第8話:魔力
「……ねえ、ヒョードルさん。相談なんだけど、僕も……魔法、使えるようになれるかな?」
「む? 魔法、か?」
「うん」
あれから10ヶ月が過ぎた。ケイの自分への過剰な訓練の追い込みもようやく落ち着き、久しぶりに二人で朝ご飯を囲むことができた。
ベーコンと、たっぷりの蜂蜜とバターが乗っかったパンケーキ。それに温かい紅茶。ケイは、ナイフでパンケーキを小さく切りつつ、少し迷うような目でヒョードルに声をかける。
ヒョードルはナイフとフォークをカチャリと皿の上に置くと、分厚い腕を組み、まじまじとケイを観察し始めた。
「うーむ、お主はもう十分強くなったぞ? 杖術も体捌きも、この家でも王国でも、下手な騎士が泣きながら逃げ帰るレベルじゃぞ?」
「それはヒョードルさんの教え方が上手いんです」
「ふははは、相変わらず謙遜が上手いのう」
ヒョードルはそう言いながらも、ケイが魔法まで身につけたい理由をしっかりたずねる。
ケイは、ほんのわずか俯いて、曖昧な笑顔を浮かべた。
「そう言ってもらえると嬉しいです。でも……もっと役に立てるようになりたくて」
「むう……」
ヒョードルはケイの、やや過剰なほど奉仕的な性格の由来に、本心ではずっと疑問を抱いている。
最近なんか、自分よりも早く起きて朝食だけでなく洗濯掃除、庭の手入れまで。どう見ても、子どもを通り越して 家政婦のようだと内心思っていた。
(日に日に、儂の為に尽くすようになってきている、このようじゃ……親子でもなんでもない関係になってしまう)
ヒョードル自身はケイにそんなことを求めた覚えはない。けれど、ケイの「人の役に立ちたい」という気持ちを尊重したいがために、強く止めることもできないでいた。
答えを待つケイの握られている両手をちらりと見やりながら、ヒョードルは女神からこの子を引き取ってからもう一年が経とうとしていることを思い返す。
気弱そうな見た目とは裏腹に、ケイは自発的によく動き、しっかりしている。武技の吸収も早く、教える側としてはむしろ圧倒されるほどだった。その分、誰かに守られること、甘える事に慣れなさすぎていた。
(この子の過去を知る事が出来れば、なんとか出来るかもしれんが、無理に聞くのも憚られるしだからと言って、今のケイの口から語られる事も無いやもしれん)
さて、どうしたものかとヒョードルは一瞬だけ真剣な表情を見せたが、すぐにわざとおどけて肩をすくめてみせる。
「──だがのう、魔法ってやつはな……先天的に“魔力回路”を持っとらんと、使えんのじゃ」
「やっぱり、そうですか……」
「やっぱり、ということは、もう自分で色々調べた口じゃな?」
ケイは小さく頷いた。
「お主の場合は異世界出身じゃからな。使えたとしても、魔道具くらいじゃのう」
「ちなみに、精霊術は覚えられるんですか?」
「精霊術は、その土地に根付くエネルギーを借りて超常を起こす技じゃが、大地の声を聞ける者しか使えんのじゃ」
いわば仙人のような修行が必要だと、ヒョードルは説明する。
セプネテス出身の人間であれば、修行を積めば使えるようになるが、異世界出身のケイには無理だということだった。
「さらに、知っておると思うが、魔法は便利じゃがリスクも大きい。精霊術とは違い、生命エネルギーを削るからな。自然の力を借りて何かを起こすのが精霊術。生命を“燃やして”奇跡を呼ぶのが魔法……じゃ。どちらも使うには知識が要るし、簡単には扱えん」
「でも、ヒョードルさんは精霊術も魔法も両方使えますよね?」
「儂はなぁ……趣味というか、どちらも使えた方が便利じゃと思って覚えたクチじゃからなあ」
