第9話:過去
「今日は誕生日だから、好きな物を一つ買ってあげるからね」
「やったー!」
(ほほう、誕生日か)
――それは、中央王国から我が家への長い帰路の途中での出来事だった。
にぎやかな市場の大通りには色とりどりの屋台が並び、焼き菓子の甘い匂いや揚げ物の香り、掛け声や子供の笑い声が立ちのぼっていた。
ヒョードルの歩調に合わせて進む人波の向こうから、親子連れが楽しそうな声を弾ませながらすれ違っていった。父親は小さな子供の手をぎゅっと握りしめ、子供は嬉しそうに跳ねるような足取りで父の顔を見上げている――その光景が、なぜかひどく眩しく胸に刺さった。
ふと、ケイの顔が心に浮かぶ。
「ふふふ、時が経つのは早いもんじゃ。ケイが来てから、もう12ヶ月か……」
太く逞しい手で無意識に顎鬚を撫でる。 手を繋いで歩いた日、一緒に住み始めたばかりの頃の、ぎこちない雰囲気の中でスープを照れくさそうに口に運ぶ可愛らしい横顔……ちょっとした出来事だが、思い出すたび自然と頬が緩む。
もうすぐ一年になる。
あっという間だった。
慣れない森の家、見知らぬ土地、いやこの世界そのものに馴染むのも大変だったはずだ。さらに知らない人間に引き取られ、最初は警戒していたことだろう。だが、こちらが心配する以上にケイは驚くほど早く溶け込み、黙々と家事や儂の世話をするようになっていた。
(ケイは、どうしたいんじゃろうか?)
もしかしたら、早く独り立ちしたくて、自分に迷惑をかけまいと頑張っているのかもしれない。
そんな思いに囚われながら、ヒョードルは足を止める。
後ろを振り返ってみれば多くの市民達の姿が、夕陽に照らされて温かい橙色で溢れている。
通りの彼方では、あちらこちらで親子が手を繋いだり、おぶったり、叱るような声もあれば、笑い合う声も聞こえた。
市場の喧騒の中に、ありふれた日常がある。
ヒョードルはそんな光景を眺めつつ、かつて世界を脅かしたスタンピードを終わらせた甲斐があったと、心の底から深く息を吐いた。
魔王の再誕で世情は、また荒れかけているが、それでも小さな幸せがこうやって目の前にある事にヒョードルは嬉しく思うのだ。
今日も今日とて賑やかな事は良い事じゃ。なんて事を思いながら歩み始めようとして、また不意に足を止めた。
(そういえば、儂はケイの生まれた日を――知らんのじゃな)
先ほどの親子の会話がふと頭をよぎった。
今更。
なんて、いまさらな事に気づいてしまう。
それだけではない。
この頃、特にそうだ。親子らしいささやかな祝い事すら、忙しくてやれてない。
(馬鹿者、忙しさを理由にするとは……)
ヒョードルの自宅は、エルフの国の領域を離れ、中央国の端にある危険な森の中に建てられている。その森には、通常とは異なる危険な魔獣や魔物が頻繁に現れるため、非常に危険な場所だ。
しかし、危険な場所であるがゆえに世間や王都の喧騒からも遠く、ヒョードルが張った結界のおかげで、ケイと共に静かに暮らすことができている。
だが最近、魔獣による被害も以前よりも増し、国王軍から依頼された指導や騎士団育成の任務で家を空けることも更に多くなった。
それに比例して、出向く数が増える度に、ケイとの距離も遠く感じる様になってきた。
気付いてはいた筈なのに、ヒョードルはケイの物分かりの良さにすっかりと甘えてしまっていた。
何も、文句一つも言わない。
悲しむ素振りも、見せない。
そんなケイに。
ヒョードルの胸中に焦りが浮かび始める。
(……いつの間にか、あの子に甘えておったのか)
ヒョードルは、徐々に歩くスピードを速めていく。
途中、花屋の前を通り過ぎながら、半年以上も前に初めて一緒に行った祭りのことを思い出す。あの時のケイの嬉しそうな笑顔が脳裏に蘇る。
重たい息をつき、片手で顔を覆う。吹きつける風に片側のマントがはためき、冷たい空気がじわりと肌に染みた。
盲点だったことに気付き、急に胸の奥がざわつく。
(思い返せば、あの子について、何も……まだ、何も知らんのだな、儂は)
ケイが好きな食べ物も、嫌いなものも、どんな遊びが得意なのか、どんな趣味があるのか――思い返しても、何一つ浮かんでこない。
(……これでは、親子失格じゃな)
いや、そんな関係すら今や怪しい。
日に日に遠ざかる心の間隔。
(保護者ではなく、監護者か――)
今の関係を表すなら、この表現が一番近いのかもしれない。 国や民のため、幾千もの戦いと決断を重ね、名を馳せた元国父であっても、結局のところ、ただ管理者でしかなかった頃と同じだ。
