第10話:家族
(……温かい)
ほのかに重みのある毛布の感触、知らぬ間に敷かれた新しいシーツの匂い。心地よい柔らかさが背中から伝わってきて、ケイはゆっくりと目を開けた。
さっきまで冷たい床の上で、必死に自分を支えていたはずなのに――今は柔らかなベッドの上にいる。 それだけじゃない。右手に伝わる、確かな温もりがケイの目覚めを促sした。
訝しみながら視線を動かすと、ケイの手をしっかりと握り、ベッドに上半身だけ預けるようにして寝入っているヒョードルがいた。ケイは一瞬、胸の奥が温まるのを感じたが、いつもより随分と疲れている顔をしている事に気づき、次の瞬間、心臓が一気に冷めていく。
(……しまった、迷惑をかけてしまった……どうしよう……)
どうしよう、どうしようどうしようどうしよう、反芻する旅に嫌な汗がどばっと流れるのが分かった。
(どうしよう……出ていくしかない……よね)
今の自分ならば、家が無くたって何とか生きていける。その後は、居場所を作るだけだ。
そんな事を考えてしまう自分に胸がずきりと痛むが、ケイは首を振って振り払う。
(ごめんなさい、ヒョードルさん……)
そっと手を引こうとすると、その微かな動きにヒョードルが瞬時に目を覚ました。
「……ケイ?────そうだ! ケイ、容態はどうだ!」
ヒョードルはがばりと勢いよく起き上がるとケイの肩を強く掴んだ。目の前の存在が確かに目の前にいる事を確認する為に掴んだ右肩に思わず力がこもる。心配をしている筈なのに、ケイにとっては何故ヒョードルがそんな険しい表情をしているのかが分からず、驚くと同時に身を強張らせ、顔が青ざめていく。
「あ、ご、ごめんなさい……! すみません、ごめんなさいっ」
動悸が早くなり、過去の記憶がフラッシュバックする。逃げる算段だったのにも関わらず、小さい頃の記憶が心臓に絡みついて、ケイは咄嗟に謝罪の言葉しか出てこなかった。
「しまった、すまん、いきなり強く掴んでしまったの。大丈夫か、脅かして悪かった」
ヒョードルが慌てて手を離し、眉を下げて謝る。本気で心配していたのが分かる声だった。それがやっと分かったのか、ケイは逃げる様に顔を俯く。
「ケイよ……。なぜあんなことをした?……」 ヒョードルが優しく問いかけると、ケイはうつむき加減のまま口を噤む。二人の間に沈黙が流れ、ケイは居心地の悪さを感じる。
ヒョードルはその間何も聞かず、じっとケイの口から説明されるのを待っていた。やがて、ケイは「……ごめんなさい」と謝罪の言葉を前に置いて、かすれた声のまま答えた。
「……ヒョードルさんの、役に立ちたかったんです。もっと……それに、出来れば両親に謝りたかった……」
そう言って、ケイは瞼をぎゅっと強く瞑った。
ヒョードルはそんなケイの姿と言葉を聞いて納得できない気持ちになる。
強くなろうとする気持ちはまだ理解できる。きっと、自分自身の存在意義を見つけ出す為だ。
しかし、語られた理由の中でどうしても腑に落ちない事があった。
魔力を元に記憶が流れ込んだ、ケイの過去。
誰がどう考えても、自分自身を大切にしてこなかった親に対して、謝罪をする必要などあるのだろうかと。
「……なぜ、そこまでして両親に謝ろうと……?」
「……その」とケイは口ごもり、しばし沈黙した後、静かに言葉をつないだ。
「僕だけが生き残ってしまったから……。だから、この世界で生きていく許しがほしくて、一言だけでも謝りたかったんです」
その言葉に、ヒョードルは絶句する。目の前の子供が、想像以上に両親への罪悪感に苛まれていることに。 思い返せば、ケイはずっと誰かのために行動してきた。誰かの役に立ちたいと思うのは、捨てられたくない気持ちの裏返し。そして、迷惑をかけたくないということは──
(自分の居場所を必死に探していたのだ)
そして、なんて健気で不憫な子供だと思ってしまう。
(自分を大切にしなかった親の事など忘れてしまえば良いというのに……いや、情が邪魔をするのだろうな。まがりにも親だ。完璧に憎む事など出来ないのかもしれない)
ヒョードルはゆっくりと手を差し伸べた。その間もケイは、ヒョードルと目を合わせずに呟き続ける。
「ごめんなさい。……いえ、すみません。本当に迷惑をかけるつもりはなかったんです。心から、ほんとうに……ごめんなさい」
積み重ねてきた信頼や絆が音を立てて崩れていく感覚が、ケイの胸の中を覆い尽くしていく。同時に、ようやく手に入れた居場所を手放さなければならない切なさ、迷惑をかけたという後悔、両親に謝れなかった心残り。
そういった自責の念が波の様に押し寄せる。
ケイはそんな思いばかりに囚われ、ヒョードルの悲しげな表情には気づかない。 深く沈んだ思考に呑まれ、ケイは自分の唇をきつく噛みしめる。そして、やっと絞り出した言葉は「……出ていきます」だった。
「…………は?」とヒョードルは、思わず間の抜けた声を漏らした。
「ご迷惑をおかけしました。もう、ここにいる資格はありません。すぐに、出ていきます」
まるで既に覚悟を決めたような淡々とした口調で語るケイに、ヒョードルは慌てて制止する。
「ま、待て待て!! 勝手に自分の中だけで決めるんじゃない!」
ヒョードルは深く息を吸い、ケイの両肩を強く掴んで向き直す。
「でも……っ」
「お前は、ここに居ていいんだ!!儂の家族なんじゃから!!」
突然の言葉に、ケイは目を大きく見開く。
「…………えっ…家族……?」
