第6話:祭り
ヒョードルに引き取られてから、早くも四ヶ月。
お昼どき、ちょうど腹が減る時間だ。ケイは杖術を覚えるため、振っていた木の棒をくるくると数回転させ、最後にトン、と地面についた。
「よし、今日のノルマも達成」
ケイは庭に設けられた訓練場で、ヒョードルに教わったいくつもの型を何百回も反復練習し、やっと終えたところだった。
早めに起きると、まず二人分の朝食を用意し、食事が済めばヒョードルから言い渡された鍛錬ノルマを、一人黙々とこなしていた。
(最近は一人での魔獣討伐も余裕が出てきたし、盗賊退治も・・・・・・慣れてきたかな)
ヒョードルの鍛錬は厳しい。いや、正直かなりハードだ。最初の頃は基礎体力や武器の使い方、対人戦の訓練から始まり、今では最高峰の冒険者ですら命を落としかねない危険区域の森で、ケイ一人で一週間以上サバイバル生活を送るなど、様々なことを課されている。
ここで誤解してほしくないのは、全てケイ自身の“自発的な希望”によるものだということ。
本人はヒョードルに褒められたい、期待に応えたい一心で、自ら厳しい訓練を引き出している。
そして何より一番良くないのは、「今までの、生きているのか死んでいるのか分からない日々」と比べたらずっとマシ、という気持ちでやれてしまうことだった。
それでもケイは、やっと見つけた“自分がいてもいい”と思える場所を、決して逃したくないと必死になっていた。
(ヒョードルさんの訓練はハードだけど、徐々に慣れてきた。それはいい。それよりもやっぱり、命を奪うことにどうしても慣れない・・・・・・)
ヒョードルからは「殺気を感じたら、その時は殺すつもりでいろ」と教えられた。
そして、「それでも救うかどうかは、お前が誰よりも強くなった時に初めて、自分で判断すればいい」とも。
──心も、体も。
(初めて命を奪ったときの、あの感覚。今でも忘れられない)
──そして、それはきっと、忘れてはいけないのだろう。
ケイは無理やり深呼吸をすると、森の濃い匂いが胸の奥に広がる。その度、ざわめきそうになる精神を落ち着かせる。額に浮かんだ汗を手の甲で拭い、気持ちを切り替えるためにケイは一言つぶやいた。
「お昼ごはん何作ろうかなぁ」
家主であるヒョードルも、仕事の昼休憩でそろそろお昼ご飯を食べに帰ってくる頃だ。
「この間植えたバジルもトマトも増えてきたし、トマトパスタでも作るべきか。はたまた、ジェノベーゼソースでジェノベーゼパスタもいいかも・・・・・・う~ん、迷う~」
よし、少しずつ気持ちも前向きになってきたと思いながら、杖の上に両手と顎をのせて一人悩んでいると、チリンと鈴の音が響いた。それは、敷地内に入るために魔獣避けと魔物避けの強力な結界を一時的に解除するときの音だった。
ケイはその音に気づいて門扉のほうへ顔を向ける。そこには、壮年の美丈夫が手を大きく振りながら入ってくる姿があった。
「ただいま、ケイ! さっそくだが、これから祭りに行くぞ!!」
「お帰りなさい、ヒョードルさん! えっと・・・・・・祭り?」
ケイは忙しい筈なのに、こうやって毎日お昼時になれば一緒にご飯を食べに帰ってくれるヒョードルの事が好きだった。
自分自身も気付かないレベルで顔をほころばせて、駆け足でヒョードルの元へ向かう。
「ふっふっふ! たまには賑やかな街を歩くのも悪くなかろう! それとな──」
ヒョードルはいつになく神妙な顔つきになって、少し恥ずかしそうに言葉を探す。
「最近はお主が家事も全部やってくれるし、わしが家を空ける間も頼りきりでな・・・・・・ほんに、礼と詫びとご褒美のつもりじゃ。今日は好きなもの、欲しいもの、なんでも好きなだけ言うてみなさい」
いつもなら有難くその好意を受けとめるはずのケイだが、一瞬、目を大きく見開いた。
「えっと・・・・・・僕、は・・・・・・」
ケイは、ずっと昔から気になっていた祭りという行事に縁が無かった。
両親が家に居る事は無く、あの夏休みの旅行以外で何処かに連れてって貰う事なんてなかったのだ。
また、冬吾と冬吾の母から何度も誘われる事はあったが、今度こそ両親が連れていってくれるという淡い期待を持ち続けていたのもあって、ずっと断っていた。
「遠慮せんでいいんじゃぞ。食い物でも、本でも、服でも、何でも!」
ケイは瞳を揺らしながら、ゆっくりとぎこちなく首を横に振り、曖昧に微笑んだ。
「いえ。僕は・・・・・・何もいりません。家に住まわせてくれるだけで、十分ありがたいですから」