そう言って、ヒョードルはワハハハ!!と頬を掻きながら笑い飛ばした。
ケイは素直にその説明に感心しているようだったが、どこか憂いの残る表情は消えない。
ヒョードルは腕をほどき、テーブル越しにぽんぽんとケイの頭を撫でる。
(ケイは儂のために魔法を覚えたいと言ってくれたが、それ以上に何か隠しておる気がする……。でも、まだ、それを話してくれる日は来んかもしれんな。いつか本音で、心の内を語ってくれたら儂は嬉しい)
そんな思いを胸にしまい、ヒョードルは空気を明るくしようと話題を変える。
「そういえば昔の話じゃが、儂も魔法に憧れて転移魔法を使ったことがあってのう。全然知らん村に飛ばされて、しばらく帰れんで大騒動になったんじゃ!」
「えっ! ヒョードルさんでもそんな失敗があるんですか?」
素で驚くケイに、ヒョードルは「ワシをなんじゃと思っとるんじゃ、完璧人間か?」と大声で笑い飛ばす。
ケイも、そんなヒョードルに釣られて笑顔を見せたが、ふと真剣なまなざしを向けて問いかける。
「ヒョードルさんは、その……王様だったし、失敗して、失望されたり……周りの目が怖くなかったですか?」
ヒョードルは、その視線を受けて真剣な声で返さなければと感じる。
「怖いに決まっとる。でも、誰だって失敗はする。大事なのは次じゃ、より良い“次”を得るためにな。しかしな──」
ケイが首を傾げると、ヒョードルはにやりと笑って言った。
「儂は逆に、勝手に期待して勝手に失望する奴らには腹が立つほうなんじゃ!」
「それは……たしかに?」
「そうじゃとも!」
ガハハハと豪快に笑うヒョードル。ケイもつられて小さく吹き出した。
「そうそう、それとな、ケイよ」
「はい?」
「話は戻るが、お主がこのまま強うなったら、騎士団の若手や下町の腕自慢どもはますます嫉妬して、針のような目つきで睨んでくるぞい」
「そんな、どうしたら……?」
「なははは!! 向かってくるなら、きっちりコテンパンにしてやればええ!お主には正道も邪道も教えてやったからのう!」
ヒョードルの豪快な笑い声が、食卓だけでなく家中にも響いた気がした。 あまりの脳筋的解決策に、ケイは目を丸くした後、思わず吹き出してしまう。
「っぷ、あっははは、了解です!」
ヒョードルは思わず目を見開く。
未だに他人行儀な話し方は変わらぬものの、その笑顔は、ヒョードルが見た中で一番年相応で、子どもらしいものだったから。
◇
ケイは一人で買い物に出かけていた。
(う〜ん、やっぱり魔法が使えるようになりたいなあ。ヒョードルさんの力になりたいのはもちろんだけど、でも……やっぱり両親のことが、ずっと胸につっかえている)
ケイが魔法を使いたいと強く願うようになったのには、誰にも言えない理由があった。
以前、ケイはヒョードルの伝手を頼って、ひそかに国立図書館に通っていた。 最初は単純な動機だった。この世界がどんな場所なのか、生きていくには何を知るべきか、それを知りたい――ただそれだけだった。
けれどある日、山のように本を漁っていたケイは、分厚い魔法学の一節にふと目を奪われた。
――魔法とは、生命エネルギーを消費し、願いや祈りを“引き寄せる”力である。
その一文が、ケイの心の奥深くに突き刺さった。
願い。祈り。
遠い記憶が、不意に脳裏をかすめる。 異世界に来る前――父と母と三人で出かけた、最初で最後の家族旅行。 父が急な仕事で帰らなくてはならなくなったとき、ケイは初めて駄々をこねて怒ってしまった。その姿に母もつられて父にきつく当たり、二人は口論に。――そして、あの事故は起こった。