何を言われているのか理解できず、ケイはぽかんと固まった。その反応に、背筋に冷や汗が伝うヒョードル。やはり、と内心で嫌な予感が現実になっていたと感じる。
「か、ぞく……ですか? 僕達が?」
「まさか……ケイよ、今まで儂のことを家族と思ったことはなかったのか?」
「…………はい」
長い沈黙ののち、ケイは信じられないというような眼差しで答えた。
それについては、誰も悪くない。ケイは両親の愛を知らず、家族の形を理解しないまま育った。一方、ヒョードルもまた幼少期に両親を奪われ、復讐心で生きてきた人生で子どもと接する経験さえなかった。
それでもヒョードルは、この壁を乗り越えようと決意する。 今回のことでケイの心のうちがわかった。ならば、ここから親子になっていけばいい。 そう思い立ったなら、あとは実行あるのみ。
ヒョードルはケイの体を、やさしく、しかししっかりと抱きしめる。一瞬、ケイが息を呑む音がしたが、ヒョードルはそのまま強く抱き寄せた。
「ヒョードルさん……?」
戸惑いを隠せず、ケイはかすれた声で名を呼ぶ。
ヒョードルは少しだけ体を離し、ケイの肩をしっかりと掴んで、まっすぐその瞳を見つめる。そして、ほんの少し照れたように、しかし決意を込めて囁いた。
ずるい言い方かもしれない。だが、そうでもしないとケイはきっと頷かないのだ。 ならば、とことんずるくなればいい。
「ケイよ、改めて儂と“家族”になってほしい」
ヒョードルは願う。
「ここが、お前にとっての居場所であり、帰る場所だ」
ここがケイにとっての生きる場所なのだと。
ケイは何度も、何度もまばたきをし、ゆっくりと目を大きく開いてみせた。彼の口からは空気だけが漏れて、うまく言葉は出てこず、何度も口を開けては閉じるのを繰り返す。普段は冷静でいくらか大人びているケイが、こうやって感情が追いつかずにしどろもどろになり、すっかり子供らしくなってしまう姿が、ヒョードルには可愛らしく映った。
「ともかくだ、血も大量に流したし、体力も腹も減っただろう。今から儂が晩飯を準備する! しっかり食べて、休むぞ!」
「え、晩飯? え、休む……?」
「そうだ! 元々儂一人でも作れるからのう! 美味いはずじゃ!」
ヒョードルが豪快に笑いながらそう言うと、ケイは戸惑いながらも、先ほどの言葉に返事ができず、ただあたふたとしていた。その強引さに、つい戸惑いの声がもれた。
「ま、まってヒョードルさん、ぼく、ヒョードルさんに迷惑かけた……っ」
ケイの声がまたかすれる。どう返せばいいかわからず、正しい答えを模索している様子がありありと伝わる。その様子を見て取ったヒョードルは、「よし!」と威勢よく宣言した。
「あれくらい迷惑だと思っとらん! それともう修行は無し! 魔法も無理やり回路を作った副作用で、使う度に自傷が入るようになっておるから、自動治癒を覚えるまでは禁止! それと、当分食事も作らなくていい! 代わりに儂が作るからの!」
「え、えっ、でも……ぼくはその間……役目が──」
ケイは戸惑いながらも食事当番を申し出ようとしたが、ヒョードルはそれを遮るようにガバリときつく抱きしめた。
(役目など……そんなもの、儂は求めてない)
今はまだ言葉だけでは伝わらない。けれど、この愛しい子に自分の想いを伝えたい――ただその一心で、この小さな身体と頭を包むように抱きしめる。
やがて、ヒョードルはゆっくりと腕に込めた力を解き、ケイの両腕をしっかりと支える。そのまま、まっすぐにケイの目を見つめて言葉を紡いだ。
「決定事項だ! お前からの返事は「はい」以外聞かんからな。あ、あと仕事は放り出せんから、お前もこれから一緒に連れていく。妹や爺にも顔を合わせる予定だ」
「え、えっ、え?」
相変わらず混乱しているが、そんなことは関係なかった。
ヒョードルはもう、一歩引いて導く大人としての役目を放棄した。ケイへの心の距離に遠慮することもやめた。
ケイが自分の気持ちを押し殺そうとするなら、ヒョードルもためらわず手を伸ばすと決めた。その上で、誓いにも似た言葉をケイに告げる。
「ケイよ、聞いてくれ」
優しくも威厳のある声に、ケイはびくりと肩を震わせ、こちらを見つめる灰色の瞳に目を合わせる。
「これから先、辛いことも嬉しいことも、全部話してほしい。そして、儂のためだと思って、どんどん甘えてくれ」
その言葉に、ケイの瞳が細かく揺れて、戸惑いと感情の揺れを伝えてくる。
やがて、しばしの静寂ののち――
「……………………いいんですか?」
おずおずと遠慮がちな声が、二人だけの部屋に響いた。
「ああ」
その問いに、ヒョードルは迷いなく言い切る。 ぐっと息を飲む音が聞こえる。 ケイは、生まれて初めて誰かを試すような言葉を選ぶ。
「ぼくなんかを、家族にして……いいんですか?」
「当たり前だ」
ヒョードルはニッと笑って力強く答える。
「また、迷惑をかけてしまうかも……」
声が徐々に震える。それは不安からではない。今にも泣きだしそうな切実な声だった。
「どんと、こいじゃの!!」
いつもの豪快な物言いが聞こえて、張り詰めていた緊張の糸が切れた。
くぐもった声が響いて、温かい手がケイの身体を包む。
ケイの目元に、今日初めて安堵の涙がこぼれた。そして、長らく抑え込んでいた感情があふれ出すように、ケイはついに泣き出したのだった。
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