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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第十五話 遊びの成果

 凍りついた指令室から、ようやく感覚の戻り始めた足取りでダイニングへと戻る。 そこには、何事もなかったかのようにクロサワが立ち、湯気の立った温かいコーヒーを用意して待っていた。


 「……ありがとう」

 玲子は震える手でカップを持ち上げた。だが、指先の感覚が失われており、陶器を通した熱さすらすぐには伝わってこない。ただ、微かな重みだけが自分が現実へと生還したことを実感させた。


 天井のスピーカーから、現場の熱気を含んだイカロスの声が響く。

 『……お嬢、クロサワの旦那。全員とはいかなかったが、収容されていた被験者の救出は完了した。4Sの別働チームに引き継いだ後、施設内の連中は警察に突き出す。救急車も手配済みだ』


 「……お疲れさま」

 一言だけそう応じると、玲子は吸い込まれるように椅子に腰を下ろした。白衣のまま、すらりとした長い足を組み、虚空を見つめる。


 「……これで、終わり」

 それは、滅びゆくパンドラへの手向けか、それとも自分自身に向けた呟きなのか。その真意は、誰にも分からなかった。


 クロサワは恭しく一礼すると、玲子の正面に腰を下ろし、静かに報告を始めた。

 「お嬢様が転写された証拠一式は、すでに正人様の『ご友人』……政府の担当部署へ送付済みです」


 玲子は視線を動かさず、軽く頷く。

 「仕事が早くて助かるわ……それで、CEOの端末からは、何を流してあげたの?」


 「人体実験の凄惨な現場画像と、それらを隠蔽するよう命じる部下への具体的な指示ログを、世界に向けて投稿しております。フォロワーは二百万人超……今この瞬間にも拡散は指数関数的に広がり、パンドラの炎上はもはや消し止める術すらありませんな」


 「マリー」

 『なになに、玲子ちゃん?』

 「クロサワが流したあの『真実』……もっと遠くまで、誰にも消せないところまで拡散するのを手伝ってあげて」

 『了解、任せて! 一瞬でネットの海を埋め尽くしてあげる!』


 無邪気な返答とほぼ同時に、テーブルに置かれたクロサワのスマートフォンが短く震えた。

 「正人様のご友人……政府の担当官からです。簡潔な謝辞と、それから――『猟犬を放った』とのことでした」


 クロサワが画面を玲子の方へ向ける。そこには短く「着手する」という一文だけが記されていた。

 「パンドラの連中、逃げ切れるかしら?」


 「おそらく、不可能でしょう。SNSへの自爆投稿だけなら『アカウント乗っ取りによる捏造だ』と言い逃れもできましょうが、メリー嬢が転写した生データと内部ログという決定打があります。裏取りが進めば、弁明の余地はありません」


 一拍置いて、クロサワはディスプレイに映るDX4サイトの3Dマップを見つめながら続けた。

 「何より――イカロスが、文字通り血の通った『生き証人』たちを、あの暗闇から解き放ちましたから」


 「……そう。なら、ご愁傷様ね」

 玲子は冷え切った指先で温かいコーヒーを啜り、パンドラという巨悪の終焉を静かに見送った。


 ――三時間後。

 重い足音と共に、煤と潮の匂いを纏ったイカロスが地下へと戻ってきた。


 「お嬢、ただいま戻った……ほら、これお土産だ」

 差し出されたのは、網袋に詰められた活きのいいサザエだった。現場付近の港で買ってきたのだろうか。


 「お疲れさま、イカロス……今からつぼ焼きにするから、座って待ってて」

 白衣を脱ぎ捨てた後にエプロンを締め、キッチンへと向かう玲子の背中に向かって、イカロスは感情を押し殺したような声で報告を重ねる。

 「……ひどい現場だった。生き地獄って言葉をそのまま形にしたような場所だ。船上で人間を売り買いして、そのままドック経由で地下施設に放り込む。あいつら、人間をなんだと思っていやがる」


 コンロに網を載せ、サザエを並べる玲子の手は止まらない。やがて殻の中からじゅくじゅくと汁が溢れ出し、醤油を垂らした瞬間に香ばしい磯の香りがダイニングいっぱいに広がった。


 「お父様の『お友達』が、もうあそこを根絶やしにするわ。あとは任せればいい。報酬もたっぷり入るし……私たちは、少しゆっくりしましょう」


 地獄を壊したあとの、ささやかな宴。 香ばしく焦げる醤油の匂いが、戦場を生き抜いた男たちの張り詰めた神経を、ゆっくりと解きほぐしていった。


 上着を脱いで、ようやく人心地ついたように椅子に腰を下ろしたイカロスに、クロサワが絶妙な温度の茶を差し出す。


 「……すでに、ちまたでは大騒ぎのようですな」

 クロサワがテレビをつけると、画面にはパンドラ・グローバルのCEOが、美術品輸送用のカーゴに身を潜めて国外逃亡を図ろうとし、あえなく警察に身柄を拘束されたという速報が映し出されていた。中継レポーターの興奮した声が、地下の静かな空気にはひどく不釣り合いに響く。


 「SNSも、大炎上中ね。もう止まらないわ」


 香ばしく焼き上がったサザエの身を器用に引き抜きながら、玲子は片手でスマホの画面を流し見する。タイムラインのトレンドは、パンドラが隠し続けてきた「人身売買」「人体実験」という忌まわしい単語で埋め尽くされていた。


 そこにマリーが、どこか残念そうな、物足りなそうな声を漏らした。

 『玲子ちゃん、もう勝手に拡散されすぎてて、手伝うまでもなかったよ……なーんか、しょぼん、だよ』


 やり場のないエネルギーを持て余す幼い知性に、玲子はふっと表情を和らげた。 彼女は机の上に置かれたフランス人形の柔らかな髪をやさしく撫でる。

 「……それなら、それでいいわ。よくやってくれたわね、マリー。ありがとう」


 「お人形」がもたらした、世界の再構成。 パンドラの箱の底に残っていたのは、希望ではなく、一人の“暇つぶし”による完璧なまでの「遊びの成果」だった。

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