第1話:若返りとゾンビ?
2026/10/12 大改稿
テントを張り終えたあと、繋は疲れ切った身体を寝袋へ横たえ、そのまま眠りについた。
だが――夜が深まるにつれて、身体の芯からじわじわと熱を帯びていく。
「……んん」
最初は、世界を渡った疲労による一時的な発熱だろうと考えていた。
無理に気にせず眠ろうとしたが、熱は次第に激しくなり、全身を重い倦怠感と悪寒が襲う。
(なんだ、これ……風邪? いや、それより酷い……)
寒い。
なのに、身体の内側は焼けるように熱い。
震える手で自分の身体を抱き締めても、悪寒は少しも収まらなかった。
何度も寝返りを打つたび、身体中の骨や関節が軋むように痛む。
(きつい……誰か、たす……)
「……ヒョードル……」
苦痛に意識を奪われる中、思わず口にしたのは養父の名前だった。
熱を出したときは、いつも傍らにいて、頭を撫でてくれた。
無骨な指。力強く、それでいてどこまでも優しい手つき。
記憶の中にある温もりへ縋ろうとした自分が、少しだけ恥ずかしくなり、繋は弱々しい苦笑を零した。
(はは……みっともないな……)
いい歳をして、これほど人恋しくなるとは思わなかった。
だが、今はその温もりが無性に恋しい。
大丈夫だ。
朝になれば治る。
一人でも、何とかなる。
そう何度も自分へ言い聞かせながら、繋は長い夜を独りで耐え続けた。
◇
悪夢のような夜を越え、テント越しに差し込む朝日を感じて、繋はゆっくりと瞼を開いた。
(……もう、悪寒はしない)
髪も身体も汗でべっとりと濡れている。
だが、あれほど苦しめられた熱も、全身を苛んでいた痛みも、今は綺麗に引いていた。
(途中で気を失ってたのかな……)
記憶が途切れている。
あの苦痛が朝まで続かなかっただけ、まだよかったのかもしれない。
薬もなく、一人きりであの熱へ耐え続けるなど、考えるだけでも恐ろしかった。
繋は寝袋から這い出し、まだ少し重い身体をゆっくり動かして、テントの入口を開ける。
眩しい朝日が差し込んできた。
目の前には、昨日と変わらず木々や田畑が広がっている。
(本当に……地球へ戻ってきたんだ)
まだ実感は薄い。
つい昨日まで異世界にいたことの方が、長い夢だったようにさえ思える。
繋はテントの中へ仰向けに寝転がったまま、右手を上げた。
意識を集中させると、何もなかった手の中に長杖が現れる。
それを見て、繋は小さく笑った。
魔法も、杖も、仲間たちから贈られたものも、ちゃんとここにある。
自分は間違いなく、あの世界で十六年間を生きたのだ。
(それにしても、昨日の熱はなんだったんだろう……)
夜の苦痛が嘘だったかのように、今は身体が軽かった。
多少の気怠さは残っているが、病み上がりとは思えないほど調子がいい。
世界を渡った影響なのか。
地球の法則へ身体が馴染もうとした反動なのか。
今の段階では、判断できなかった。
「まあ、動けるなら大丈夫かな」
繋はひとまず考えることをやめ、テントの外へ出た。
周囲へ張っていた結界を解き、テントや寝袋を魔法のトランクケースへ収納する。
それから浄化魔法を使い、身体と服に染みついた汗を綺麗に落とした。
「……暑いなぁ。シャワー浴びたいな……」
残念ながら今の自分では錬金魔法にまで手を出す余裕がない。
浄化魔法だけでも汚れは落とせる。
それでも、湯や水を浴びる爽快感まで再現できるわけではない。
だが、今は贅沢を言っていられなかった。
祖父の家がある町までの経路を調べるため、まずは地図を手に入れる必要がある。
地球へ戻った影響で魔力の総量が大きく落ちている今、空を飛び続けるのは難しい。
繋は近くにコンビニや交番がないか探しながら、田んぼ道を歩き始めた。
しばらく進むと、ぽつんと建つコンビニを見つけた。
看板は色褪せ、窓ガラスの大半が割れている。
人の出入りが途絶えてから、長い時間が経っているようだった。
繋は杖を手にしたまま、慎重に店内へ入る。
棚の多くは倒れ、床には腐敗して原形を失った食品や、荒らされた商品の残骸が散乱していた。