あの時、自分がもう少しいい子だったなら。 「また今度」と我慢してふたりを気遣えていれば、母も父を責めなかったかもしれない。 全部、自分のせいだ。
(あの日のことが、今でも頭から離れない。 謝りたい。そんな言葉だけが、ずっと胸を締めつける)
(……もし魔法が祈りを叶える力なら、せめて一目だけでも――両親に会って、謝りたい。
そして、僕だけが生き残ってしまったことを、あのふたりは・・・どう思っているんだろう……)
正直、両親が自分に何か優しく声をかけてくれるような想像は全くできなかった。 だけど、せめて、せめて……自分の空想や理想で作った両親くらいは、自分の想いを受け止めて、泣いて喜んでくれると信じたかった。
そんなささやかな希望にすがるように、ケイは、いてもたってもいられず、ヒョードルに「魔法が使える方法」を訊ねずにはいられなくなった。
だが、この世界で魔法は――限られた才能を持つ者だけに許された力。 生まれ持った特別な“回路”がなければ、どんな努力も届かないと言われている。
それでも、ケイはあきらめなかった。 自分でも何か手段があるはずだと、必死で活路を探していた。
(……魔道具市なら、もしかすると)
週末、ケイは街外れで開かれている魔道具市を訪れた。そこは魔道具の製作者や行商人が、成功作も失敗作も問わずさまざまな品を並べる、まるで蚤の市のような場所だった。
屋台の奥、埃だらけの布の下から、ひときわ異質な光を放つ細工物が目に留まる。「魔力炉増幅装置」と手書きされたプレートがぶら下がっていた。
ケイは商人に、この装置にはどんな効果があるのか、そして「魔力炉」というからには体内に埋め込むことで魔法が使えるようになるのか、と尋ねてみた。
商人は片方の眉を吊り上げ、ケイを下から上までじろりと見やった後、やや心配そうな口調で説明する。
「それな、もともとは魔力をブーストするための古代兵器の部品なんだ。魔力を生み出す“心臓”周辺に埋め込むことで、魔力回路を増やせるって代物さ。でもな、坊ちゃん――あんたが思ってるほど簡単じゃない。聞いた通り埋めたら即魔法使いなんて都合のいい話はないんだ。下手すりゃ身体に大きな傷が残るだけ、いや、場合によっちゃ取り返しがつかないことになるかもしれねぇ。よく考えな」
年配の行商人は、渋い顔のままじっとケイを見つめた。
その言葉に、ケイは一瞬ためらったが、最後には(……でも、可能性があるなら、やってみるしかない)と自分に言い聞かせ、その装置を購入した。
その夜。ヒョードルが用事で遅くなると聞き、ケイは自室でそわそわと準備に取りかかった。
魔法仕掛けのランプに火を灯し、机上にリング型の装置をそっと置く。見た目はどこか神聖な装飾品のように美しかった。周囲を囲む精緻な金属の針が柔らかな光を跳ね返す。
(……いざやるとなると、やっぱり緊張する……)
ごくりと唾を飲み込む。自分の心臓が、やたらと大きな音で鳴り響いている。
こんな“実験”まがいのこと、本当にやるのか──どんなに覚悟したつもりでも、やはり恐怖と緊張は隠せなかった。
深く息を吸い、ゆっくり吐く。
(……亡くなった両親に、たった一言でいいから謝りたい。この世界でヒョードルさんと一緒に生きることを、許してもらいたい)
(──そして、「生きててよかった」って、言ってもらいたい)
その一心で、ケイはリングへと手を伸ばした。
ためらいなく……だけど、僅かに手が震えていた。胸にそっと装置を押し当てる。
カチリ、と鈍い音。
その瞬間―― リングの針が一斉にケイの皮膚を突き抜けた。
「……っ――!」
胸が焼けつくように熱い。血と汗が同時に噴き出し、皮膚が裂ける。
(痛い、痛い、痛い、熱い……!!)
