第14話:春風に押されて
翌日の昼下がり。
村の広場には、旅立つ二人を見送ろうと、大勢の村人が集まっていた。
昨夜の長机は片づけられ、代わりに中央へ積み上がっているのは、包みや籠に詰められた餞別だった。
魚の燻製に干した果物、傷薬、丈夫な旅用の外套。子どもたちが摘んだ花や、何度も書き直した跡のある手紙まである。
「こんなに頂いていいんですか?」
「いいから持っていきな。道中、買えるとは限らないんだから」
繋が礼を言う間にも、新たな包みが差し出される。
魔法のトランクケースを開くと、子どもの一人が脇から顔を覗かせた。燻製の包みも、果物の籠も、蓋の向こうへ次々と収まっていく。
「そんなに入れて、いっぱいにならないの?」
「そうだねえ。まだまだ入るよ」
「じゃあ、僕も入れる?」
繋は手を止め、好奇心いっぱいの顔をくすりと笑いながら見た。
「君は駄目。お父さんとお母さんが寂しがるでしょう?」
「ちぇー。一緒に行けると思ったのに」
「こっそりついてきたら、オレがここまで送り返すぞ」
スヴィグルが横から言うと、子どもは慌ててトランクケースから離れた。
周囲の大人たちが笑う中、繋は花を柔らかな布で包み、そっと収める。
手紙だけは一通ずつ確かめて、上着の内ポケットへ入れた。
「これは、あとでゆっくり読むね」
子どもたちは顔を見合わせ、嬉しそうに頷いた。
その隣では、スヴィグルが漁師から燻製の包みを受け取っていた。
「これ、昨日も貰わなかったか?」
「あれとは魚が違う。こっちは脂が乗ってるぞ」
「おお。そりゃ楽しみだな!」
「ケイと分けて食えよ」
「おう! もちろんだ!」
包みをトランクケースへ運ぶと、今度は子どもたちに囲まれる。
「スヴィグル兄ちゃん、次に来たら斧槍の続き教えて!」
「おう。けど、練習は大人と一緒にやれよ。勝手に武器を持ち出すんじゃねぇぞ」
「分かってるって!」
「ケイ兄ちゃんも、また遊んでね」
「もちろん。教えた杖の構え、忘れないでね」
そう言うと、子どもたちは競うように構えを取った。
腰を落としすぎてよろめいた一人を、スヴィグルが片手で支える。大人たちの笑い声に包まれ、広場はいつまでも別れの場らしくならなかった。
スヴィグルは子どもを立たせながら、周囲を見渡した。
漁へ連れ出してくれた男たちも、両親の昔話を聞かせてくれた老人もいる。皆、仕事を早く切り上げて集まってくれたのだという。
村へ来たときには、こんなふうに送り出されるとは思わなかった。
名前を呼ばれるたびに顔を向け、差し出される手を握っているうちに、出発の時刻は少しずつ過ぎていた。
荷物をまとめ終えた繋が、小さな木箱を手にヘルヴォールへ向き直った。
「出発前に、これをお渡ししたくて」
「昨晩、話しておったものか」
「はい。避難用転移門の鍵です」
蓋を開けると、布張りの内側に小さな鍵が収まっていた。
銀にも似た金属の表面を、細い光がゆっくり巡っている。
「午前中に、村の魔力炉との接続は済ませました。管理されている方にも、使い方をお伝えしてあります」
「儂も立ち会えばよかったのう」
「このあと、管理の方と確認していただければ。起動には、この鍵が必要ですから」
繋は鍵を取り出し、柄に刻まれた印を示した。
「魔物や魔獣に襲われて、村を守り切れないと判断したときは、これで門を開いてください。王都の避難所へつながります」
そばで聞いていた漁師たちが、顔を見合わせた。
海が荒れれば船は出せず、陸路を塞がれれば逃げ場も限られる。いくら彼らがそこらの冒険者よりも強くとも限度がある。逃げ道が一つ増える。その意味を確かめるように、漁師の一人が口を開いた。
「皆で逃げられるのか?」
「はい。ただ、ずっと開いてはおけません。避難を始めたら、できるだけまとまって移動してください。手順は、こちらにも書いてあります」
折り畳んだ説明書を箱へ添える。
ヘルヴォールは鍵を受け取り、しばらく見つめていた。
「王都も変わるものじゃな。かつては、地方の村など後回しにされるのが当たり前じゃった」
「少しずつ、ですけどね。僕たちも旅の途中で各村に設置するよう、依頼されているんです」
「勇者の務め、というわけか」
「はい。使わずに済むのが、いちばんですけどね」
ヘルヴォールは深く頷き、鍵を木箱へ戻した。
「ありがたく預かろう。村の者にも、改めて伝えておく」
スヴィグルも、村の外れにある魔力炉の建物へ目を向けた。
「魔石通信がある街に立ち寄ったら、じいさんにも報告だな」
「だね。設置した村のことも、ちゃんと伝えないとね」
「ここの話だけで、ずいぶん長くなりそうだけどな」
スヴィグルが笑うと、ヘルヴォールも目元を緩めた。
