第二十話 プライベート・キャンプ場
――4Sグループが福利厚生の一環として運営する、プライベート・キャンプ場。
秋の柔らかな日差しが木漏れ日となって降り注ぐ森の中、一台の白いミニバンが音もなく受付の駐車場へと滑り込んだ。
「お嬢様……申し訳ありませんが、目を覚ましてください。到着しましたぞ」
後部座席の高級シートで微睡んでいた玲子は、ゆっくりと瞼を持ち上げ、覗き込んできたクロサワを見つめた。
「……あら、ごめんなさい。眠っていたわ。なんだか、この車……驚くほど寝心地がよくて」
軍用プロトタイプのサスペンションと、マリーがミリ秒単位で調整するアクティブ・バイブレーション・キャンセリング。一億円の対価は、玲子に「揺り籠」のような安らぎを与えていた。
山の上の方から、小鳥のさえずりをかき消すような、子供たちの陽気なはしゃぎ声が聞こえてくる。 玲子はまだ少し重い目をこすりながら、坂の上を仰ぎ見た。
「挨拶に行きましょう。みんな、ついてきて」
「はっ。お供いたします」
「了解だ」
三人は緩やかな坂道を上り、色づき始めた木々の間を抜けた。 開けた広場には『清流の集い』と手書きされた横断幕が掲げられ、そこには三十人ほどの子供たちと、数人の大人が賑やかに昼食の準備を整えていた。
その中心に、一人の女性がいた。 子供たちの目線に合わせて屈み、眩いばかりの笑顔を振りまいている。
長く透き通るような黒髪、慈愛に満ちた柔和な顔立ち、そして吸い付くような白い肌。質素なアウトドア用のカジュアルウェアに身を包んでいるが、それがかえって彼女の浮世離れした美しさと、活動的な若々しさを際立たせていた。
「お母様、いたわね……あれで四十四歳よ。本当にびっくりね」
「……ああ、本当にな。二十歳だと言われても驚かない自信がある」
イカロスの率直すぎる感想に、クロサワも同意するように深く頷いた。
「いつまでもお若く、そして……底知れぬほどにお元気ですな、雅様は」
玲子が広場の中央へと歩みを進めると、子供たちと笑い合っていた雅が、ふっと顔を上げた。その視線が玲子を捉えた瞬間、慈愛の笑みがさらに深く、どこか逃れられない網のように広がった。
玲子は太陽のような眩い笑顔を浮かべ、両手を胸の前でしなやかに組んだ。
「ごきげんよう、お母様。みんなもこんにちは! とても元気そうね。素敵なことだわ」
玲子の登場に、広場は一気に華やいだ。子供たちがわっと駆け寄り、中にはその足に無邪気にしがみつく子もいる。その中心で慈愛を振りまく玲子の姿を見て、クロサワとイカロスは小声で密談を交わした。
「雅様もだが……お嬢も相変わらず、とんでもない人気だな」
「ですな。お二人とも、あれが完璧に計算された『演技』だとは、とても信じられません」
二人が見守る中、雅はまるで女神のような慈悲深い表情で、玲子をそっと抱き寄せた。周囲からは溜息混じりの歓声が上がる。
「見て……聖母様と聖女様が抱き合っていらっしゃるわ……」
その場にいる全員が、うっとりとした表情で二人の「聖なる母娘」を見つめていた。
――ただ一人、雅の死角に立つ、背の高いキャンプリーダーの女性を除いて。彼女は引きつった顔で必死に「笑顔」の形を作ろうとしていたが、その指先は小さく震え、膝は今にも崩れ落ちそうだった。
「玲子、来てくれたのね! 本当に嬉しいわ。見て、この子たちの笑顔を……」
雅は玲子の頭を優しく抱きかかえるようにして、その耳元へ、周囲には絶対に聞こえない速度と音量で囁いた。
「……今のは良かったわ。でも、もう少しだけ目元の筋肉を緩めて、穏やかにした方がいいわよ」
玲子もまた、太陽の微笑を崩さぬまま小声で返す。
「……ご指導ありがとうございます、お母様」
雅は満足げに玲子を離すと、鈴を転がすような澄んだ声で提案した。
「一緒に昼食はどうかしら? あちらのグループ、少し人手が足りないみたいなの。手伝ってくださる?」
「もちろん、喜んで。お母様」
いたたまれない様子でそのやり取りを見守っていたクロサワとイカロスだったが、雅の視線がこちらを向くコンマ数秒前に、プロの顔へと切り替えた。
「奥様、お元気そうで何より。この森の空気さえ、奥様のために澄み渡っているかのようですな」
「ええ。あなたも変わりないようね、クロサワ」
イカロスもまた、野生動物の鋭さを消し去り、洗練された騎士のように優雅に一礼した。
「雅様、ご無沙汰しております。本日も……いえ、今日が人生で一番お美しい」
雅は少しだけ、処女のようにはにかんで見せた。
「田中さんたら。そんなにお世辞を言っても、何も出ないわよ?」




