第6話:涙と誓い
「レーダーに反応あり! 近隣の市街地にclass3が出現!」
「class3に率いられたclass2の群れも、こちらへ向かっています!」
警告を受け、奈良拠点の司令本部となっている体育館に緊張が走った。
前日の作業で重体となってから数日。
ようやく自力で歩けるまで回復した繋は、ヒカルと菊香に監視されながら、今後の連携についてユミルたちと話し合っていた。
拠点の防衛隊が慌ただしく動き始める。
「各隊長は武器を準備して! 戦えない人たちには避難準備をさせて、いつでも拠点外へ移動できるようにして!」
ユミルが舞台の前に立ち、次々と指示を飛ばした。
普段の奔放な姿から一変した、拠点責任者としての顔である。
繋たち三人は顔を見合わせた。
短く頷き合い、繋がユミルのもとへ歩み寄る。
「ユミルちゃん。僕たちも行くよ」
「駄目」
「まだ何も説明してないよ?」
「class3を倒しに行くって言うつもりでしょ?」
「なぜ、分かったんだい……」
「その身体で前に出ようとする人の考えなんて、分かりやすいっつーの」
ユミルは呆れたように腰へ手を当てた。
「繋ちゃんは、アタシたちが戻るまで拠点にいて。何かあったときの防衛と、避難誘導の補助をお願い」
「でも、僕も戦った方が───」
「繋さん」
背後から菊香に呼ばれ、繋の肩が跳ねた。
「昨日まで自力で起き上がれなかった人が、何を言ってるのかな?」
「もう歩けるくらいには――」
「繋」
今度はヒカルの低い声が飛んでくる。
「俺たちに任せろ」
「……はい」
二人に睨まれ、繋は大人しく引き下がった。
ユミルは満足そうに頷くと、待機していた隊員たちへ向き直る。
「討伐にはアタシとヒカルっち、キッちゃんが行く! 時雨は拠点防衛の指揮をお願い。繋ちゃんは時雨の補佐!」
「承知しました」
「気をつけてね、三人とも」
心配そうな繋へ、菊香は魔導弓を背負いながら笑いかけた。
「大丈夫です。今度は私たちが頑張る番ですから」
「俺たちが戻るまで、魔法は使うなよ」
念を押すヒカルの背中を、ユミルが押していく。
「よし! さっさと倒しに行くよ!」
三人は討伐部隊と共に、奈良拠点を出発した。
◇
討伐は、短時間で終わった。
市街地へ到着した菊香は、建物の屋上に陣取った。
眼下では、ゾンビ化した鹿の群れが道路を埋め尽くしている。奈良の土地柄を反映しているのか、感染した鹿たちはclass2へ進化し、異様に発達した角を振り立てながら押し寄せていた。
菊香は魔導弓を構えた。
魔力で形成された矢を放ち、ヒカルたちへ近づく個体を正確に射抜いていく。
「右から五体!」
矢が降り注ぎ、鹿たちの脚や頭部を貫いた。
致命傷を免れた個体も転倒し、後続を巻き込んでいく。
菊香が群れを抑える間に、ヒカルとユミルはclass3へ接近していた。
敵は三メートルを超える巨体を持つ、人型のゾンビだった。
肥大化した両腕を引きずり、腐敗した口から濁った唸り声を漏らしている。
ユミルは、影から引き出した大鎌を肩へ担いだ。隣ではヒカルが右拳を構え、腕に赤い雷を纏わせている。
「来るよ、ヒカルっち」
「分かってる」
先に動いたのはclass3だった。
咆哮と共に、巨大な右腕が二人へ振り下ろされる。
ユミルは最小限の足運びで攻撃をかわした。すれ違いざまに腰を捻り、大鎌を水平に振り抜く。
鋭い風切り音。
class3の右腕へ複数の切断線が走り、肉塊となって地面へ落ちた。
ゾンビが自らの欠損を認識するより、ヒカルの方が速く懐へ踏み込み、赤雷を纏った拳を腹部へ叩き込む。重い衝撃音と共に、巨体が大きく折れ曲がった。
雷撃が内側から全身を焼き、背中へ突き抜ける。
腹部に風穴を開けられたclass3は数歩よろめき、地響きを立てて倒れた。
頭部まで駆け抜けた赤雷が脳を焼き切り、二度と動くことはなく塵となった。
残っていたclass2も、間もなく菊香と討伐隊によって排除された。
「二人とも、お疲れさま!」
菊香が屋上から戻り、大きく手を振る。
「おっつ~、キッちゃん!」
ユミルも大鎌を片手に、ひらひらと手を振り返した。
「この三人なら余裕だったね。うちの隊員たちも、早くこのくらい強くなってくれると助かるんだけどな~」
大鎌が黒い影へ沈み、跡形もなく消える。
ユミルが大きく背筋を伸ばす傍らで、ヒカルは腕を組んだ。
「……それで?」
「ん?」
「俺たち三人だけで先行したのは、何か理由があるんだろ」
先ほどまでの軽い空気が引き締まった。
ユミルは感心したように口角を上げる。
「さっすが。勘がいいねえ」
「茶化すな」
「もう。同じ魔王なのに、つれないんだから」
