第13章:彼女には輝く人々が見える
僕は木々に囲まれた、どこまでも続くただの森の中に立っていた。
そよ風が吹き抜け、上の葉をさわさわと揺らす。
肩にかけた毛皮にはハーブの香りが染みついていて――ムスクのようで野性味があり、なぜか心を落ち着かせる。
狭い獣道が前に伸び、その先は切り裂かれたかのように地面が乱れ飛んでいる開けた空間だった。まるで木ごと根を引き抜かれたように。
落ちている枝は一つもなく、風がすべてをさらい去ったかのようにすっきりと片付いている。
雲の切れ間から差す一筋の光が穴を貫き、金のビームとなって薄暗い森を突き刺していた。
──ポン──
踏み出すと、地面に伏せた落ち葉がかすかに音を立てる。
ゆっくりと雲が流れて空が広がりはじめた。
――しばらく歩いたあと――
「セバス、どれくらい歩いた?」と訊くと、
【 あの毛皮を手に入れてから、ほぼ一時間です、マスター。 】
「近くに誰もいないな…一体、カイはどこを出発地点に設定したんだ?」と、胸の中で苛立ちが湧く。
腕の中で、僕が毛皮に包んだまま眠る娘を見下ろす。
その穏やかな寝顔――この世界の混沌がまったく届かない場所にいる。
見つめるほどに、胸の奥が熱くなる。
顎の力が抜け、肩が落ち、鉄のように重かった怒りがすっと消えた。
疲れた眼差しに、代わりに静かな――心配、あるいは後悔かもしれない――感情が宿る。
長く詰まっていた息を、深く吐き出した。
口から漏れた言葉は、自分でも驚くほど違っていた。柔らかく、穏やかだった。
「その無垢を、ずっと守りたい」
だが――その気持ちは長く続かなかった。
また罪悪感が忍び寄る。
「本当にこれでいいのか?」 自問する。
「……人とまともに話せもしない俺が?」と眉がぴくりと動く。
「言葉をうまく操れない」
「自分の感情も伝えられない……」
笑みが切れるように消えた。
視線は次第に、冷たく、ではなく、ただ疲れて細まっていった。
「必要なときに声が出ないのはなぜだ?」 心の中で苛立ちがくすぶる。
「外の世界なんて、これまで見たこともないのに」
またリオラを見る。
さっき感じた温もりは消え、皮膚の下で静かに煮えたぎる苛立ちだけが残る。
冷たく、固く、揺るがない。
「自分すら養えない俺が、子供を養えるはずがない」
「もっといい人がいるかもしれない…親を知っている人、ちゃんと面倒を見る人が」
怒りはゆっくりと霞のように消え、視線は彼女を通り越して遠くを見ているようだった。
――でも、彼女が「パパ」と呼んだ瞬間、それは――
「ようやく誰かができた気がした」
「俺はずっと孤独だった…誰も理解してくれない、気にかけてくれない」
「アニメで見る、子を育て愛される主人公みたいに」
しかし、感情を取り戻すのは簡単じゃない。
本物の感情はすぐに色あせる。喜びも、怒りも、長く持たせるためには古い記憶を掘り起こさねばならない。だが、文字通り色あせるように、すぐ飽きてしまう。
「この気持ちも、いつか忘れるのか?」
「どうせ俺はまた無感動に戻るのか? もし彼女を置いていったら…?」
もはやかつての平静はなく、残るのは切ない疼きだけだった。
だが、深呼吸をして背筋を伸ばし、悲しみを払いのける。
「でも、最近は感じている…戦うときの高揚感も」
「だけど――」
「オーク・チャンピオンのあの傷跡を見たとき……俺は両手で裂きたくなるほどの興奮を覚えた」
視線は再び、腕の小さな存在へ。
言葉にはしないが、胸の重さが肩へ落ちていく。
かすかな吐息が漏れた――小さく、しかし深く。
「でも、それだけじゃない」
「誰かに大切にされる感覚…これが本物であってほしい」
ぎこちない笑みを浮かべる。
「俺は壊れたゴミみたいなヤツだ」と、苦い思考がよぎる。
その瞬間、風が冷たく速く肌をかすめた。
「そろそろ森を抜けそうだな」
【 そのようです、マスター。前方で戦闘の気配も。 】
「俺にも分かる。見に行こう」
一歩踏み出すと、森の縁が開け、別世界への門のように光が差し込む。
踏み出すと、草原が広がっていた。
風は一段と清く、鋭い。
遠くで金属がぶつかる音、怒号、鋼のきしむ音が聞こえる。
はるか先に、襲撃を受ける馬車があった。