ヒョードルは、今や当然となった日常を思い浮かべる。 確かにケイは今も、自分の前で素をさらけ出す事は少ない。
それでも、ふとした瞬間に控えめに微笑んだり、頭を撫でると耳を真っ赤にして照れくさそうにしてくれることがあった。 たとえ不十分で不足した関係性だったとしても、少なくとも自分たちの間にあった感情が偽りではないことを信じていたい。
愛情表現の難しさ。思いを伝えることが、なんと難しいことか。 それでも、悩み、考え、時に熟考した末に、その思いが届いた時の嬉しさを思い起こす。
(儂もまだまだじゃのう)
長い人生で、まだ学ぶべきことが山ほどあるのだと、嫌でも痛感させられる。
家族とは、親も子も共に成長し、学び合う関係なのだ。 そして、今この気づきを、今この瞬間を逃してはならないと、強く思う。
何よりヒョードル自身、長すぎる人生の中で。 裏切りと復讐にまみれた暗い時代を経て――生まれて初めて、自分の人生を「楽しい」と心から思えたのだ。
夕焼け空が、街の建物や石畳を朱に染め上げていく。 空気は、甘い菓子と香辛料、そして冷たい夕風の混じるさざめきで満ちている。
ヒョードルは大きく息を吸い、「ふはっ」と吐ききった。
今最優先すべきことは、ただ一つ。
「早く帰らねば――まずは、一緒に何か……せめて今日からでも、またちゃんとした家族で食卓を囲みたいものだ!」
心から、ケイのために。あるいは自分のためにも。
そう思うと、胸の奥に灯がともるような衝動が生まれる。
ヒョードルは大地に魔力を込めると、足元で紫色の濃霧が渦を巻いた。
ブンッ!という唸る音とともに、周囲の空気がビリビリと振動する。小さな旋風が足元に集まり、石畳がわずかに凹む。
ヒョードルは地面を蹴ると、そのまま走り出す。スキップをするかのように、二歩、三歩と地面を蹴って勢いをつけて身体を高く跳ね上げた。
その動きは通行人の注目を集めたが、彼は気にしない。
風を切り裂く感覚。屋根の上まで飛んで、空中に身を預ける。
「リフト(押し上げろ)」
一言低く呟くと、足元に魔力を集中し、空気の壁を蹴りつけた。
──ダンッ!! 空中を弾丸のように滑空する。
ヒョードルを見上げる人々の驚きの視線が遠く小さくなっていく。
常人には到底真似できない芸当。重たいマントが激しくなびく中、国外にある自宅へと、空を蹴り続けていく。
脳裏には、ケイが寂しげに食卓に一人座る姿や、毎朝昼晩淡々と食事を用意したり、ふとした時に寂しそうな横顔をしていた事、特に儂を見送る度に浮かべる笑顔を思い浮かべる。
(あの笑顔の裏では……きっと、寂しさを隠していたのかもしれない)
甘えてしまっていた。あまりにも気丈に振る舞う姿に、いつの間にか慣れてしまった。
(大丈夫だと思ってしまった)
そんな筈はないのに。
(まだ、この関係の修復が間に合うのなら)
もっと笑った顔も、嬉しそうな顔も、恥ずかしがる姿も、いじけた姿、時には不貞腐れだって、全部、見せてほしい。
いろんな姿を見せて欲しい。そして、全部抱きしめてやりたい。
(………そう言えば、最後に抱き締めたのはいつだったかな)
空を翔る間、心の中で何度も思い返すのは、これまでケイと積み上げた鍛錬の日々ばかりだった。 自分は、強くなればどこでも生きていける、誰にも屈しない強さを得れば、ケイが見せる不安も振り払えると勝手に思い込んでいた。
だが、それは間違いだったと今なら分かる。
(本当は、厳しい鍛錬ばかりよりも……もっと会話し、あの子の気持ちに心を添え、多くのことを聞いてやればよかったんだ。命を奪う技術や戦い方じゃなくて、出会った頃のように一緒に布団にくるまって眠るような、そんな平穏な日々を重ねる――そういう時間を大切にすべきだった)
思い返せば、 あの子は一度も鍛錬が嫌だと言わなかった。しかしそれは――“自分が嫌われないように”、必死で応えてくれていたからかもしれない。
(結果、出来上がったのは……どこの国の騎士団長とも、武を究めようとする者たちと同じく、戦うためだけの技を持った“ただ強い子供”……)
これがケイの望んだ未来だったのだろうか。
もっと、違う形があったのではないかと後悔を胸を締め付ける。
風を切り裂く。流れる景色にも気づかぬまま、ヒョードルは一心不乱のまま家を目指して走り続ける。
今からでも“本当の家族”になれるよう、強く心を誓いながら――
ヒョードルはやがて森の奥の自宅の門前に辿り着いた。夕焼けが森を朱色に染め、冷たい空気の向こう、ほのかな明かりが窓に滲んでいる。
指を弾き結界を解いた後、玄関のノブに手をかけようとした瞬間、胸がざわめきだした。
(なんだ?)