何げなく放たれた言葉に、ヒカルの片眉が動いた。
「――やっぱりか」
「およ?」
ユミルは意外そうに目を瞬かせた。
「動揺しないってことは、気づいてた? それとも、なんとなく勘づいてただけ?」
「お前の力を見たときから疑ってた」
ヒカルは、ユミルの足元に広がる影へ目を向ける。
「俺の中に残ってる力と似ている。魔王だけが持つ固有スキル――王権だろ」
冷たい風が、三人の間を吹き抜けた。
ユミルから笑みが消える。
「なら、話が早いね」
剥き出しの殺気が、ヒカルへ向けられた。
先ほどのclass3とは比較にもならない重圧に、大気が震えたように感じられる。
「ヒカルっち。キミは、アタシたちの敵?」
ヒカルは、殺気を正面から受けても姿勢を崩さなかった。
「そんなもん、お前が勝手に判断しろ」
「答えになってないんだけど」
「俺は、繋と菊香の味方だ」
迷いのない宣言だった。
「あの二人を守る。それ以外の肩書なんざ、今の俺にはどうでもいい」
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
やがてユミルは殺気を収め、緊張を解くように息を吐く。
「だよね〜。キミなら、そう言うと思ってた」
「なら、最初から聞くな」
「一応の確認だよ。これでも、大勢の命を預かってるからさ」
軽い口調に戻ったものの、その目の奥にある責任感は本物だった。
ユミルは空を見上げ、心底安堵したように肩を落とす。
「あー、マジでよかった。同じ魔王同士で戦ったら、日本の一つや二つじゃ済まないかもしれないし」
「大げさだ。俺は転生体だから、今は全盛期ほどの力なんてない」
「それはアタシも同じだよ。地球へ渡ったときに若返ったし、世界の制約も受けてる。全盛期の半分も出せないもん」
「世界の制約?」
「世界ごとに、許容できる力の法則が違うんだよ。別の世界から来た存在は、その世界に定着するときに力を制限されるの」
ユミルは自分の手を開閉して見せた。
「繋ちゃんも同じ。魔法の知識や技術は失ってないけど、魔力を受け止める器はかなり小さくなってる。だから、向こうにいた頃と同じ感覚で魔法を使えば、身体が耐えられない」
「それで、あそこまで……」
ヒカルが呟く。シグルから繋の身体が特殊な事を知った時以上に、改めて繋の負担が大きいことを突きつけられた。
「っていうか、そこも含めて説明した方がよさそうだね……」
ユミルは菊香の表情を見て、言葉を止めた。
菊香は静かに微笑んでいる。しかし、目だけはまったく笑っていなかった。
「よかった。私のこと、思い出してくれたんだね」
「キ、キッちゃん?」
「おじさんも」
菊香の視線が、ヒカルへ移る。
「洗いざらい、全部説明してもらうからね」
存在を忘れていたわけではない。
ただ、魔王同士であることに意識を取られ、菊香を置き去りにして話を進めてしまった。
ヒカルは気まずそうに目を逸らす。
「……ああ」
「正座」
「ここ、道路なんだが」
「正座」
「……分かった」
◇
「――まとめると」
一通りの説明を聞き終えた菊香は、理解した内容を確認するように言葉へしていった。
「おじさんは、異世界セプネテスにいた魔王バロルの転生体。前世では、自分が繋さんに殺されるように仕向けた」
ヒカルが無言で頷く。
「死ぬ前に、何のしがらみもなく繋さんと一緒に生きたいって願って、地球に転生した。でも、繋さんには、自分がバロルだったことをまだ話してない」
「ああ」
「ユミルちゃんは、セプネテスとは違う異世界の魔王。人間と魔族を共存させようとしたけど、反対派に裏切られて殺されかけた。死ぬ直前に地球へ転移して、十九歳まで若返った」
「そゆこと」
最初は、事実関係を整理しているだけだった。
しかし、言葉にすればするほど、菊香の胸は重くなっていった。
二人は、自分の過去をすでに終わったことのように話している。
ヒカルは淡々としていた。
ユミルも、普段と変わらない明るい笑みを浮かべている。
けれど、どちらの過去も、簡単に「そうだったんだ」と受け流せるものではない。
「キッちゃん、大丈夫だよ」
ユミルが明るく笑った。
「もう終わったことだからさ」
その言葉を聞いた瞬間、菊香の喉が震えた。
「あ……」
目の奥が熱くなる。
何度瞬きをしても、滲んだ涙は引っ込まない。
「うわっ、待って! 急に泣かないでよ、キッちゃん!」
「泣いてないし!」
菊香は慌てて袖で目元を拭う。
「これは、ただの水分だから!」
「涙も水分だけど! 何その強がり!?」
拭っても、次の雫が頬を伝う。
ヒカルは困ったように眉を下げながらも、その目には優しい光を浮かべていた。
