第5話:ズレ
「まさか、異世界で暮らし始めてもう一か月かあ・・・・・・。早いなあ」
ケイが異世界に落ち、ヒョードルと一緒に暮らし始めてから、あっという間に一か月が経った。
最初はぎこちなかった会話も、今では少しずつ自然に続くようになった。 他愛もない話で笑い合うことも、何でもない時間の沈黙さえ、今はもう苦じゃなくなった。
それに何より。 とくにケイは、自分のことを無理に聞き出そうとしないヒョードルの気遣いが、心から嬉しかった。
(本当は、色々と聞きたいはずなんだろうな・・・・・・大人だから、なおさら)
でも、ヒョードルは何も尋ねてこない。もし尋ねられても、ケイ自身、内側で渦巻くどろどろした感情をうまく説明できる気がしなかったし、説明するつもりもなかった。
事故が起きた瞬間の記憶は今も少し曖昧ではあったが、フリッグがケイに事故にあった後の出来事を教えてくれた。
衝突事故に合い、そのまま海に放り出された事。
ケイの両親は即死だった事。
自分だけ偶然、世界の狭間に紛れ込んで、その場にたまたま来たフリッグに拾われ命を取り留めた事。
(ぼくだけ・・・・・・ぼくだけが生き残ってしまった・・・・・・)
両親が亡くなったのに、ケイは涙が出なかった。悲しいはずなのに、どこかで、ほっとしている自分すらいた。
そのことが、気持ち悪くて。 どうしようもなく、気持ち悪くて──。
自分を、 殺してしまいたいと思うほどだった。
だから、謝りたい。 泣けないこと、一人だけ生き残ってしまったことに。
事故の前、初めて反抗的な態度をとってしまったこと。 それがきっかけで、両親の間の均衡が崩れたこと。
(父さんと母さんの不倫の事だって知ってたのに。あの時、初めての家族旅行にはしゃいで・・・・・・でも父の仕事の都合で帰ることになった時に怒らなければ、もしかしたら事故には遭わなかったかもしれない・・・・・・)
──だめだ、とケイは頭を振る。
罪悪感が、 襲い掛かってくる。
心が壊れそうになる前に、ケイは記憶に蓋をする。
そうして、ありもしない思い出を作って、自分を誤魔化す。
そうやって、ここまで生きてきたのだ。
「・・・・・・ヒョードルさんにも、これ以上迷惑をかけたくない・・・・・・住ませてくれる場所を提供してくれるだけでも恵まれているんだから・・・・・・」
初めて、自分のことを優しく包み込んでくれる大人。 けれど、どうしても信用できない。 信じていいのか分からない。 それも、一時的なものかもしれない。
(自分が“いい子”でいる間だけ、優しいのかもしれない)
だから、ケイは早く自立したいと強く思っていた。
今日もヒョードルはいつものように庭に出る。大きな体を汗で輝かせ、拳を振るたび、朝日が鋼のように締まった身体を照らし出していた。
キッチンの窓から見ていたケイは、そっと息を吸い込むと、静かに靴を履き、外へと出ていった。
(少しでも、見て学んで、技や動きを真似して身に付けよう)
家の裏手の小さなスペースで、ケイはヒョードルの動きを必死に真似する。 右手を大きく前に出し、肩の力を抜いて円を描く──ヒョードルがやっていた通りに。
「・・・・・・ふん、はっ・・・・・・」
自分でも不格好な動きに、思わず苦笑したその時、不意に背後から影が落ちた。
「何をしておるんじゃ?」
「きゃ、きゃあーーー!!?」
ケイは驚きのあまり、その場で跳ね上がった。 振り返ると、そこには上半身裸で肩にタオルを掛け、両手を腰に当てたヒョードルが、呆れ顔で立っていた。
「なんだ、その変な声は。ん?」
ヒョードルはケイの拳に包帯が巻かれている事に気づき「はは〜ん?」と勘付く。
「隠れて鍛錬とは、やるのう!」
