夜歩きは月の下へ
「お仕事ご苦労さん――と言いたいところだが、早速次の予定だ。例のパーティに出席して貰うよ」
魔法少女としての都市警備任務を終えて家に戻ると、そこには『機関』の担当者の男が待ち構えていた。軽薄なニヤケ面から漂う腐臭と不快感を堪えて、私は声を低く、口を開く。
「……私の当番は来月では?」
「その予定だったんだが、今月担当の子が一人、頑張りすぎて過労で倒れちゃってね。悪いけどやって貰えないかな?」
私の威嚇めいた口調に対しても、男は揺らがなかった。完全にこちらのことを下に見ている。いつものことだが。
頑張りすぎて? お前達が頑張らせているくせに。
悪いけど? 悪いなんて考え、微塵も持っていないくせに。
本当に反吐が出る。正義を掲げた組織の内情が、ここまで腐っていることに――そして、そのシステムに抗えない自分の弱さにも。
「はぁ……私、疲れてるんですが。見てましたよね、ヴェールの幹部級と戦ってきたんですよ」
「ああ、もちろん見てたさ! さすがだよね、あの黒鎧鬼相手に五分以上! 最強の魔法少女の称号は伊達じゃない! ……まぁ、そうだな……たしかに君は十分以上の成果を挙げてるし、どうしても嫌だって言うなら……」
「……」
「担当の子にもうちょっとだけ頑張って貰おうかなぁ……?」
「――っ」
大して期待を持たずに言ったセリフへの反応は、予想通りのものだった。要するにこの男は言いたいのだ、「君がやらないんなら、既に限界を超えている子を更に酷使したっていいんだぞ」――と。
見下げ果てたゲスっぷり。とてもじゃないが、『魔法少女支援機関』に勤める大人の言葉とは思えない。
口元に張り付いた薄ら笑いが、「君にはそんなこと出来ないだろう?」と言外に語っているのも頭に来る。完全に見透かされている。
そして事実、私に許された言葉は唯一つだけだった。
「……わかりました、出席します」
「やあ、ありがとう! いやぁ、ほんと助かっちゃうなぁ! 働き次第でちゃんと特別報奨も出るからさ、たんまり稼いじゃってよ!」
「話は終わりですよね、帰ってください」
「あらら、冷たいね。なら、そういうことで。じゃあねー」
私が承諾した瞬間、男の顔面にしてやったりと言わんばかりの笑みが浮かぶ。自分の優位を確信して疑わない人間特有の、傲慢で勝ち誇った表情。
思わず殴ってやりたくなるが、機関の人間に手を出すのはまずいという理性が衝動を押し留める。
とにかく、用事が終わったなら一刻も早く出ていって欲しい。私が横目で相手を睨みつけると、男は肩を竦めて姿を消した。
「……はぁ」
パーティ。あの醜悪な環境を思い浮かべるだけで、心底気が滅入る。
それでも、私達は反抗できない。機関の支援を受けられなければ、過酷な独立活動を強いられることになる。
加えて機関は、組織から離脱した魔法少女を裏切り者認定し、懲罰部隊を差し向けることまでしていた。本当に終わっている。
……でも、やるしかないのだ。
妹が――たった一人の家族が、特殊な魔法体質の治療と研究を名目に、機関の医療実験施設に囚われている限りは。
* * *
約束の日、パーティ当日。
私は、都内の有名超高級ホテルの特別フロアに立っていた。周囲を見渡せばそこには、自らの金と権力を誇示するようなギラついた雰囲気の男達と、私と同じく集められたのだろう魔法少女たちの姿がある。
彼女たちはいずれも変身しているようだったが、そのデザインは普段と明らかに異なる。布が減ったり透ける素材に変わったりと不必要に露出が多く、戦闘には無用な装飾ばかりが増えていて、体にぴったりと張り付いてボディラインを強調するような見た目になっている。
「……」
そういう私の服装も、彼女たちと然程変わらないものだった。いや、むしろより過激かもしれない。
