第一話 玲子のおねだり
壁一面のガラスには遥か遠くまで続く夜景と、地上から放たれた数千もの白い光の輝きが溶け合うように映っている。
白坂システムセキュリティサービス――通称〈4S〉。
その総本山である最上階の会長室で、白坂玲子はガラスに映る夜景に包まれながら父・正人の腕を引きよせ、絡みついていた。
二十歳を越えた娘がするにしては、あまりに幼稚な振る舞い。だが、正人は眉一つ動かさない。彼にとってこれは日常のいつものワンシーンだった。
玲子は表情を消したまま、父の耳元へ唇を寄せる。 低く、甘えるような声で囁いた。
「ねえ、お父様。私、退屈なの。お人形遊びがしたい」
正人の動きが止まる。娘が玩具の類を卒業して、もう何年になるだろうか。 彼は喉の奥で小さく笑みを漏らした。
「……今さら、かい?」
「ええ。駄目かしら?」
玲子の瞳はじっと正人を見つめている。正人は思案するように指先でデスクを叩いた後、愛娘のなめらかな頬に視線を落とした。
「いいだろう。どんなのが欲しいんだい?」
玲子は小首を傾げ、いったん記憶を整理するように、手のひらを自分に向けながら人さし指を立てた。
「ちゃんとしたのがいいわ。すぐに壊れなくて、私の思考を先回りできるくらい頭がよくて……何より、私の言葉だけを世界の真実だと信じ込む、忠実なやつ」
それに続いて二本目の指を立て、淡々とした口調で付け足す。
「あとね。その子の指先一つで『人』と『金』と『情報』を、電子回路のように整然と動かせるのがいい」
正人は興味深そうな視線を玲子に向けた。娘が求めているのはただの『玩具』ではない。この社会を動かすための『何か』だ。だが、彼はそれを否定せず、逆に娘の成長を喜んでいた。
「……スペックは?」
「最先端のが欲しい。あと、お人形を飾り立てるための『部品』も、それなりに必要だわ」
ここで初めて玲子は口角を微かに持ち上げながら、三本目の指を立てた。
「それとね。お人形が住むための、とびきり豪華な家も欲しいの」
正人も、抗いがたい興味に導かれるように口元を緩めた。
「すべて揃えるのに、いくら必要だ?」
「二十億もあれば、とりあえずは足りると思うわ」
「欲しがりだな――だが、いいだろう。小学生のときみたいに、すぐにバラバラにして壊すんじゃないぞ」
正人の冗談めかした警告に、玲子は迷いなく頷いた。その瞳の奥で、静かな熱が揺れる。
「もちろんよ、お父様」
彼女は祈りを捧げる聖女のような手つきで両手を組みながら父の肩に頭を預け、呟いた。
「人形は壊さないわ。だってバラバラにして観察したいのは、退屈な社会のほうだから」
――それから、三か月後。
季節がひとつ巡り、人形の件で彼女は再びあの静謐な会長室へと呼び戻された。二十億の価値のある「魂の器」にようやく会えるのだ。彼女の足取りは、いつになく軽やかだった。