数人の武装集団に囲まれ、御者と二人の負傷した兵士が必死に防いでいる。
――予想通りの展開だ。馬賊の襲撃だろう。
「また崖の上にいるのか?」と僕は呟いた。
「偶然か?」
思考を巡らせていると、腕の中でリオラがもぞもぞと動き、目を開けた。
そして――彼女は笑った。静かに、甘い声で。
「えへへ、パパ」 小さな手で僕をぎゅっと抱きしめる。
僕は微笑み返して訊いた。
「どうした? なんで笑ってる?」
「リオラ、パパが見えるのが嬉しいの」 と答える彼女。
「そうか」
――リオラの無垢な声に、僕は思わず心が軽くなった。
「パパ、ここはどこ?」 と彼女が訊ねる。
「森を抜けたところだよ。向こうに街が見える?」と指さすと、
彼女は目を細めて見つめるが、首をかしげて言った。
「草しか見えないよ、パパ」
僕は首を傾げた。
【 リオラからしては遠すぎます、マスター。 】
「パパ、あそこ見て!」と彼女が馬車を指し示す。
「何が見える?」と訊くと、
「リオラ、よくは見えないけど、馬車と光る人たち…他にもたくさんいるよ」 と一生懸命に答えた。
彼女の視力にも驚きを感じ、胸が誇らしくなる。
「よく聞いて、リオラ。あそこには悪い人たちがいて、他の人を傷つけて物を奪おうとしている。パパが止めに行って、馬車の人たちを助けるんだ」
彼女は黙ってうなずいたが、すぐに悲しげな表情になる。
「どうした、リオラ?」と訊くと、
「…パパ、人を傷つけるの? 傷つけるのは怖いよ」 と、小さな声で不安げに言った。
「リオラは無垢すぎるな…最初に教えておかないと」と思う。
「リオラ、悪い人たちはほかの人も傷つける。パパが止めないと、もっと多くの人が苦しむんだ。リオラも危ないかもしれない」
「でも…傷つけるのは…」
「もし放っておいたら、また別の人の親まで傷つくかもしれない」
「ヤダ! リオラ、パパが傷つくのも嫌!」 と泣きつくように抱きついてきた。
「…俺のことじゃなく、あの人たちのことだけどな」 と心の中で呟く。
「リオラ、この世界には良い人も悪い人もいる。悪い人を止めれば、もっと多くの人が助かるんだ」
「悪いことをしたら罰を受けるの?」 と彼女が訊く。
ため息をついて、
「パパはその人たちを良い場所に送ってあげるよ。そこで改心できるかもしれない。いい?」
彼女は涙を拭いながらも小さく頷いた。
――「引っ張るのはよそう」と思い、
「しっかり抱きしめてて、リオラ」と言った。
(この“イセカイチュートリアルクエスト”を終わらせて街に行こう…)と心で笑いながら。
僕は崖端まで歩き、風に押される毛皮を感じながら踏み切った。
今度は下降ではなく、まるでミサイルのように空へと飛び出す。
リオラを見ると、毛皮の隙間から怖がりつつもわずかに興奮した表情を浮かべていた。
(慣れたら二人でどこへでも飛び回れるな…)と思う。
「パパ! ピカピカの人が戦ってる!」とリオラが声を弾ませる。
(ずっと独り言を言ってたんだ…どんな状況でも生き残るんだろうな)と考え、
(セバスなら死ぬ前に助けてくれるはずだし)と安心しながら、
真っ直ぐ戦場へ降下し、馬賊の前後に着地した。
足元に衝撃波を走らせ、ほこりを巻き上げ、マントを翻しながら静寂を引き起こす。
一瞬で視線が僕に集まる。馬賊も、負傷兵も、御者も――空から降ってきた異形に注がれる視線。
そこに立つのは、狼の毛皮を肩にかけた細身の裸の男。白髪が揺れ、真紅の瞳が戦場を見下ろしている。
——まるで神話から抜け出した存在のように。
右手に馬賊、左手に馬車と二人の傷ついた兵士を従え。
(リオラが「ピカピカの人」って呼んだのも納得だ)と僕は微笑んだ。
「……さて、始めようか」
――続く……
正直、自分で章タイトルを書きながら思わず笑ってしまいました――止められませんでした。章の感想、ぜひ聞かせてください!
それから、まだ誰も指摘していないので…第7章の「降下」シーン、覚えていますか?あれは明らかなオマージュでした(MCとセバスも突っ込んでましたね)。『とある科学の一方通行』からです。そして今回も、もう一つ隠し引用を仕込んでいます――今度は『幼女戦記』から。どのセリフか分かった人がいたら教えてください。
最後まで読んでくれて本当にありがとう!