ケイの顔がぱあっと真っ赤になり、俯きながらあわあわと両手を前に振って誤魔化す。
「ち、違うんです! その・・・・・・少しでも自分ができることを増やしたくて・・・・・・」
ヒョードルはケイの頭をぽんぽんと優しく叩き、豪快に笑った。
「ほうほう! 偉いのう!」
バレてしまったが、これはチャンスだと一瞬で考え方を切り替え、おそるおそる顔を上げて聞いてみる。
「・・・・・・あの、もしよかったら・・・・・・鍛錬を教えてもらえませんか?」
「う、ぬう・・・・・・そうじゃのう・・・・・・」
ヒョードルが顎に手を当てた。
ケイの年齢は13歳。確かに異世界であればある程度は自衛出来るように何かしら剣術や武術を教えて貰う歳だ。
だが、それはあくまでもこの世界での話。
地球という平和な場所で生まれ育ったケイに戦い方を教えるのは酷ではある。
(しかし、万が一の場合もある・・・・・・)
ヒョードルは自分の力の及ぶ範囲でケイを守るつもりだったが、王を退位したと、王としての名残で様々な種族の王の相談役をしていたり、軍事育成の為に力を貸していたりと忙しくケイに付きっ切りでいる事は出来ない。
ヒョードルは小さくため息をついたあと、ケイの鍛錬にしぶしぶ同意した。
「分かった。お主がいた世界と違って、セプネテスの今の世情では戦えなければ生きていけぬし、まずは基礎から教えようか」
「っありがとうございます!」
その言葉に顔を明るくしたケイを見てヒョードルは「なんて、勤勉で良い子なのだろう」と思ってしまう。
しかし、ケイの真意を知らないヒョードルはその姿に微笑ましくなるだけ。
こうして、二人の朝の鍛錬が始まったのだった。
「こうやって木刀を構えたあと、ゆっくりと息を吸って、吐いて・・・・・・身体の力は入れすぎず、心の中の雑念を一度追い出す。できるだけ、自然体でな」
ケイは慎重にそれを真似し、失敗すると小さく「あ、また失敗した・・・・・・」とつぶやく。
「ええんじゃ、こういうのは繰り返し身体に慣らしていくものじゃ」
「はい!」
ヒョードルはまず、簡単なストレッチと呼吸法から教え始めた。 次に、日々の日課として体力作りのためのジョギング。 体力がつき始めると、基礎的な身体さばきへ。 そして、さまざまな武器を使いながらの手合わせへと進んでいった。
ケイは日に日に動きを覚え、もともと持っていた素直さや真面目さ、勤勉さと熱意で、ヒョードルもつい熱が入っていく。まだ少し恥ずかしさの残るケイも、ヒョードルとのやり取りをどこか楽しんでいるようだった。
だが、このときふたりはまだ知らなかった。
この小さな鍛錬が、やがて日々の軸となり、思いもしない方向へ転がり始めることを。
◇
鍛錬は少しずつ本格的になり、ヒョードルは教官か上官のように、飴と鞭を使い分けて厳しくも優しくケイを鍛え上げていく。
「今日も足さばきは上達しとるな。ケイ、よし、もう少し刀を右に寄せて・・・・・・おお、見事じゃ!」
「本当ですか? まだ全然自信がなくて・・・・・・でも、そう言ってもらえると嬉しいです」
「はっはっは、照れておるのう。だけど、お主の覚えは本当に早い。驚くほどにな」
ヒョードルは、毎日成長していくケイの姿を見るのがたまらなく嬉しそうだった。
ケイもまた、ヒョードルに褒められるたびに、“独り立ちしたい”という目標から、“ヒョードルの期待に応えたい、もっと褒められたい”という思いへと、心が変化していった。
ヒョードルも、自分が頼られ、懐かれ、期待されていることに嬉しさを覚える。ケイが自分の教えを次々と吸収し、たくましくなっていく姿に、誇らしさすら感じていた。