当然ながら、人の気配はない。
本が並んでいたらしいコーナーを探ると、床に落ちた道路地図を見つけた。
「おっ、あったあった」
繋は地図を拾い上げ、その近くに落ちていた古い新聞にも目を留めた。
一面には、ひどく扇情的な見出しが大きく印刷されていた。
『前代未聞!! 死者蘇る!!』
「……死者が」
繋は表情を引き締め、記事へ目を通した。
西暦二〇二〇年の春頃から、四十度を超える高熱を伴う未知の感染症が流行したこと。
その症状によって死亡した人間が、高い確率で蘇り、凶暴化して生者を襲うこと。
さらに、蘇った死者に噛まれた人間も高熱を発症し、同じように凶暴化する可能性があること。
そこまで読んだところで、繋の指が止まった。
「四十度以上の、高熱……?」
昨夜の苦痛が、鮮明に蘇る。
全身を焼くような熱。
止まらない悪寒。
骨の節々を襲った激しい痛み。
記事に記された初期症状と、よく似ていた。
「……まさか」
背筋に冷たいものが走る。
繋はすぐに自分の腕や足を確認した。
地球へ帰ってから、人間にもゾンビにも接触していない。
当然、噛まれた覚えもない。
それでも、新聞に書かれた情報が正しいとは限らなかった。空気や水を介して感染する可能性もある。
繋は長杖を構え、自分の身体へ簡易的な鑑識魔法をかけた。
淡い橙色の光が全身を包み、身体の内側を走査していく。
「……異常は、ない?」
少なくとも、繋の知る毒物や病原体、呪いの類いは検出されなかった。
だが、地球の未知の病まで完全に識別できる保証はない。
安心するには、まだ早かった。
繋はしばらく考えたあと、新聞を最後まで読み進める。
感染は瞬く間に世界各地へ広がり、社会機能は次々と崩壊したらしい。
記事の発行時点でも、治療法は確立されていない。
「四年前……」
フリッグから聞いていた話と一致する。
そこから爆発的に被害が拡大し、現在の地球は壊滅状態へ陥ったのだろう。
(今、どのくらいの人が生き残ってるんだろう)
治療薬は作られたのか。
生存者は、どこに拠点を築いているのか。
国や自衛隊は、まだ機能しているのか。
気になることは山ほどあったが、この店で見つけられる情報は限られていた。
(仕方ない。実家へ向かう間に、できるだけ情報を集めよう)
繋が道路地図を開いた、その瞬間だった。
長年の劣化に耐えられなかった紙が、手の中でぼろぼろと崩れ落ちる。
「あっ!」
繋は反射的に杖を構えた。
「ギョルヴィズ(修復せよ)」
橙色の光が崩れた紙片を包み込む。
床へ落ちかけていた欠片が逆再生のように浮かび上がり、元の位置へ戻っていく。
破れも変色も消え、道路地図は新品同様の姿を取り戻した。
「こういうとき、本当に魔法があってよかった……!」
繋は安堵し、現在地と祖父の家までの大まかな経路を確認した。
その後は、店内に残された物資を集めていく。
包帯や消毒液、携帯食、飲料水。
使えそうな日用品も、必要な分だけ選んだ。
壊れているものには修復魔法を、汚れているものには浄化魔法を使い、トランクケースへ収納していく。
その最中、床へ落ちていた割れた鏡が朝日を反射した。
繋は何気なく足で端へ寄せようとして――その破片に映ったものを見て、動きを止めた。
「えっ?」
鏡の中から、見覚えのあるような、ないような顔がこちらを見返している。
繋は慌てて店内のトイレへ駆け込んだ。
錆びついた洗面台の上には、ひび割れてはいるものの、大きな鏡が残っていた。
「ま、待って……嘘でしょ?」
そこに映っていたのは、間違いなく自分だった。
首の付け根まで長く伸びた、癖のある髪。
一部だけ赤くなった前髪。
顔立ちそのものも変わっていない。
だが、明らかに若い。
「……なんで僕、若返ってるの?!」
昨日までの自分とは違う。
鏡の中にいるのは、二十歳頃の自分だった。
繋は頬を引っ張り、首や腕にも触れる。
何度瞬きをしても、鏡に映る姿は変わらない。
魔力の痕跡を調べてみたが、誰かから魔法をかけられた形跡もなかった。
(昨夜の発熱と、この身体の変化が関係してる?)