「ヒョードル王には、儂からも便りを出そう。二人とも、しっかり務めを果たしておるとな」
「説教の種まで送らねぇでくれよ?」
「ふっ、期待しておれ」
意味ありげなセリフに繋が隣で小さく吹き出す。
ヘルヴォールは木箱を村の管理者へ託した。
「さて。出発前に、もう一つ確かめておきたい」
声の調子が変わり、スヴィグルも姿勢を正す。
「魔力の制御か?」
「うむ。旅の途中では、不意に強い敵意を向けられることもあろう。儂の戦気を受けても、落ち着いて力を扱えるか、見ておきたい」
広場の端へ目を向けると、察した村人たちが場所を空けた。
子どもたちは大人に促され、少し離れたところへ下がっていく。
「やってみるか?」
「ああ」
スヴィグルは背負いかけていた荷物を下ろした。
繋も一歩下がり、二人を見守る。
「ケイ、お主は手を出さずに見ておれ。危険はない」
「はい」
ヘルヴォールが杖を持ち直した。
次の瞬間、スヴィグルは喉元を押さえられたような息苦しさを覚えた。
一歩踏み込めば叩き伏せられる。そう身体が理解し、指先へ力がこもる。
その目前を、薄い膜が覆った。
「フロス」
声は、あとから聞こえた。
シャボン玉に似た障壁がスヴィグルを包み、表面に淡い虹色を浮かべている。
振り向くと、繋が杖を伸ばしていた。
自分で気づいたように目を見開き、それでも、すぐには杖を下ろせずにいる。
「……ごめん、つい」
危険はないと聞いていた。
それでもスヴィグルの呼吸が詰まった瞬間、魔法が出ていたのだろう。
「ケイ。大丈夫だ」
スヴィグルは障壁越しに声をかけた。
「少し、オレに任せてくれ」
繋の視線が、スヴィグルとヘルヴォールの間を動く。
やがて小さく頷くと、伸ばしていた指を握り込んだ。
薄膜が弾け、頬へ再び戦気が触れる。
スヴィグルは正面へ向き直った。
繋を安心させるためにも、ただ耐えるだけでは駄目だった。
深く息を吸い、胸元へ集まりかけた魔力を全身へ巡らせる。
淡い白光が、身体を覆った。
力で押し返そうとするな。
呼吸を止めず、目の前だけを見るな。
足元の地面も、離れて見守る村人たちも分かる。
後ろには繋がいる。心配しながらも手を出さず、自分を見てくれている。
急ぐ必要はない。
スヴィグルは息を吐き、強まりかけた光を静めた。
やがて、ヘルヴォールが杖を下ろした。
「よし。そこまでじゃ」
スヴィグルは長く息を吐いた。
極光を収め、掌を開いてみる。指先はわずかに震えていたが、胸の奥に暴れ出す気配はなかった。
「……ばあさん、やっぱ強ぇな」
「なあに。お主がまだ未熟なだけじゃ」
そう返す目元には、笑みがある。
「じゃが、自分で力を制御することができた。いまの感覚を忘れるでないぞ。儀式を交わしても、修練は必要じゃ」
「ああ。毎日怠らずやるさ」
続いて、ヘルヴォールは繋へ顔を向けた。
「お主が魔法を解いて見守ったことも、よかった」
「……言われていたのに、先に手が出ました」
「長く身についた癖は、そう簡単には変わらぬ。じゃが、相手が苦しむ姿を見るたび、すべて取り除いてやることはできん」
繋は、下ろした手へ目を落とした。
「スヴィグルが自分の力を身につける時間も、守ってやりなされ」
しばらくして、繋が頷く。
「……はい」
スヴィグルはその隣へ戻り、肩を軽く叩いた。
「ありがとな。でも、あれくらいなら、もう平気だ」
まだ少し心配そうだったが、繋は笑って答えた。
スヴィグルも、それ以上は言わずに荷物を持ち上げる。
繋が自分の分へ手を伸ばしたとき、一瞬、代わろうかと思った。
だが、その手は止めなかった。
「重かったら言えよ」
「うん。スヴィもね」
「この程度、どうってことねぇよ」
言ってから、繋がこちらを見ていることに気づく。
「……分かった。オレも言う」
繋が満足そうに頷いた。
見守っていた子どもの一人が、そこで駆け寄ってきた。
両手には、小さな花の輪が二つある。
「これも持ってって!」
「さっきまで編んでたのか?」
「うん。ちょっと曲がっちゃったけど」
スヴィグルは膝を折り、差し出された輪を受け取った。
細い茎を何度も結び直した跡がある。繋も自分の分を手に取り、ほどけかけたところをそっと押さえた。
「ありがとう。綺麗にできてるよ」
「次はもっと上手に作るから、また来てね」
「ああ。楽しみにしてる」
子どもは頷いたあと、スヴィグルの服を掴んだ。
しばらく俯いていたが、父親に名前を呼ばれると、自分から手を離す。
スヴィグルはその頭を軽く撫でて立ち上がった。
ヘルヴォールが広場の中央へ進む。
杖の石突きが地面を打つと、村人たちの話し声が少しずつ収まった。