けれど、それと同時に、ケイの「完璧でいなくては」という心の壁も、日に日に高くなっていった。
(もっとヒョードルさんに褒めてほしい。もっと喜んでもらいたい――)
その思いが、少しずつ、確実にケイの精神を追い詰め始める。
二人の間に、目には見えない溝が徐々にできていく。
そして、いくつかの月日が流れた。
ヒョードルの厳しい訓練のおかげで、ケイはひとりで危険区域に魔獣退治へ赴くようになった。やがて盗賊退治すらこなすようにもなっていく。
初めて“命”を奪った夜、ケイは吐きながらも自分の心を殺し、ヒョードルにも辛い素振りを見せず、異世界に順応していった。
そして、ある日の午後。
ひとりで魔獣退治からボロボロになって帰ってきたケイを、ヒョードルは驚きの表情で迎えた。ケイの顔は険しく、どこか張りつめていて、恐ろしさすら感じられる。
(集中力が散漫だった・・・・・・もっと、もっと・・・・・・神経を研ぎ澄ませないと。まだ足りない。もっと、もっと! 完璧にちゃんとやらなくちゃ・・・・・・!)
ケイは休む間もなく、冷蔵庫のボトルから水を一口飲むと、すぐにまた家を出て魔獣退治に向かおうとした。
自身へのあまりに激しい追い込みに、ヒョードルの胸の奥に冷たい不安が広がる。
もしかして、自分は――ケイを間違った方向に導いてしまったのではないだろうか。
「無理をするな。今日はこの辺りで───」
「いえ、だいじょうぶです。もっと強くならなきゃ、なので」
ヒョードルは心配そうに眉をひそめるが、結局ケイの強い意志に押され、その日も一人で魔獣退治へと送り出してしまう。
ケイが単独で行動できるようになってからというもの、ヒョードル自身の昔話や武勇伝を語ったり、ケイと穏やかに語り合う時間はすっかり減っていた。
食事すら今はバラバラ、寝る場所も別々で、二人の間には以前よりも沈黙が増えていることに、ヒョードルは焦りを感じる。
ある日、ヒョードルはふと思い立ち、ケイに問いかけた。
「ケイよ・・・・・・いつもそんなに自分を追い込んで、つらくはないか?」
「・・・・・・いえ。ぜんぜん、だいじょうぶです。むしろ、こうして強くなれて、期待に応えられるのが嬉しいですから」
ケイはいつものように微笑んで答えたが、その瞳の奥が、ほんのわずかに揺れていた。ケイの本当の気持ちが読み取れず、ヒョードルは言葉を呑み込むしかない。
(確かに、期待に応えようとしてくれているのだろう・・・・・・でも、怯えも感じる。どうすればいいんじゃろうか・・・・・・)
ヒョードルはその違和感を薄く感じながらも、「そうか・・・・・・」とだけ頷くしかなかった。
ケイはやんわりと微笑み「それじゃあ行ってきます」とだけ言って、今日も森の中へと姿を消していく。
ケイの小さな背中を見送りながら、ヒョードルは苦い思いで奥歯を噛みしめる。
どう接すればいいのか、どんな言葉をかければいいのか――親になった経験がないヒョードルには、王であった時よりも遥かに難しい問題のように思えた。
(これは・・・・・・良くない気がする。初めて魔獣を倒した時、盗賊を殺した時、命を奪ったあの夜は酷く狼狽え、精神も摩耗していたが、今ではそんな素振りすら見せず、順応が早すぎる・・・・・・それは、わしの期待に応えることより、『裏切らぬよう』、自分を無理やり追い込んでいるだけなんじゃないか)
ヒョードルの嫌な予感は、やがて現実となっていく。
二人のすれ違いは、ゆっくりと、しかし確実に広がっていった。
そして次にやってくる事件――
二人の運命を、暗い雲がじわり、じわりと包み込み始めていた。
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