ベースとなるのは普段と同じモノトーンの戦闘服だが、背中が大きく開かれてシースルー素材が多用されているせいで、首紐と腰回り以外は全て露出しているし、胸元はほとんど乳房に薄布が張り付いているだけのような状態だった。更には、本来はスパッツ状のインナーがハイレグのレオタードにされたことで、前も後ろも食い込みが酷くて、かなり羞恥を煽る格好になってしまっている。
当然こんなもの、自分の意志ではない。担当者によって勝手にパーティ仕様を設定され、必ずこの状態で着用するように要求された結果だった。
聞けば、今回の『相手』の趣味らしい。変態め、気持ち悪い――とは思いつつも、顔には出さない。感情を抑えることだけが、今の私に出来る唯一の抵抗だった。
「おお、おお……! ひひ、本物のアスプロマヴリちゃんだ……やはり生は可愛いねぇ」
「……貴方は」
「うん、うん! 僕がね、君の今回のパートナーさ。よろしくねぇ、白妙黒華ちゃん」
「どうも。……変身中は魔法少女名で呼んでください、規則ですので」
「おっと失礼、ごめんごめん!」
そうして無表情のまま棒立ちしていると、一人の小太りの男が現れた。見たことのある顔だ。日本人なら大抵知っているだろう大手企業の会長であり、経済団体の幹事を務めている――広告やニュースでも時折見る男だった。
しかし、その様子はよそ行きの取り繕ったものではなく、ゲスな欲望にまみれて緩みきっている。猫なで声に鳥肌が立つが、堪えた。
これが機関のやり方なのだ。金と権力を持つ層に『我々を支援してくれれば、あの凛々しい魔法少女たちを貴方の好きに出来ますよ』と囁き、肉欲を満たしてやるのと同時に、他にも様々な魔法的便宜を図ることで急速に勢力を拡大させた。
かつては魔法もエーテルも他世界人も存在しなかったこの世界が、こうも非現実的な境遇に馴染んだのは、力を持つ『上の人間』が積極的に魔法少女の存在を肯定したからだ。
その手法自体、全てが間違いだとは言わない。
だが、機関の取引の贄に差し出されているのは、全て私とそう年齢の違わない子たちだ。戦いで身を削り、男達を相手に心を削る。彼女たちの犠牲で今の世界は動いている。
腹が立つ、本当に。狂ったシステムも、依存する世界も。
「ほらほら、こっちにおいで。せっかくのパーティなんだよ、楽しもうよ」
「……っ」
小太りの男は遠慮なく私の腰を抱き寄せ、レオタードからはみ出した尻の肉をこね回し始める。湿った手のひらのぶよぶよした感触が伝わり、顔を顰めそうになる。
でも、ここで反抗的な態度を取ることは出来ない。無表情程度ならまだしも、スポンサーの機嫌を損ねると後が面倒なのだ。ただ黙って、じっと耐えるしかない。
そうしている間にも男の手は尻から腰、下腹部へと回り込む。透けた布地越しに圧を掛けるように撫でてくるのは、私に強く意識せるためだろう。これから一晩、この男との間で交わされる行為を。
「んー、お尻むっちむち……はぁ……おっぱい、でっっっか……! いやいや、これで魔法少女は無理でしょ、ひひ……」
「……」
空いていた男の右腕が私の乳房に伸ばされ、無造作に鷲掴みにされる。魔法少女の肉体では痛みなどないが、屈辱感が湧き上がることは避けられない。
戦う時には邪魔でさえあるそれを揶揄されながら、揉み、伸ばし、握り込んで、先端を指でほじり――まるで玩具のように、遊ばれる。
私は何故、こんな目に遭ってまでしがみついているんだろう。浮かび上がる気持ちを、妹の顔を思い出して耐える。仕方ない、我慢するしかない、仕方ない。
「どうしたの? アスマヴちゃん? もっとね、ニコニコしようよ。せっかく可愛いんだからさぁ……」
「……」
「何も言わないんなら、ちゅーしちゃうぞぉ! ちゅー!」
「ッ……!」
いつの間にか目の前に近づいてきた男の顔が、どこか嗜虐的に歪む。私が内心拒絶していることなど、百も承知に違いない。その上で楽しんでいる。
それでも何も言わないでいれば、相手はニタリと嗤った。そして、両手で私の後頭部をがっしり掴むと、顔を寄せてくる。汗と皮脂、口臭と加齢臭が入り混じった男の臭いが嗅覚を刺激し、たっぷり唾液を纏った分厚い舌が私の唇に――。
ドガァン――――!!!!