「お前のことだ。俺たちのために泣いてくれてるんだろ」
「私が泣いても意味ないって、分かってるけど……!」
言葉が喉に詰まる。
菊香は拳を握り、二人へ顔を向けた。
「二人が、とっくに終わったことみたいな顔をしてるのが、なんかムカつくの!」
絞り出すような声だった。
「そんなの、絶対につらかったじゃん。悔しかったし、悲しかったに決まってるじゃん……!」
当事者である二人が泣いていないのに、自分が涙を流すのはおかしい。
頭では、そう理解している。
それでも、胸を締めつける痛みは止まらなかった。
大切な家族と友人が、自分の受けた傷を「終わったこと」の一言で片づけようとしている。
そのことが、たまらなく悲しかった。
「もう、そんなに泣いたら、可愛い顔が台無しだよ~」
ユミルは菊香へ歩み寄り、優しく頭を撫でた。
「鼻水も出てるし」
「それは言わないでよ!」
「ごめん、ごめん」
口では軽く謝りながらも、ユミルの表情はどこか嬉しそうだった。
友と信じた者たちから裏切られたこと。
人間と魔族の未来を繋ごうとした願いを拒まれ、命を奪われかけたこと。
ずっと胸の奥に残っていた傷へ、菊香の涙が温かく染み込んでいく。
自分のために悲しんでくれる者がいる。
その事実に、ユミルまで泣きたくなった。
ヒカルもまた、同じような思いを抱いていた。
魔王となったことで迫害され、心を閉ざしていた前世の自分。
当時は流すことのできなかった涙を、菊香が代わりに流してくれているようだった。
けれど、ヒカルは感傷へ浸る代わりに、菊香の頭へ大きな手を置いた。
「泣き虫だな」
「おじさんのせいでもあるんだからね!」
「分かってる」
ヒカルは小さく笑った。
二人は、自分たちが恵まれていることを改めて知る。
ユミルには、命を預けてくれる時雨と奈良の仲間たちがいる。
そして今は、自分を友人と思い、過去のために涙を流してくれる菊香と繋もいる。
ヒカルには、自分を案じて泣いてくれる小さな相棒がいる。
それに、過去から変わらず、魂の寄る辺であり続ける繋がいる。
今度こそ、守らなければならない。
二人は、同じ思いを胸に刻んだ。
◇
帰り道。
秋の夕暮れが、走る車の窓から差し込んでいた。
車内に響いているのは、走行音と菊香の静かな寝息だけだ。
大量に泣いたことに加え、戦闘の疲労もあったのだろう。後部座席へ横になった菊香は、すっかり眠り込んでいた。
「まさか、あんなに泣かれるとはね~」
ユミルは菊香を起こさないよう声を抑え、髪を優しく撫でている。
運転席のヒカルも、バックミラー越しにその様子を見守った。
「ヒカルっち」
「なんだ」
「繋ちゃんに、自分がバロルだったことを話さないの?」
ヒカルの表情が、わずかに強張る。
「……今は、まだ駄目だ」
「なんで?」
ヒカルはしばらく答えなかった。
視線を前方へ向けたまま、低い声で呟く。
「きっと、あいつは泣くからだ」
「再会できたことを喜んで?」
「それだけならいい」
繋は喜んでくれるかもしれない。
生きていたのだと、救われたように泣くかもしれない。
しかし、それと同時に、バロルを自らの手で殺した記憶まで蘇る。
「あいつは、自分が俺を殺したことを今でも悔やんでる」
本当は、繋に責任などない。
バロル自身が、繋に殺されるよう仕向けたのだ。
ほかの選択肢を奪い、自分を殺すという十字架を無理やり背負わせた。
それでも繋は、自分を責め続けている。
「俺が生きてると知ったら、今度こそ死なせないようにって、また自分を追い込む。俺を新しい十字架にするだろうな」
「そっか」
ユミルは眠る菊香へ視線を落とした。
「それだけ大事なんだね、繋ちゃんが」
ヒカルは答えなかった。
だが、否定もしない。
これ以上、傷ついてほしくない。
無理をしてほしくない。
菊香と共に、守られる側にいてほしい。
けれど、繋はそれを受け入れない。
二人を守るためなら、自分が傷つくことも、血を流すことも躊躇わない。
こちらがどれほど大切に思っているのか。
その思いは、まだ繋へ十分に届いていなかった。
「でも、守ろうね」
ユミルの柔らかな声が、車内へ落ちる。
「繋ちゃんも、キッちゃんも。絶対に」
「ああ」
ヒカルは静かに応じた。
こちらの気持ちが、今は届かなくても構わない。
手の届く範囲にいる限り、必ず守る。
「絶対にだ」
力強い言葉に、ユミルもそっと頷いた。
それぞれの過去を越えて生まれた思いは、静かに、確かな誓いへと変わっていった。
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