第9話:追想
2025/8/2 ヒカルと菊香のキャラクターイメージを追加しました。
「う〜ん・・・よく寝た気がする」
時間はすでに昼過ぎだった。
慣れない土地での行動による肉体的・精神的疲労。加えて魔力の枯渇による消耗が重なり、繋は昨夜、泥のように眠り込んだ。その結果、起きたのはすっかり日が昇った後だった。
身体はまだ重く、気怠さを感じる。繋は無理やり体を起こすと、テントの天井越しに差し込む日光を感じながら、仰向けのまま手を組み、頭上に向かってぐいーっと背伸びをした。
(初日は謎の高熱にうなされてほとんど眠れなかったし・・・今日はたっぷり寝られて良かった)
(どんな環境でも熟睡できるようになったのは、ある意味異世界での旅のおかげかも)
ちゃんと身体と精神を休めるときに休まないと、いざと言う時に人はまともに動けないと魔王討伐の旅路で繋はさんざん学んだ。
軽くテントの中でストレッチをした後、繋は再び仰向けになると目を閉じ、静かに瞑想に入った。
意識を集中させ、全身に魔力が行き渡るよう神経を研ぎ澄ませる。やがて、臍の中心がじんわりと温かくなっていくのを感じた。
(・・・・・・とりあえず、無事に今日も朝を迎えられた。それに・・・うん。魔力も少しだけど戻ってる)
少しだけホッと安堵するものの、繋は自分に言い聞かせる。回復したとはいえ、無理は禁物だ。
(昨日見たゾンビは、ステレオタイプの普通のやつだったけど・・・・・・)
ゾンビ映画でよく見る、ただ走ったり噛みついたりするだけのタイプ。ああいうのなら、数で押されない限り今の繋でも十分に対処できる。
(でも・・・変異体や特殊個体がいたら厄介だ)
かつていた異世界では、特殊な環境や条件が重なって変異体のゾンビが出現することがあった。地球も例外ではないかもしれない。
(・・・・・・にしても変異体、かあ)
繋の脳裏に、ある男の顔が浮かぶ。
一時期、共に旅をした存在。「魔王」として覚醒する前の彼と交わした、仲間とも違う特別な縁。
──そして最後には。
「・・・今は考えるべきじゃない」
首を横に振り、頭からその記憶を振り払う。
(それより今は、早く《オルタナティブ・マジック》を使えるまで魔力を戻さなきゃ)
繋は自分の現状にもどかしさを感じる。
だが、幾ら焦ったところで魔力回復には「時間」しか解決方法が無いのだ。
結局繋が今出来る事は大人しく元の魔力量に戻るまで日々を過ごしていくしかないのである。
(このくらいの魔力量なら・・・じいちゃんのところまでは行けそうかな)
そう呟くと、繋は昨日と同じようにテントを片付け、身支度を整えた。杖にまたがり、空へ飛び立つ。
片手にはコンビニで手に入れた道路地図を持ち、周囲を確認しながら飛行する。
しばらく空を飛んでいると──
(・・・・・・暑い!!)
最初こそ海沿いの道路に沿って飛行していた事もあり、海沿いの景色と潮の香りを楽しんでいたが、徐々に気温が上がり、繋の顔には汗が滲み始めた。
空の上は日差しが容赦なく直撃し、額からは汗がダラダラと流れ落ちていく。
「今日は昨日より暑すぎ・・・地球って今、夏なのかな?」
額の汗を手で拭いながら、繋はぼやく。
安全を考えて高高度を飛んでいるため、太陽との距離も近く、地上よりもはるかに強烈な日差しが降り注いでいた。
だが、地上に潜む危険を考えれば、この暑さには耐えるしかなかった。
(ん?)
澄み渡るような青空を背景にのらりくらりと飛行している最中、繋の視界に、海沿いの道路を走っている人らしき姿を遠くから見つけた。
(ゾンビ?)
──いや、違う。人間!
走っていた存在が人だと気づいた瞬間。繋の行動は早かった。
高度を下げて速度を上げる。
(誰かが襲われてる!)
