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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第十六話 正人への報告

 ――4S本社会長室。

 世界を震撼させているパンドラ・グローバルの崩壊劇も、この重厚な扉の向こう側には届かない。そこには、ただ贅を尽くした静寂だけが横たわっていた。


 玲子は、椅子に座るのも面倒とばかりに正人の正面の広大な執務机の上に腰を下ろした。 机に片手をつき、まるで学校での出来事を報告する子供のような、無邪気な声音で切り出す。


 「お父様、あのお人形たち……凄かったわ。感謝している」


 「それは重畳だ」

 正人は満足げに微笑むと、ごく自然な動作で身を乗り出し、玲子の頭を優しく撫でた。その仕草には、愛娘への慈しみと、彼女が成し遂げた破壊工作に対する純粋な知的好奇心が、無造作に混ざり合っていた。


 「私の友人からも、最大限の感謝が届いているよ……それで、いったいどうやったんだ? あの鉄壁のパンドラを、どうやって一日で解体した」


 玲子は一瞬だけパチリと瞬きをして、心外だと言わんばかりに軽く肩をすくめた。

 「え。もちろん、教えてもらった通りに量子演算を使ったわよ。それ以外に方法がある?」


 その瞬間、正人の微笑みがわずかに形を変えた。 端正な顔立ちに、驚愕と、それを上回るほどの剥き出しの興味が浮かび上がる。


 「……最後まで、演算を完遂させたのか? あの出力を使って?」

 「どういうこと?」


 玲子の問いに、正人は椅子に深く腰を沈め、リズムを刻むように指先で机の端を叩いた。

 「実はな。あのシステムをお前に譲り渡す前に、研究所で二十回の演算実験を行わせたんだ。結果は惨憺(さんたん)たるものだったよ。十九回は過熱による暴走で実験中断。残りの一回も、わずか五秒間演算しただけでシステムが沈黙した」


 玲子の視線が、不信感を孕んで細くなる。正人はそれを見て取り、愉快そうに苦笑いを浮かべて頭をかいた。

 「……すまないね。別に隠していたわけじゃないんだ」

 彼は少しだけ、少年のように楽しそうに目を細めた。

 「ただ、お前なら――あの暴れ馬を、どんな風に手懐けて遊ぶのか。それが見たくてね」


 玲子は、父の驚愕がどこにあるのか本気で理解できないというふうに、意外そうな表情で正人を見返した。

 「別に、普通よ……普通に、お人形で制御できたわ」


 「普通、か……」

 その答えに、正人は一瞬だけ言葉を失い、喉の奥でその言葉を咀嚼した。すぐに何かに取り憑かれたような手つきで、机の上のタブレットを指さす。


 「では……どう制御したか、ぜひ見てみたいな。ログを見せてくれないか?」


 玲子は躊躇(ためら)いなく正人のタブレットを操作し、滑らせるように正人の前へ差し出した。 画面に流れる、1秒間に10億回の微細な磁場制御サマリーと冷却シーケンスの記録。それを覗き込んだ正人の目が、幽霊にでも出会ったかのように大きく見開かれた。


 「……これは、凄まじいな。物理学の計算式を超えた、直感的なフィードバック制御だ。どうやったら、こんな『解』に辿り着ける?」

 「知りたい?」

 玲子は薄く、透明な笑みを浮かべる。

 「なら、あとでお人形さんのパラメータをそっくりそのまま送ってあげる」


 「助かるよ。それがあれば研究所の連中も、次はマシな仕事をするかもしれん」

 正人は満足げに頷き、ふと思い出したように、娘の内面に触れる問いを重ねた。

 「それはそうと……使った感想はどうだ?」


 「うーん……」

 玲子は天井を見上げ、指先で唇をなぞりながら、少しだけ考える素振りをしてから言った。

 「お父様には悪いんだけど……これ、つまらないかも」


 一瞬、豪華な調度品に囲まれた会長室の空気が、真空になったかのように凍りついた。 世界のルールを無視し、大企業を一つ葬り去った全能の力。それを「つまらない」と切り捨てた娘に対し、正人はしばしの沈黙の後、肩を激しく揺らして笑い声を上げた。

 「ははは! そうか。お前にとっては、神の力すらその程度の玩具だったか」

 可笑しすぎて出てきた涙をこらえながら、正人は続けた。

 「別に、無理に使い続ける必要はないさ……そうだ、玲子。一つ、いいことを教えてやろう……量子演算を使わないのなら覚えておくといい」


 正人は機嫌の良さを隠そうともせず、弾んだ声で玲子に向き直った。その瞳には、獲物を追い詰める方法を教える老いた猟犬のような、暗い愉悦が宿っている。


 「世の中にはな。どんなシステムでも、決して塞ぐことのできないセキュリティホールが存在する」


 正人の口角が、獲物を飲み込む蛇のようにゆっくりと吊り上がった。


 「それはな――『愚かな人間たち』だよ」


 玲子は、その言葉を疑いようのない真理として、静かに咀嚼した。システムを壊すよりも、そのシステムを信じ切っている人間を壊す。

 彼女の唇に、薄く、透明な笑みが浮かぶ。


 「ふふ……確かにそうね。期待させて、踊らせて、絶頂に達した瞬間に奈落へ落とすと……気持ちいいかもね」


 それだけ言うと、玲子は満足したように椅子から立ち上がり、背後を振り返ることなく軽く手を振った。


 「またね、お父様。次はもっと面白い『おままごと』の結果を期待して待っていて」


 「ああ、楽しみにしているよ……それから、約束通り報酬の七億は、お前の表向きの会社の口座に振り込んでおく。名目は『次世代演算アルゴリズムの委託研究費』だ。誰にも文句は言わせない」


 「お父様、ありがとう」


 感情のこもらない、形式的な感謝の言葉を一つ残し、玲子は会長室を後にした。 重厚な扉が閉まると同時に、再び支配的な静寂が部屋を満たす。


 そこに残されたのは、娘に猛毒の知恵を授けた父親と、世界を玩具として弄び始めた娘の、冷ややかな余韻だけだった。

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