正直に言えば、ヒョードルの申し出は嬉しい。
嬉しいし、本当はその提案に飛びつきたかったが、自分が置かれている立場を考えると、これ以上ない贅沢だと思い、高鳴る胸の鼓動を抑えてケイは遠慮する。
ヒョードルはしばらく黙ってケイの顔を見つめる。
ケイなら遠慮するだろうと、自分の予想が当たっていた事に内心苦笑いをする。
この遠慮がどこから生まれてくるものか。本当に欲しいものがないのか、それとも“分からない”のか――
顎鬚を撫でて、「ふっ」とヒョードルはにやりと笑った。
「そりゃ困ったのう。そしたら――家主の命令じゃ!」
「へ?」
そう言うや否や、ヒョードルはケイの背中をぽんっと軽く叩く。
「わっ、え――?!」
不意を打たれたケイをがしっと抱え上げて、そのまま背に乗せてしまう。
「ヒョードルさん・・・・・・!?な、何を・・・・・・?!」
「たまには、お主にも子供らしくはしゃいでもらう。よし、しっかり掴まっておれよ!」
ブンッ!という唸る音とともに、周囲の空気がビリビリと振動する。小さな旋風が足元に集まり、ヒョードルは豪快に地面を蹴った。
「はい?」
ケイの体がぐっと高く持ち上がる。視界は一瞬にして地面から上空へ。
体重などまるで気にしない宙に放り出されたような感覚。ケイはそれを実感する間も無くそのまま二人は森の上空へと飛び出した。
「きゃああああああああっ!!!」
遅れてやってきた恐怖。ヒョードルの首を鷲掴みにしがみついたケイの叫びが、新緑の森を突き抜けて夕焼け空に吸い込まれた。冷たい風が顔を打ち、心臓がどこか変な場所まで持ち上がるような感覚。
ヒョードルは背中越しにケイの悲鳴に笑いながら、「ほれ、景色も悪くなかろう? 空から見るとまた違うものじゃろ!」と茶化す。
「そんな余裕なんて無いですって!!」
ケイの訴えには豪快な笑い声でしか返ってこず、振り落とされまいと必死に太い首にしがみつくのが精一杯だ。
「しっかり支えておるから、せっかくの景色を楽しめ!」
優しくそう言われて、ケイは自分をしっかりと支える大きな手の重みを感じる。
ゆっくりと、はるか遠くなった地面を見下ろすと、森の緑の連なり、なだらかに続く水路、賑やかな市場の屋台の屋根が石畳の川のように続いていた。
ヒョードルは、うさぎのごとくひょいひょいと空気の壁を蹴り、ケイにさまざまな景色を見せるために高度をゆっくりと下げる。
「こうやって見ると、本当に異世界なんですね」
ずっとヒョードルの住む森にいたからこそ、外の世界を見るのは初めてだったケイは、今、自分が生きている世界の広さや美しさを改めて実感していた。
空を優雅に滑空する飛竜。
遠く、空に浮かぶ島。
地球のようで地球ではないこの世界。
どんな奇跡があって、いまここで生きているんだろう――
自分でも理由のわからない高揚感が胸を強く締めつける。思わず、ヒョードルを強く抱きしめてしまう。
その様子を、ヒョードルはじつに嬉しそうに、優しい笑みで受け止めているのだった。
「よし! 王都に着いたぞ」
自宅から飛び立ってから、ほんの数分。二人は王都にたどり着いた。
丁度王都の上空を飛んでいる状態で、ケイは空から見える王都の姿を見下ろす。
祭りの日らしく、頭上には色とりどりの旗が翻り、通りのあちらこちらで太鼓の音が鳴り響く。合間にはラッパの高い音が混じり、軽やかな笛の調べや、人々の賑やかな笑い声が聞こえる。遠くにはパレードらしき行列の影も見えて、太鼓のリズムに合わせて踊る人々の姿も見れた。
ヒョードルが王都の門前まで降り立つと、警備兵らしき人達が武器を一瞬だけ構えたが、彼がヒョードルだと気付くと直ぐに敬礼をし、王都の中へと入らせてくれた。
(すごい、顔パスだ・・・・・・)
流石元王様。他種族かつ他国。
さらに、退位しているのにも関わらず、未だにヒョードルの影響力がいかに凄いのか目の前で知る。
世界規模のスタンピードを治めたという、5人いる内の大英雄の1人。そして、長らく閉鎖的で鎖国状態だったエルフ国を改革して、更に国を大きくした武王にして賢王。
(そんな人の元に自分なんかを引き取って暮らさせて貰っているなんて、贅沢だ)
お菓子が並ぶ屋台、次は本屋、それから武器屋。さらには、煌びやかな宝石が並ぶお店まで。ヒョードルはケイが何に興味を示すのか気になって、色んな場所へと次々と連れていってくれる。