感染症による熱だったのか。
それとも、地球へ戻るときに通った境界の影響なのか。
繋には知る由もなかったが、昨夜の熱は感染症によるものではない。
かつて世界を隔てた場所で託された願いが、地球へ帰還した繋の肉体へ、ようやく届いた結果だった。
しかし、この時点でその事実を知る者はいない。
繋本人も、昨夜の異変と若返りを結びつけて推測することしかできなかった。
筋力は以前より少し落ちている。
一方で、長年身体に蓄積していた古傷の痛みや、年齢による僅かな不調は消えていた。
今すぐ元へ戻す方法も分からない。
「まあ……うん。体調は悪くないし、大丈夫でしょ!」
無理やり結論を出し、繋は鏡の中の自分へ頷いてみせた。
スヴィグルやヒョードルがここにいれば、確実に「大丈夫で済ませるな」と叱られていただろう。
だが、生憎この場にツッコミ役はいなかった。
繋は物資集めを終えると、店の外へ出た。
周囲に人影がないことを感知魔法で確認し、長杖を背丈ほどまで伸ばす。
それへ跨がり、トランクケースを前方へ引っ掛けた。
(浮け)
意識を集中させると、杖がふわりと地上から浮かび上がった。
繋は少しずつ高度を上げ、コンビニが小さく見えるところまで昇っていく。
(まずは、出雲大社へ向かおう)
祖父の家へ向かう前に、大社の近くで一度休むつもりだった。
今の魔力量では、長時間の飛行は難しい。
さらに、竜脈の近くで休めば魔力の回復も早まる。
(今日も早めに休んで、少しでも魔力を戻さないと)
地球の死人がどれほどの脅威なのかは、まだ分からない。新聞の記事を読む限り、生前と同じように動くとは考えにくい。
だからこそ、使える魔法を少しでも増やしておきたかった。
両親の供養が終わっても、すぐにセプネテスへ帰れるわけではない。
帰還する方法を見つけるまで、繋はこの世界で生き延びなければならなかった。
「……まるで、異世界みたいだな」
本来は自分が生まれた世界なのに、一から拠点を作り、生き方を探さなければならない。
その皮肉に、繋は苦笑する。
「さすがに、こんな偶然は何度も起きてほしくないかなあ」
誰もいない空へ零した声が、風に流されて消えていく。
それから三十分ほど飛行した頃、繋は目的地である出雲大社へ辿り着いた。
そこで初めて地球の人間を見つけたが、その者はすでに死人と化していた。
さらに。
───”ゾンビを喰らって肉体を変化させ、銃身状の腕から攻撃する異形”と遭遇する。
魔力の尽きかけていた繋は戦闘を避け、どうにか出雲大社の裏手にある八雲山へ逃げ込んだ。
◇
地面へ降り立った瞬間、繋は長杖ごと倒れ込んだ。
勢いのまま地面を転がり、仰向けになって止まる。
「いたたた……ギ、ギリギリだった……」
視界が回っている。
「人工の魔力回路」も無理をしたせいか、身体のあちらこちらに切り傷が出来ていた。
少し呼吸を整えるうちに自動回復魔法が働き、切り傷から滲んでいた血が止まっていく。痛みまでは、すぐには消えなかった。
あと少し逃げるのが遅ければ、空中で魔力が尽きていたかもしれない。
飛行魔法に加え、移動中は感知魔法を維持し、周囲を目視でも警戒し続けていた。
肉体だけでなく、精神的な消耗も大きい。
繋は荒い呼吸を整えながら、先ほど目撃した異形を思い返した。
「あれも……ゾンビなのかな」
新聞に書かれていたのは、死者が蘇り、生きた人間を襲うという情報だけだった。
ゾンビが同じゾンビを捕食することも。
捕食によって身体を変化させることも。
武器のような器官を形成し、離れた相手を狙うことも書かれていなかった。
あれが特別な一体なのか。
それとも、地球のゾンビすべてが成長する可能性を持っているのか。
現時点では、判断できない。
「……思ってたより、ずっと大変なことになってるのかも」