「――これは」
触れる寸前で突如、夜景を臨む巨大な強化ガラス窓が柱ごと叩き割られ、何者かが乱入してきた。ねっとりと淀んだ熱気に包まれていた会場内を外気が吹き抜け、一瞬にして混乱と恐怖が包み込む。
突然に襲撃にゲスト連中は勿論、魔法少女の多くも対応しきれていないようだった。私はそうした様子を横目に、変態へ媚びるための衣装を純正の戦闘服に切り替え、得物である長大なハルバードを手中に現出させた。
「っき、君! 待ちたまえ! どこへ行く!? 僕を護れっ!!」
「邪魔だ」
一歩踏み出した私の足に、ついさっきまで得意満面だった小太り男の手が絡みつく。
当然、そんなものは完全に無視した。ただ前進するのみで振り払う。今は非常時なのだ、こいつの我儘に付き合う理由など微塵もない。
問題は、目の前の男だ
「黒鎧鬼エルゴ……先日ぶりだな、そんなに私に会いたかったか?」
「……」
身の丈二メートルを超える巨大な体躯を、夜闇に溶け込むような艶のない黒い鎧で覆った男。一部の隙もなく装甲に覆われた身は圧倒的な存在感を放ち、フルフェイスの頭部からは一対の鬼の角のような装飾が生えている。
黒鎧鬼エルゴ――多世界犯罪結社ヴェールの最高幹部であり、この私、魔法少女アスプロマヴリと正面からやり合える極めつけの強者。事実、この二年間で七回行われた交戦は全て、外的要因による引き分けに終わっていた。
だが、今回の再戦は随分と早い。
そこに不可解さを覚えていると、エルゴは――寡黙なこの男にしては珍しくも――言葉を発した。
「アスプロマヴリ――いや、白妙黒華。迎えに来た、俺と一緒に来い」
「……何かの冗談か?」
「違う、俺は本気だ」
「……どういうことだ、説明しろ」
周囲の阿鼻叫喚をよそに、エルゴは低く通る声で語る。
その内容は私にとって寝耳に水だった。一瞬何を言っているのかと疑い、しかし冗談とも思えない態度に疑念を抱く。
「俺は既にヴェールを離脱した。あらゆる世界に属さない中立傭兵機構・オリズモスを結成するために、な。故に、共に組織を率いる指導者になって貰えまいかと、お前を勧誘しに来た次第だ」
「……」
中立の傭兵組織? オリズモス? 未知の情報が次々に耳に飛び込む。
だが、私には直観的に理解できた。この男は実直で、下らない嘘など吐かない質だ。全てをありのままに話しているのだろう、と。
はっきり言えば、魅力的な話だった。
機関に縛られた魔法少女という存在にも、それを肯定し依存する国や世界の現状にも、無遠慮に踏み入り暴虐を尽くす他世界勢力のやり方にも、私はほとんど愛想が尽きていたから。あらゆるしがらみを切り捨てて中立組織の運営に携われるなら、全てを変えられる可能性が高いから。
だが、私にはそれが出来ない。
今も視界の端で張り付いたような薄笑いを隠さない担当者の男。あいつが何を考えているのか、何を言いたいのか、容易く理解できる。
『裏切ったならば、お前の妹がどうなるか分かっているだろうな」――つまり、そういうことだろう。
だから。
「悪いが、私には――」
「妹さんのことなら、既に別働隊が救出を完了した。無論、答えがどうあれ無傷で返すと約束しよう」
「――は?」
「エーテル過剰蓄積症に関しても、同志たちの中にスペシャリストがいる。必要な治療を提供できるだろう」
「は???」
断ろうとした矢先に、とんでもない方向から弾が飛んでくる。
助けた? あの子を? もう既に? 治療法がある?
どういうことだ? どうなっている?
待って、冷静になれ。これが私を引き入れるための嘘だという可能性も――いや無いな、間違いなく無い。
数度の交戦と数少ない会話からの印象だが、この男に限ってそれはありえない。威圧感のある外見からは想像し難いが、犯罪結社で幹部なんてやっていたのが不思議でならない程、人間が出来ている奴だ。
信頼出来ると確信してもいい。
つまり、どういうことだ?
