第十一話 お人形のスペック
「拝見します」
クロサワはモノクルをかけ直し、真剣な面持ちでタブレットの画面を覗き込む。
「俺はサーバーだのAIだのの技術的な話は正直さっぱりわからん……クロサワの旦那に任せる」
イカロスは降参だと言わんばかりに手を上げ、再びハンカチで顔を拭った。雅の声がもたらした緊張感は、それほどまでに彼の五感を蝕んでいた。
「俺には手に負えん」と言いたげに肩をすくめたイカロスとは対照的にクロサワは老眼鏡の奥の瞳を鋭くさせ、コーヒーカップを優雅に傾けながら画面を覗き込んだ。
「まずは『影』の方からね」
玲子の指先がタブレットを叩く。
プラットフォーム:シャドウエージェント
構成:16ユニット・高密度クラスタ
製造:4Sグループ中央秘密研究所
資産価値:3億円(推定)
搭載AI:マリー
オリジン:次世代自律型AI「ADA」
用途:超広域ネットワーク監視/隠密偵察特化
クロサワは一瞬だけ眉を跳ね上げ、感嘆を含んだ溜息を漏らした。
「マリー嬢……可愛らしい声に似合わず、随分とお金のかかるレディですな。4Sの秘蔵っ子をそのまま買い取るとは」
彼は手慣れた動作で画面をスワイプした。
「では、次が『頭脳』――メリー嬢ですかな」
その瞬間、画面の色彩が警告のような深紅に変わる。
プラットフォーム:ゴーストサーバー
構成:軍事研究用フルカスタム機(32ノード・超並列クラスタ)
演算リソース:ハイエンドGPU 256基搭載
製造元:非公開(某X国の軍需産業系と推測)
搭載AI:メリー
オリジン:ミリタリーグレード戦略AI「マーガレット」
用途:戦域戦略決定/敵対システム完全支配
資産価値:5億円(推定)
クロサワは表情を崩さないまま、だがコーヒーを持つ指先にわずかな力を込めて頷いた。
「これは……凄まじい。並ぶ単語がどれも物騒すぎます。旦那様ならいざ知らず、一般企業や並の国家機関では逆立ちしても用意できない、文字通りの『怪物』です」
イカロスが野性的な勘で異変を察知し、身を乗り出す。
「おい、そんなにヤバいのか? その『ごーすと』ってのは」
「ええ。先進国国家が運用するスーパーコンピューターと同等か、それ以上の瞬発力は出るでしょう。精密な気象予測や、ちょっとした暗号解読など、彼女たちにとっては瞬きする間の作業ですぞ」
クロサワは画面をさらにスクロールし――次の項目を目にした瞬間。
「ブフォッ……!!」
完璧な執事としての矜持も、老紳士の嗜みも、すべてが物理的に吹き飛んだ。 クロサワは口に含んでいた最高級のコーヒーを、ダイニングの床に盛大にブチ撒けたのである。
「おい、旦那! 大丈夫か、しっかりしろ!」
イカロスが慌てて立ち上がり、咽せ返る老執事の背中を力任せにさすった。
「……お見苦しいところを。失礼、いたしました……」
クロサワはハンカチで口元を拭いながらも、その視線は吸い寄せられるようにタブレットの画面に釘付けになっていた。
そこに記された「特記事項」は、現代のIT常識を根底から覆す、禁忌の目録だった。
■特記事項
・ゴーストサーバ直結:プロトタイプ量子コンピュータ(1000量子ビット)
■使用可能用途:
・量子テレポーテーションによる物理的な情報転写
・あらゆる認証体系、暗号鍵、管理者権限の「強制再構成」
・ターゲット端末の完全アクセスコントロール奪取
・Quantum Link Network Device(QLND)を使用 ※
※レガシーネットワークを一切経由しない接続が可能。
その光景を、玲子はデザートを待つ子供のようにニコニコと楽しげに眺めていた。
「ね? メリー、すごいでしょ?」
「……お嬢、何がどう『すごい』のか、俺にもわかるように説明してくれ。一体何ができるんだ」
イカロスが、恐る恐るといった感じの低い声で尋ねる。そして、気持を落ち着かせるようにカップを手に取り、コーヒーを口にした。
玲子は、待っていましたと言わんばかりに、指を一本立てて解説を始めた。
「要するにね。量子演算と、このQLNDを組み合わせると――鍵がかかっているドアの前に立つだけで、『別の鍵』と『その鍵にあう鍵穴』をその場に作り出せるの。それと金庫の中にある極秘書類を、金庫を開けずに外側から『写し取る』こともできる……あと、誰かのスマホやパソコンを、ネットに繋がっていなくても勝手に操作することだってね」
「ブフォッ!!」
玲子の最後の説明を聞いた途端、今度はイカロスが口に含んでいたコーヒーを盛大に吹き出した。隣のクロサワにまで飛沫が飛ぶが、彼は気にする余裕すらない。
「……俺としたことが……お嬢、それって、要するに……」
「そう。世界中のシステムを壊し放題よ」
玲子の声が、一瞬だけ温度を失い、低く沈んだ。その瞳には虚空の影が宿っている。
だが、彼女はすぐにふっと肩をすくめ、困ったように眉を下げた。
「ただし、この子はすごくワガママなの。一回の稼働で、できる量子演算はたったの一分だけ。しかも一度使うと、心臓部が狂って壊れちゃう。直すのに五億円かかるし、再稼働のためのメンテナンスに一ヶ月かかる。コスパ最悪でしょう?」
少しだけしょんぼりと肩を落とすその姿は、高価な玩具を壊して叱られた少女のようだった。
「お父様にも、使い所はよく考えろって釘を刺されているのよ。一分間で五億円……一秒に八百万以上かかる計算だもの。私の『遊び』の中でも、一番贅沢な切り札ね」
ダイニングに、短い沈黙が落ちた。その沈黙の中で、メリーは淡々と稼働を続け、マリーは何も言わず、ただ興味深そうに三人の様子を観察し続けていた。
――その二週間後のある日。玲子は正人から「依頼がある」と言われ、会長室へ来るよう、呼び出しを受けていた。