生存者がいるなら、一刻も早く警告した方がいい。だが、その生存者がどこにいるのかも分からなかった。
繋は重い身体を起こし、長杖を支えにして立ち上がる。
まずは、周囲の安全を確かめなければならない。
異世界では、空を飛ぶ魔物や魔獣も珍しくなかった。地球のゾンビが地上にしかいないという保証もない。
「まさか、飛ぶゾンビはいないよね……?」
誰にともなく問いかける。
当然、答える者はいなかった。
「……考えるのはやめよう。出てきたときに考えよ」
繋は半ば現実逃避しながらも、感知魔法を広げた。
幸い、近くにゾンビらしき反応はない。
ゾンビだけではない。
こんな世界では、人間もまた脅威になり得る。
食料や安全な居場所が限られていれば、追い詰められた者が他者を襲う可能性もある。
「ゾンビより、人間の方が怖かったりするよね……」
口にしてから、繋は寂しそうに目を伏せた。
本当は、そんな想像などしたくなかった。
それでも、無条件に人を信じられるほど、この世界が平穏ではないことは理解している。
繋はゾンビ除けの結界に加え、人間の認識を逸らすための簡易的な人除けも施すことにした。周囲を軽く整地し、結界の起点となる石を四方へ置く。
杖の先で地面を叩くと、淡い橙色の魔法陣が広がり、やがて景色へ溶け込むように消えていった。
その後、トランクケースからテントを取り出し、手早く組み立てる。
中へ入った途端、全身から力が抜けた。
「疲れた……」
繋は仰向けに倒れ込み、そのまま眠りそうになる。
だが、そのとき腹の奥から、ぐう、と大きな音が鳴った。
「……そういえば、昨日から何も食べてない」
身体が空腹を思い出したらしい。
さすがに、このまま眠れば明日に響く。
繋はうつ伏せになり、トランクケースの中を探った。
やがて、ヒョードルとスノトラが持たせてくれた包みを見つける。
取り出した袋の中には、竹製の弁当箱が二つ入っていた。
片方を開くと、おにぎりが二つと、卵焼き、ソーセージが綺麗に詰められている。
もう片方には、色鮮やかな果物が瑞々しい状態で並んでいた。
(こっちはヒョードルが作って……果物を詰めたのはスノトラかな)
スノトラはきっと、ヒョードルに教わりながら準備したのだろう。
別れの直前、二人が並んで弁当を作っている姿を想像すると、自然と笑みが零れた。
「いただきます」
繋は手を合わせ、小さく礼を言ってから、おにぎりを一つ手に取った。
口へ運ぶと、程よい塩気と米の甘みが広がる。
素朴で、温かい味だった。
すでに冷めているはずなのに、胸の奥へ染み込んでいくように感じられた。
空腹を自覚した身体は、食べ物を強く求めていた。
繋は夢中になって食べ進め、弁当も果物もすべて平らげる。
腹が満たされると、先ほどまで張り詰めていた気持ちも、僅かに和らいだ。
「ありがとう。ヒョードル、スノトラ」
ここにはいない二人へ、繋は小さく語りかける。
食べ終えた弁当箱を浄化魔法で綺麗にし、大切にトランクケースへ戻した。
そのまま寝袋へ横になると、堪えていた睡魔が一気に押し寄せてくる。
目を閉じながら、繋は今頃、異世界の仲間たちが何をしているのか想像した。
スヴィグルは、また誰かと酒を飲んでいるかもしれない。
ベオウルフは故郷の村で、家族や村人たちと賑やかに食卓を囲んでいるだろう。
スノトラは、自分へ渡した杖の改良点をまだ考えていそうだった。
ヒョードルは――きっと、皆の様子を見守りながら、いつものように豪快に笑っている。
いつもなら、その輪の中に自分もいた。
けれど、今は一人だった。
「みんな……ちゃんとご飯、食べてるかな」
自分の状況よりも先に、仲間たちのことを心配する。
そんな繋の口元には、穏やかな微笑みが浮かんでいた。
瞼が重くなり、意識がゆっくりと沈んでいく。
遠い異世界にいる家族の姿を思い浮かべながら、繋は地球で迎える二日目の夜へ落ちていった。




