第十八話 玲子のキャンピングカー
――データセンター地下、いつもの昼下がり。
「Black Well用に、新しい車を発注したわ。納車は一か月後よ」
玲子はキッチンで、生姜焼きのタレを絡めたロース肉を手際よく炒めながら、機嫌のよい声で言った。 生姜と醤油、そして隠し味のにんにくが複雑に絡み合った香ばしい匂いが立ち上り、ダイニングの隅々まで幸福な空気を運んでいく。
ダイニングでお茶を飲みながら寛いでいたクロサワが、玲子に穏やかな視線を向けた。
「お嬢様。ガレージには社用車が何台も眠っておりますのに、あえて新規発注とは……ということは、相応に『特別な用途』があると見てよろしいですかな?」
玲子は嬉しそうに、山盛りの生姜焼きを載せた大皿をトレーに載せて、ダイニングへと足を進めた。
「ええ。キャンピングカーなのよ」
椅子に深く腰掛けていたイカロスが、訝しげに眉をひそめる。
「キャンピングカー……? お嬢、あんたのことだ。純粋に焚き火を囲んでキャンプを楽しむ……なんて、殊勝な目的じゃないよな?」
玲子はテーブルに皿を置く手を止め、きょとんとした顔でイカロスを見返した。
「え? キャンプも楽しむわよ。もちろん、それだけじゃないけれど」
そう言って、玲子は肩をすくめて見せる。
「お父様から委託研究費の名目で報酬も無事に振り込まれたし、懐には十分な余裕があるわ。もちろん研究はするわよ。キャンピングカーの中でも」
玲子は嬉しそうに笑いながら続ける。
「……せっかくだし、このメンバーでキャンプに行ってみない? 安心なさい、ちゃんと次の日は代休扱いにしてあげるから」
『代休』という甘美な響きに、イカロスはわずかに口角を緩めて立ち上がった。ご飯と味噌汁を配膳するのを手伝いながら、確信を込めて尋ねる。
「……移動訓練、ってことか?」
「それも目的の一つね。いろいろと、実戦的な機能を確認しておきたいのよ」
クロサワがボウルに盛られた千切りキャベツを、機械のような正確さで皿の端へ移し替えながら、興味深げに相槌を打つ。
「ほう。一体どのような仕様ですかな?」
「移動しながら、あらゆる任務を遂行できるわ。マリーとメリーへの接続も維持できるし、遠隔指示も可能。さすがに量子演算は無理だけれど。乗車と就寝は五人までよ」
それを聞いたマリー人形が、待ってましたとばかりに弾んだ声を上げた。
『嬉しい! 玲子ちゃんと一緒にお出かけだね!』
珍しく、メリー人形も静かに、だが期待を込めた声を重ねる。
『面白そうな試みですね。戦域移動プラットフォームの検証……ぜひ、参加させてください』
クロサワは、その隠された機能を察して顎に手を当てた。
「ほう……移動司令部としての機能をそれほど盛り込んだとなると、かなりの費用がかかったのでは?」
「装備のほとんどが軍用プロトタイプの払い下げと、民生品を流用してカスタムしただけだから、一億円くらいよ……大したことないわ」
こっそり生姜焼きをつまみ食いしようとしていたイカロスは、箸を止めてがっくりと肩を落とした。
「お嬢……世間一般じゃ、それは十分すぎるほど『大したこと』って言うんだがな」
――三人は同時に箸を取った。
「「「いただきます」」」
食卓を囲み、平穏な昼食の時間が流れる。だが、その話題は自然と「キャンプ」の目的地へと移っていった。
「で、結局どこへ行くんだ? 移動訓練にしても、ある程度隠蔽は必要だろう」
イカロスは、大皿から勢いよく生姜焼きを確保しながら尋ねる。
「そうね……あまり人目が多すぎるのも考えものだし、どこがいいかしら」
玲子が思案していると、あくまで優雅な所作で素早く生姜焼きを自らの皿へ移したクロサワが、ふっと思い出したように口を開いた。
「そういえば、ちょうど納車の時期ぐらいに、奥様が慈善活動の一環としてキャンプを開催されるとか。一度くらいはお嬢様を連れてくるようにと、仰せつかっておりましたが」
玲子は、わずかにげんなりした表情を浮かべてクロサワを見た。
「……お母様。あの人の誘いを無視すると、後で何を言われるか分かったものじゃないわね」
しばらく考え込んだ後に、玲子は溜息混じりに言葉を継いだ。
「いいわ。その日に合わせて行ってみましょうか」
――一か月後。
三人は4Sグループ傘下の、とある軍需企業の納車スペースへと足を運んでいた。 そこには、納車担当の社員が一台の「白いミニバン」の傍らで、うやうやしく控えていた。