一通り案内が終わると、ヒョードルがひときわ大きな声で、「さあ、次は何が欲しい?」「ケイよ、あの宝石細工には興味なかったか?」と尋ねる。
だが、ケイは「えっと・・・・・・なにも、本当に、見ているだけで楽しいです」と隣で控えめに微笑むだけだった。
「むう・・・・・・そうか?」
「はい。そうですよ」
ヒョードルは納得いかないという顔になるが、ケイはこうやってヒョードルが自分を連れてきてくれたのが何よりも嬉しかった。
本当に。本当の本当に嬉しかったのだ。
「わあ、綺麗な黒髪と黒目! もし良ければ花冠でもどうぞ!」
すると途中、パレードを練り歩いていた花屋の少女が、ケイの姿を見るとトコトコと近寄ってきた。目を輝かせながら「お兄ちゃん、もし良ければ花冠、乗せてもいい?」と、可愛く見上げて尋ねる。
「うん、もし良ければ」
「やった!」
ケイがすっと身体をかがめると、少女は花の王冠を入れた籠から、薄いピンク色の小さな花が咲いている王冠を取り出し、両手でケイの頭にそっと乗せる。
花輪を頭に乗せてもらい、ケイが少し照れて「・・・・・・ありがとう」と感謝を述べて微笑むと、少女も釣られてニッと笑い返した。
ヒョードルはケイには聞こえない声で、どこかから漏れたような声を押し殺し、ケイの珍しいその表情を、本能的に強く胸に刻む。
やがて夕暮れが深まる頃には、町の路地に屋台の灯りがひとつ、またひとつと灯り、香ばしい匂いも流れてくる。さらには花火も打ちあがり、祭りはさらに賑やかさを増していた。
「ケイよ、何か腹は減っとらんか? 何でも好きなもの、何でもええ。せっかくじゃからな」
けれどもケイは少し考えて、「ヒョードルさんが食べたい物があれば、それが良いです」と答える。
本人は、ヒョードルがこういう催しでどんな物を食べるのか知りたいという純粋な好奇心で答えたつもりだったが、ヒョードルにはその意図がうまく伝わらない。ヒョードルは少しだけため息をついたが、それでも諦めずいくつかの屋台を回るうちに、ふと道端の新しい屋台を見つけた。
平たいパンの中にミートボールと焼き野菜と香辛料たっぷりのソース。
ヒョードルは久しぶりに見たミートボールサンドイッチを見て、「お、懐かしいな、これなどどうじゃ?」と試しに勧めてみる。
ケイは一瞬、王様でもこういうジャンキーな物食べるんだ?!と目を丸くしたが、すぐに小さく笑って頷いた。
そして、サンドイッチ片手に、噴水近くのベンチに座るヒョードルと、その隣にちょこんと腰かけるケイ。 風は少し冷たくなってきたが、受け取ったミートボールサンドはじんわりと温かいままだった。二人は無言で口を動かしながら、同じ味を共有する。
しばらくして、ヒョードルがサンドイッチを食べながらふと尋ねた。
「ケイ、こんなもので本当に良かったのか? 折角来たのだ、もっと、こう、高い物でも──」
ケイは僅かに首を横に振ると、ソースのついた唇の端で、これまでで一番素直な笑顔を浮かべてみせた。
「これが一番のご褒美なんです」
「ふむ?」
(ヒョードルさんが、僕なんかのためにお祭りに連れていってくれたこと、僕の事を知るために色々考えてくれたこと。その事自体がすごく嬉しくて・・・・・・そして、こうやって一緒に外食を食べて・・・・・・これだけで、もう、本当に十分なんだ)
今はまだ、恥ずかしかったり、自分から距離感を埋める事が難しくてはっきりと言葉にすることはできないけれど、いつか。いつか、ちゃんと素直に伝えられる日が来たら良いなとケイは思う。
まだ、言葉に出せない。けれども、そっと、ケイの小さな手が、ヒョードルの空いている方の分厚い手を握った。
ヒョードルは、珍しいケイからの歩み寄りにほんの少しだけ目頭が熱くなるのを感じた。
それを誤魔化すかのように「おっと口の端にソースが付いているのう」と豪快に笑い人差し指でぬぐって、そして約束を交わす。
「そうか、なら、また来よう。そして次は色んなものを一緒に食べようかの!」
「はい!」
二人は、にっとお互いに笑い合う。
色とりどりの屋台の明かりと人々の笑い声に包まれながら、二人は手をつないで夜空に打ち上げられる色とりどりの花火を見上げる。
(ヒョードルさんが、まだ本格的に忙しくない間、こんな幸せが続いたらいいな)
ささやかで小さな幸せ——でも、ケイにとってはとても大切で、ずっと忘れない大切な一日になったのだった。
もし良かったら、ブクマ・評価・リアクションしてくれますと貰えると更にやる気が出ます!