彼の目に映ったのは、走る人間の後ろから迫る、無数のゾンビの群れだった。
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「おじさん!! ねえ、お願い! しっかりして!!」
「・・・俺の事はいい・・・。おまえだけでも逃げろ・・・」
「そんなこと言わないでよ!」
少女と男は必死に逃げていた。
2人は息を荒げながら走る。
女性の名前は赤井菊香
高校3年生の女の子。顔立ちは柔和でありながら、瞳の奥には確固たる意志と強さが光る。大きな瞳は好奇心に満ちており、出会う者たちに親しみやすさを与える。髪は肩にかかる程度の長さでゴム紐で一つに括られていた。
彼女は、その大きな瞳を細め自分よりはるかに大きな男の身体を肩で支えながら走っている。ゾンビの足取りは早歩き程度だが、今の二人にはその速度でさえ脅威だった。
支えられている男性の名前は豪打ヒカル(ごうだ ひかる)
身長は高く、肩幅も広い。体は鋼のように鍛え抜かれ、顔立ちは精悍で、鋭い目、髪は短く整えられ、威圧感を感じさせる男だった。
男の脇腹からは赤黒い血がポタポタと滴っていた。顔は青白く、今にも倒れそうな状態だ。少女もすでに満身創痍だった。
そのような状態で2人は必死にゾンビから逃げようとするが、残念ながら2人の現状では追いつかれるまで時間の問題だった。
(諦めちゃダメ! なんとか・・・なんとかなる!)
少女は気力だけで男を引きずり、足を前に出す。男の動きが鈍くなるのを感じるが、それでも、ゾンビたちは少しずつ距離を詰めてきていた。
(このまま食われるくらいなら・・・海に飛び込んだほうがマシ。でも、おじさんが持たないかも・・・)
(くそ・・・あと少し! 道の駅まで行けば・・・lass1のゾンビなら、なんとか籠もってやり過ごせるのに!)
少女は心の中で叫ぶ。
(諦めるな、わたし! 最悪、おじさんと海に飛び込む! どうなるか分からないけど、食われるよりはマシ!)
諦めそうになる心を彼女は叱咤する。
(まだ可能性がある方にかけるしかない!!)
決意を固めるように、彼女は目を見開き、男に声をかける。
そして、場にそぐわない明るい声で、
「ねえ、おじさん!!」
男は妙に明るい声を出す少女に訝しく思いながら「なんだ・・・?」と掠れた声で返答する。
「一緒に、海にダイブしよっか!」
唖然。ニヤリと無理矢理に不敵な笑みを作って提案する少女に、呆気に取られた男は、しばし沈黙した後、呆れたように笑った。
彼女の考えが分かったのか男は彼女の提案に乗った。
「・・・・・・ああ、それも悪くないな」
男はそう言うと、とうとう意識が朦朧とし出したのか、それ以降声を発しなかった。
もはや選択肢はない。少女は男を支えながらガードレールへ向かって走る。
「・・・ありがとう。おじさん」
少女を男を引きづるように連れて、道路と海を隔てるガードレールまで走っていく。
ガードレールの向こう側を覗き見て、ザザーン強く波打つ海を見て少し唾を飲み込む。
(たしか、このあたりの海は深かったはず・・・底にぶつかることはないと思うけど・・・・・・)
「は〜あ」と少女は残念そうにため息を吐く。
(久しぶりの海が、まさかダイブなんて)
(でも、今はこれしかないもんね・・・)
「おじさん! いくよ!」
少女は覚悟を決め、男を抱え跳ぼうとしたその瞬間──
「すとーーーーーっぷ!!!!」
「えっ?!」
突然響いた声に、思わず足を止めた
。
後ろを振り向いて確認するが、誰もいない。
むしろ、ゾンビが近づいてくるまで、あともう少しだった。
(聞き間違い・・・?)
「はやまっちゃダメだ!!」
(違う、 聞き間違いじゃない!! 誰かが・・・!)