胸のざわめきは最早抑えきれず、ヒョードルはわずかに震える指でドアノブを捻る。
家の中に入ると異様な静けさに、心臓の嫌な音が鳴り止まない。
思わずケイの安全を確かめるかのようにヒョードルはケイの名前を大にして呼ぶ。
「ケイ! ケイよ、どこだ?!」
ヒョードルはケイを探す為にリビング、台所に慌ただしく向かう。普段なら台所で夜ご飯を作っているケイがそこには居らず、いつもと違う状況に、ヒョードルは冷や汗が流れた。
「あの子の部屋は……!」
バタバタとヒョードルらしからぬ慌ただしい足取りで、ケイの部屋に走って向かう。
「……ッ何だ、この匂いはッ!」
鼻を突く鉄錆のような、生々しい匂いが風に乗って流れ込んできてヒョードルは焦りのままバン!と乱暴にケイの部屋の扉を開けた。
「……ケイ?」
リビングに入るなり、その場の空気は惨劇ともいえる冷たさに満ちていた。ヒョードルは目の前の光景に身体が硬直してしまう。
今まで見慣れてきた光景ではあるのに、散々と体験してきた状況にも関わらず、ヒョードルは目の前に起きている光景に思考が追い付かなかった。
床に鮮やかな紅が水溜まりのように広がる。
そこに、小さな体が、丸まるように倒れている。
「ケイ!!」
遅れてやってきた思考。声をあげ、駆け寄り抱き起こす。信じられないほど顔は青白くなっていたが、まだ温もりがある事に少しだけ安堵する。
「なにが起きてるんだ!」
ヒョードルは原因を探す様にケイの身体を向き直すと、ケイの胸元に、刺青のように赤黒く焼けただれた魔力の痕が刻まれていた。
(これは……魔力回路増幅装置の、痕……?!)
装置自体はケイの身体に既に馴染んでいて、ヒョードルは、ケイの身体に魔力を流すと確かにケイの身体の中に新しく魔力回路が生成されている事が分かった。
ヒョードルはケイが増幅装置を使って魔力回路が生成出来ないか、自分の身体で試したのだろうと察するが、それよりも、奇跡的に回路が生成されている事にも驚く。
(……装置を使って後天的に魔力回路を生成する話しは聞いた事あったが、まさか成功するとは……)
ヒョードル自身も装置を使った回路生成の話しは聞いた事があるが、失敗して亡くなった話ししか知らなかった。
(ここまでして、魔法を使えたい理由はなんだったんだ)
ヒョードルは唇をギリッと血が滲む位の強さで噛みしめるも、今は兎も角治療すべきだとケイの胸に回復魔法をかけようとする。するとケイがぽつりと言葉を漏らした。
「……ごめんなさい」
「ケイ?」
ヒョードルはケイの顔を覗き込むが意識は無いままだった。しかし、ケイはうわ言のようにかすかな声で言葉を途切れ途切れで呟く。
「ごめんなさい、いいこじゃなくて、ごめんなさい、ぼくだけいきてて」
閉じられた瞼の隙間から涙がこぼれ落ちる様を見て、ヒョードルは胸が苦しくなった。
うわごとのように何度も「ごめんなさい」と繰り返される謝罪に、ヒョードルはそっとその小さな手を握った。まだ生きている温もりを確かめ、額を撫で、必死に語りかける。
「大丈夫だ。もう大丈夫だ、儂は知っているお主が良い子じゃということを」
何度も優しく語りかける言葉とは裏腹にヒョードルの胸中は怒りと悲しみの渦で満たされる思いだった。
(なぜ、謝る! 何故、生きている事に謝らないといけない!!)
再度回復魔法をかけるため、ケイの身体に亀裂のように裂けた箇所に魔力を込めて手を当てる。詠唱なしに紫色の濃霧がケイの傷を包み、癒していく。
その時だった――
魔力回路が橙色に強く発光した、その一瞬。 ヒョードルの脳裏に、知らぬ光景が断片的に流れ込む。
「こ、れは……」
ヒョードルには信じがたい光景だった。親が子を支配し、育児を放置し、気に入らない事があれば無視をする――この異世界では、セプネテスではあり得ぬ、恐ろしい光景だった。
その理不尽と邪悪さに、ヒョードルは自然と嘔気がこみ上げる。
同時に、両親を殺された時以来の激しい怒りが全身を包む。
(なん、てことを……)
そして、やっと気づいた。今までのケイの態度、言動、そのすべてがどこから来ていたのかを。
ヒョードルは思わずケイの身体を強く抱きしめた。血で服が、腕が汚れようが、そんなことはどうでもよかった。
何度も、何度もケイを慰めるように「大丈夫だ」と何度も、何度も声をかける。
意識を失っていたとしても、その身体の傷が癒えるまで、ずっと、ずっと。
「儂は、ケイが生きてくれてて嬉しいよ」
生きてくれなかったら、自分に出会う事もなかった。
生きていなければ、復讐で燃え尽きた人生をずっと独りで、白黒の日常のまま過ごすだけだった。
生きてくれたから。ケイに出会えたから。
「儂は自分の人生を取り戻せたんだ」
もし良かったら、ブクマ・評価・リアクションしてくれますと貰えると更にやる気が出ます!




