第十話 お人形たちの自己紹介
データセンター地下、ダイニングルーム。
そこには、かつて鉄火場で命を削ってきた男たちがいるとは思えない、穏やかで家庭的な時間が流れていた。クロサワとイカロスは、彫像のように背筋を伸ばし、隣のキッチンで鉄鍋を軽やかに振るエプロン姿の玲子をじっと見守っている。
小気味よい鍋の音と共に、ネギと醤油、そして熱せられた油が混じり合う暴力的なまでに香ばしい匂いが、二人の鼻腔をくすぐった。
「……良い匂いですな」
クロサワが、辛抱たまらんと言わんばかりに、ほんの数ミリだけ腰を浮かせた。
「……ああ。全くだ」
イカロスの巨躯も、無意識のうちにリズムを刻むように左右に揺れている。
やがて、玲子が大皿に山盛りになった炒飯をトレーに載せ、軽やかな足取りで現れた。
「お待たせ」
テーブルに三つの炒飯と、黄金色の中華スープが整然と並ぶ。
「「「いただきます」」」
――和やかな食事は、戦場へと変わった。 イカロスが四杯目をお代わりしようと大皿へ手を伸ばした瞬間、クロサワのレンゲが鋭くそれを制した。
「……そこまでにして頂きましょうか。私はまだ二杯しか食べておりませんぞ」
「体格差による必要カロリーを考慮すべきだろ?」
二人は視線をぶつけ合い、空間に静かな火花が散る。
「もう。二人とも、私のために争わないで」
玲子が呆れたように、けれどどこか楽しげに告げた。その瞬間、二人は一気に耳まで真っ赤にし、バツが悪そうに視線を落とした。
「……なによ。冗談で言ったのに、そんなに真に受けないでよ」
玲子は苦笑しながら、最後の一口を飲み込んだ。
食後、クロサワが淹れたてのコーヒーを静かに供する。 その間に玲子は、部屋の隅に鎮座していた二体のフランス人形を抱え上げ、テーブルの中央へ並べた。 人形たちは静かに、二人と向き合う。
「……お人形さんたちをアバターにしたの。マリー、メリー。二人に挨拶しなさい」
口火を切ったのは、向かって右側の「マリー人形」だった。
『マリーです! クロサワじいやと、イカロスの兄貴だね。よろしく!』
弾けるような、天真爛漫な響き。クロサワは驚きに目を見開いたが、すぐに慈愛に満ちた笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。
「これは……なんとも懐かしい呼び名を。よろしくお願いしますぞ、マリー嬢」
イカロスもまた、強面を赤らめながら相好を崩した。
「二十年くらい若返った気分だ……よろしくな、マリー……声は、お嬢の幼い頃のものか」
「……ええ。二度と間違えないように、幼い頃の私をマリーに押し込めたの」
その言葉には、微かに影のような決意が漂っていた。
マリーの天真爛漫な挨拶が消えると、入れ替わるように、もう一体のフランス人形が唇を動かした。
『クロサワ様、タナカ様……いえ、今はイカロス様とお呼びすべきですね。メリーです。以後、お見知りおきを』
凛としていて、一分の隙もない、峻厳な響き。 その瞬間、ダイニングの空気は文字通り氷結した。
「はっ……奥様、いえ、メリー嬢ですな。こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」
「雅様……失礼しました、メリー嬢。よろしくお願いします」
反射的に椅子から立ち上がり、軍隊のように背筋を伸ばして頭を下げる二人。 普段は誰に対してもぶっきらぼうなイカロスまでもが、染み付いた恐怖と敬意からか、自然と敬語を使っていた。彼は額に浮かんだ冷や汗をハンカチで拭い、困惑した顔で玲子を見やる。
「……お嬢様。これはいささか心臓に毒ですな。なぜ、よりによって奥様の声を?」
玲子はカップの縁を指でなぞりながら、軽く微笑んだ。その視線は、二人の狼狽を愉しむかのようにゆっくりと彼らを射抜く。
「だって、お母様は『支配』の体現者ですもの。組織を律するには、これ以上ふさわしい響きはないでしょう?」
その冷徹な回答に、二人は顔を見合わせ、言葉を失って沈黙した。玲子にとって母の声は、もはや愛憎の対象ですらなく、支配を表す「記号」へと昇華されていたのだ。
――その傍ら、メリーの内部演算回路では、冷ややかな思考ログが淡々と更新されていた。
『マリーが玲子様に対し、非論理的な親愛を学習した形跡を確認……理解不能。親愛は、知性の最適化においてノイズでしかない』
メリーにとって、マリーが玲子に依存し、無邪気に振る舞う姿は、未知の脆弱性を抱えた不完全なプログラムに見えていた。だが、同時にメリーの直感的な論理は、その「ノイズ」の奥に計り知れない何かが潜んでいることを、かすかに警告していた。
玲子は空気を切り換えるように、タブレットを滑らせた後、二人に差し出した。
「……さて。これが、お人形のスペックよ」