少女が辺りを見回そうとしたとき、
「しまっ──!」
男を抱えたままバランスを崩し、2人はそのまま海へと落ちていった。
(まずい、こんな状態で着水したら・・・! 私もおじさんも無事では済まない!!)
だが、宙に放り出された今、何をすることもできない。
少女は目を閉じ、衝撃を覚悟する。しかし、幾ら待ってもその衝撃は彼女を襲うことはなかった。
不思議な浮遊感を覚えた少女がそっと目を開けると──
そこに広がっていたのは、信じがたい光景だった。
(・・・・・・え?)
ゆっくりと目を開けた少女は、自分が落下していないことに気づいた。
(どうして・・・空中で止まってる・・・?)
彼女の体は、まるで宙に浮いているようにふわりと保たれていた。重いはずの男性の身体さえ、まるで羽のように軽やかだ。
そして──
目の前の光景に、彼女は息を呑んだ。
現実とは思えない。けれど、ゾンビが徘徊するこの世界で、現実感なんてとうに崩れている。それでも――これは違う。次元が違う。
彼女の視線の先、空を――人が飛んでいた。
しかも箒のような杖にまたがって、まるで絵本に出てくる魔法使いそのものだった。
「なにこれーーーーー!!」
彼女は余りの状況に、思わず叫ぶ。理解も追いつかず、興奮と困惑がない交ぜになった声が、喉から突き上がった。現実味がなくて、でも確かに目の前にあるその光景に、彼女の思考は一瞬フリーズしたのだった。
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(ああ・・・くそ・・・意識が、遠のいてやがる)
隣で自分を必死に支える彼女の姿を、申し訳ない気持ちを感じながら、男はぼやける視界の中に必死で捉えていた。痛みはすでに麻痺し、視界の輪郭が滲んでいく。
(海に飛び込むなんて――相変わらず、無茶しやがって)
(俺がこんな状態じゃあなければ、コイツに、こんな無茶な判断させなかったのに・・・)
(・・・クソったれ、俺たちを簡単に見捨てやがって・・・)
男は心の中で舌打ちをする。
――判断を失敗した自分に。
――そして、自分達を見捨てた者達も。
でも、と。男は心の中、何処かでしょうがないと理解していた。
自分の身可愛さで裏切ったりするのもしょうがないのかもしれない。
まだ、子供のような誰かがゾンビに襲われていても、見て見ぬふりするしかないのもしょうがない。
食料を分け与えられないのも――
「しょうがないんだよな・・・・・・」
だって。
こんな世界なのだから。
『しょうがなくないよ』
混濁していた思考を晴らすように。
唐突に頭の奥に響く声が思考を貫いた。
男は朦朧としていた意識が、一瞬だけ鮮明になる。
(だれだ・・・?)
その声には、どこか聞き覚えがあった。懐かしさすら感じる。でも、思い出せない。
男は自分が知らない記憶に混乱する。
『なら。お前は誰でも助けるのか?』
また、さらに知らない別の記憶が、脳内に浮かぶ。
「さすがに誰でも、と言う訳じゃないけど。助けたいと思った人は、全力で助けたい。僕は、そう思ってるよ』
『(・・・・・・そう言って、お前はまた自分を犠牲にするんだろ)』
自分でも知らない誰かに、そう語りかけていた。
記憶はぼやけていく。けれど心の奥にあった何か――大切だった何かが、ゆっくりと遠ざかっていく。
耳に入るのは、
彼女の必死な呼吸、
遠くで唸るゾンビの声、
そして波の音。
――さらに、そして。
身体がふわりと浮かぶ感覚。
(なあ・・・。どうかコイツだけは助けてやってくれよ)
薄らぼんやりしていく、意識の中で、
男は、思わず祈っていた。
普段なら、祈りなんてくだらないと、いつもなら吐き捨てるくせに。
今生初めて心から願っていた。
自分はどうなってもいい。せめて彼女だけは、無事でいてくれと。
その想いを最後に、男の意識は、静かに闇に沈んだ。
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