嗚咽がこみ上げるのを、必死に噛み殺す。ケイはただ、その場で耐え続ける。
助けを呼ぼうとしても、喉の奥で声が詰まる。
――いや、分からないのだ。
こういうとき、助けをどうやって求めたらいいのか、誰にも教えてもらったことがない。
這いつくばりながら、全身を襲う痛みに耐える。なにもかもが自分の中でバラバラに引き裂かれていくようだ。
どれだけの時が過ぎたのか、分からない。
やがて、全身の震えが静かにおさまった。 ケイは手足の力が抜けたまま、床へと崩れ落ちる。
胸に貼りつけた装置は、赤黒く焼けただれた皮膚と一体になり、消えない罪のような傷痕だけを残した。
脳が燃えるように熱い。肌を焼く痛みが全身を駆け抜ける。流れた血と汗の嫌な匂い。
自然と涙が溢れ出した。ケイは血のついていない手の甲で、それをぞんざいに拭う。
助けて――そんな声は、とうの昔に喉の奥で枯れていた。 助けを期待した記憶が、どこか薄れている。もしかしたら、幼いころから、そうだったのかもしれない。
(……でも、それでも……)
震える声で、ケイは呪文を唱える。
「アプトルヒット」
本で読んだ――死者の魂が強い未練を持っていれば、この世に一度だけ呼び寄せられる魔法。
(謝りたい。そして、ぼくだけが生き残ったこと、ヒョードルさんと一緒に生きていることを、どうか許してほしい)
そして、
(なにより、「生きてて良かった」って、言って欲しい)
その祈りとともに。
橙色の魔法陣が倒れ込んだケイを中心に展開される。
その人間の性質を映すように、魔力が花びらとなって形作られる。
無数の花びらが、何百、何千と現れ、ケイの目の前で、人のような姿になろうと……
──ならなかった。
(……え?)
花びらがどんどん薄れ、消滅していく。
もう一度、内なる魔力を意識して、力を流そうとする。けど、何も起きない。 装置は確かに自分の胸にある。魔力も流れている。呪文だって間違えなかった。
それなのに――なぜ?
(なんで?なんで?なんで、なんで、なんで――!)
──なにを今更。知ってた筈だろ。
そう心の奥底にもう一人の自分が真実を突き付けてくる。
本当は、優しい言葉も、ぬくもりも、ほとんど与えられた覚えがない。 手のぬくもりさえ思い出せない。
だからこそ、「自分が悪い」と思い込むしかなかった。 そうすれば、子供がこんなにも放っておかれる理由を、納得できる気がしたから。
けれど、もう一人の自分が言う通り、どこかで、気づいていた。
両親には、自分へ“未練”など、最初からなかったのだと。
この魔法は、未練ある魂だけが、ひとときだけ呼ばれる。
――でも、誰も現れることはなかった。
だとしたら、それが答えなのだ。 本当に、自分のための“未練”なんて、最初から無かったのだと。
何も。
いっさい。
心の奥で積み上げてきたものが音もなく崩れ落ち、 ケイの心は、はじめて音を立てて壊れた。
「……あ、あああああぁぁぁぁぁああッ!!!」
涙が堰を切って溢れ出す。感情が、今まで塞き止めていた全てが叫びと共に溢れ───電池が切れたように止まる。
(………………冬吾……ヒョードルさん……会いたいよ……)
どれだけ辛いことがあっても、死にたいほど苦しんでも、親友やヒョードルといれば、なんとか立っていられた。
でも、ここは異世界だ。親友に会うことは叶わず、ヒョードルは今日も家を空けている。
誰も自分の傍にはいない――そう実感した時、ケイの心は脆く崩れていった。
「もう、いやだ…………死にたい」
かすかな声が、世界の底に吸い込まれていく。 ケイは、すべてを終わらせたかった。 この、孤独で冷たい世界ごと、すべて消えてしまえればと心から願った。
流れる血は止まらない。このまま、このまま全て放り出そう。
だが、その時。
遠のく意識の向こうから、切り裂くような声が響いた。
「――ケイッ!!」
力強く、必死に、あたたかな声が絶望という暗闇に、一筋の光が差し込む。
呼ばれた自分の名前。消えかけていた意識の中、ケイは自分の名前を必死に何度も呼ぶ人の姿を思い出す。
(ヒョードル……さん?)
どうして、家に? どうして、今ここに……? 疑問がいくつも浮かぶが、言葉にはできない。それでも、朦朧とする世界の中で、ヒョードルが確かに手を伸ばしている気がして───そして、ケイはそのまま全ての意識を手放した。
もし良かったら、ブクマ・評価・リアクションしてくれますと貰えると更にやる気が出ます!