つまり――ああ、私が機関に従う理由はなくなったんだ――。
「わかった、行こう」
それを理解した瞬間、私は神速で手のひらを返した。
寧ろ、提案を断る理由など欠片もない。
この決断が正しいであろうことは、さっきとは一転、視界の隅で青褪め冷や汗を流しながら必死でスマホをいじっている担当者が証明してくれた。ざまあみろ。
「ありがたい」
「あ、その前に一つ。あの子達も連れて行って構わない?」
「無論だ」
エルゴの同意を得て、私は振り返る。
風向きが変わったことを悟ったのか、戸惑いの色を濃くする周囲の人々。私は彼ら彼女らに向けて、静かに、しかし決定的な一言を伝えた。
「聞いての通りです。私、魔法少女アスプロマヴリは現時点をもって支援機関から離脱、中立傭兵機構オリズモスへの移籍を宣言します」
戸惑いがはっきりした動揺へと変化を遂げる。
交錯する様々な感情。ある者は純粋に混乱し、ある者は怒りを顕にし、ある者は嘲りの表情を浮かべ、ある者は呆然とする。
共通するのは、「どう反応すればいいのか分からない」――という感情的空白。私はその機を逃さず畳み掛けた。
「同じ魔法少女の皆さん、私は以前から支援機関のあり方に疑問と反感を抱いていました。彼らは魔法少女への支援を謳いながら、その実、私達の肉体と精神を消費して多大な利益を得ているのです」
声を張る、朗々と。
「彼らに本心から支援を行う気がないことなど、明白です。もし在るのならば何故、このような下種な人間たちに便宜を図る為に、私達が身体を差し出す必要があるのでしょうか」
決して感情的にはならず。
「機関のやり口は搾取者のそれです。しかも、極めて卑劣な」
時折、スポンサーや機関の人間が何かを言おうとするが、その度にエルゴが凄みを利かせて黙らせる。それでいい。これは対等な交渉などではなく、彼女たちを底なし沼から引きずり出すための方便なのだから。
「おかしいとは思いませんか?」
「……」
「……」
「……」
私の問いかけに対して、少女たちは戸惑っていた。抑圧され支配され続けてきた人間としては当然の反応。
けれど、やがて変化が起こる。
「……お、おかしい……と、思います」
「私も……本当は嫌でした、こんなの……!」
「気持ち悪かったです……!」
最初は呟くように。それに対して否定が返ってこないことを見ると、次第に大胆に。
卑猥に改造された魔法少女服を纏った彼女たちは、自我を取り戻したように声を上げ始める。主張するというより、まるで自分自身に言い聞かせるように。
「で、でも……! 待ってください! あの、私……家族に借金があって、こうやって稼ぐしか方法が……」
「あたしも! 父親が機関の病院にいるんです! だから、仕事しないと……どうなるかっ!」
中にはこうした反応もある。想定済みだ。
私自身がこのやり方に縛られていたのだから――でも、もう許さない。
「ならば、最強の魔法少女が保証しましょう。必ずあなた達の助けになる、と。あなた達の大切な誰かには指一本触れさせない、と」
右手に持ったハルバードを掲げ、大理石の床に打ち鳴らす。
これまで何度もしてきたように胸を張って、揺るがぬ堂々たる英雄としての言葉と態度で。そしてにっこり、笑って見せる。
「大丈夫、私が護ります」
「――あ、ああ……うわあぁぁぁぁぁッ!!!」
瞬間、弾かれたように叫び声が上がった。あの担当者の声だった。
スマホを投げ捨て、拳銃を取り出し、半狂乱になりながら意味不明な言葉を吐き散らして走り出し――そして沈黙する。
「……あ、ぁ」
ハルバードの一振りで男の拳銃は真っ二つに斬り裂かれ、その体が崩れ落ちる。
死んではいない。単に気絶しただけだ。自身の顔面一ミリ手前で静止した穂先に、きっと貫かれるとでも思ったのだろう。
散々イキり散らしていたくせに、最後の最後まで無様な男だった。
再び訪れた沈黙が呼び水となり、少女たちが一人、また一人とこちら側に移動してくる。最早、誰も反対しようとする者はいなかった。
そして、最後には全員が離反の意志を見せたところで、私はもったいぶった風に口を開く。これまで好き勝手やってくれた大人たちに、精一杯の心を込めて。
「では皆さん、さようなら」
「ああ、言っておきますが……」
「もし彼女たちの関係者に手を出そうものなら、最強の魔法少女と最凶の黒鎧鬼が揃ってお話に参りますので――くれぐれもお気をつけて」
私は晴れ晴れと微笑み、黒鎧鬼が拳を打ち鳴らす。
その時の彼らの顔を、私はこの先、一生忘れることはないだろう。
重力制御魔法が私と少女たちを包み込み、空に浮かび上がる。鎧の鬼は自前で宙を歩む。
いつの間にか集まってきていたメディアの報道ヘリに手を振ると、私達はふわりと歩み出した。
「さあ、行きましょう」
「ああ」
誰にも阻まれることのない夜空を、輝ける月の下へ。
もしかしたら続くかも