに指示をだした。
「突入……一流の仕事を見せて頂戴」
『了解だ。お前ら、いくぞ!』
イカロスを先頭に、黒い影たちが音もなく廃ホテルの深淵へと吸い込まれていった。
彼らは最新鋭の暗視ゴーグルを装着し、獲物の位置を完全に把握している。一方のスカル・ラッツたちは、スマホのライトすら点かない「絶対的な暗闇」の中で、ただ互いの存在を確かめようと醜く叫び合うことしかできなかった。
「な、なんだ!? 停電か!?」
「電波が入らねえ! 教授、教授ッ!?」
パニックが地下全体に伝染する。そこへ、ウルフパックが死神の如き正確さで忍び寄る。 フラッシュライトの閃光が闇を切り裂くたびに、スカル・ラッツのメンバーが、声も上げられず沈黙させられていった。
打撃、拘束、制圧。プロの傭兵にとって、混乱した素人集団を無力化するのは、まさに「掃除」に近い作業だった。
――その頃、シロの車内。
『スカル・ラッツのリーダー、プロフェッサーについてです。彼はメンバーの“弱み”を握り、“脅迫”の力で支配を行ってきたようです』
玲子は廃ホテルの方を見つめながら、興味なさそうにメリーに返す。
「……三流の支配者ね。どの道、二人の王はいらないわ。消えてもらいましょうか」