「旅立つ二人へ、我らの祈りを」
彼女が右手を掲げた。
周囲の大人たちが片膝をつく。
子どもたちも隣の者を真似て膝を折り、花を渡した子は、父親に肩を抱かれながら背筋を伸ばした。
戦士たちの身体へ、淡い極光が灯った。
それを使わぬ者たちも胸へ手を当て、二人へ顔を向ける。
「我ら、古き魔の血を継ぐ者なれど」
ヘルヴォールの声が、潮風の中を通った。
「この力をもって邪悪を退け、旅立つ同胞と、その片割れの帰還を祈る」
村人たちが、声を重ねる。
「我らの血と光、汝らと共に」
スヴィグルは息を呑んだ。
隣では繋も、花の輪を持ったまま立ち尽くしている。
先ほどまで肩を叩き合っていた者たちが、自分たちのために頭を下げていた。
照れくささより先に、胸がいっぱいになる。
「……こんなことまで、してくれんのかよ」
小さく漏らすと、ヘルヴォールが顔を上げた。
「古き王の血を継ぐ者が、魔王討伐へ向かうのじゃ。はなむけくらい、受け取ってもらわねばな」
「先に言っとけって。びっくりすんだろ」
「言えば、遠慮するじゃろう?」
図星を突かれ、スヴィグルは言葉に詰まった。
繋が隣で小さく笑い、それから深く頭を下げる。
「ありがとうございます。大切に、覚えておきます」
スヴィグルも背筋を正した。
「必ず、また来る。二人で」
その返事を聞き、ヘルヴォールは掲げていた手を下ろした。
村人たちが立ち上がると、広場には再び足音や話し声が戻った。
膝についた土を払いながら、漁師の一人が声を張る。
「次に来たら、沖の漁場へ連れてってやる! 今度こそ大物を仕留めろよ!」
「おう! ばあさんも一緒に行こうぜ!」
「よかろう。お主らより先に釣り上げても、拗ねるでないぞ」
「言ったな? 勝負だからな!」
ヘルヴォールが豪快に笑い、周囲からも「こりゃ見ものだ」と声が上がった。
村人たちが道の左右へ分かれる。
その先には、港を離れて丘へ続く坂道が見えた。
ヘルヴォールは二人の肩へ、順に手を置いた。
「いつでも帰ってきなされ。よい報せがあるときだけでなくてもよい」
修練で何度も叩かれた大きな手が、今は静かに肩を押してくれる。
「疲れたときも、行き詰まったときも、この村を思い出せ。お主らの席くらい、いつでも空けておく」
「……ああ」
「また、お世話になりに来ます」
繋の返事に、ヘルヴォールは満足そうに頷いた。
「それでよい。達者でな」
二人は頭を下げ、歩き出した。
道の両側から、次々と声がかかる。
名前を呼ばれるたびに振り返り、手を振っていると、なかなか広場を抜けられない。
「ケイ兄ちゃん、ちゃんと休むんだぞ!」
「分かってるよ!」
「スヴィグル兄ちゃんも、怪我しないでね!」
「任せとけ!」
繋が横から顔を向ける。
「今の、ちゃんと聞いたからね」
「お前こそ忘れんなよ」
二人の返しに子どもたちが笑い、見送りの声はいっそう大きくなった。
家並みの間を抜けると、潮の香りが濃くなる。
軒先で網を繕っていた老人まで手を止め、窓から身を乗り出した女たちが何度も手を振った。
スヴィグルは歩きながら振り返る。
繋も隣で、空いた手を高く上げていた。
◇
村外れの坂を上り切ったところで、二人は足を止めた。
眼下には、海へ向かって寄り添う家々が並んでいた。
港では白い帆が風を受け、沖へ出ていく。昨夜、花火を映していた海は、陽光を細かく砕いて輝いていた。
広場の人影は小さくなったが、まだこちらを見上げている者がいる。
二人はもう一度、大きく手を振った。
「……いい村だったな」
「ほんと、にね」
「父さんと母さんが、ここで育ったんだよな」
何度も聞いたことなのに、離れようとすると、改めて不思議に思えた。
知らずに通り過ぎていたかもしれない場所に、両親を覚えている人々がいた。自分たちの帰りを待つと言ってくれる者までできた。
スヴィグルは受け取った花の輪を、潰さぬよう荷物へ結び直した。
「次は、じいさんも連れてこられたらいいな」
「うん。ヘルヴォールさんとも、久しぶりに会えるだろうし」
「昔の話、いろいろ聞けそうだよな。五大英雄の二人が揃うんだぜ」
「スヴィの修行が増えるかもしれないね」
「……お前の無茶も、まとめて報告されそうだけどな」
繋の笑みが、少しだけ引きつる。
スヴィグルは声を上げて笑い、今度こそ村へ背を向けた。
坂の向こうでは、海沿いの道が丘の内側へ折れている。
風の音が変わり、村の声が次第に遠ざかった。足元には小さな草花が咲き、荷物に結んだ花の輪も、それにつられるように揺れている。
道が二手に分かれるところで、繋が地図を開いた。
「今日はこっち。日暮れ前には、次の宿場へ着けると思う」
「水場は?」
「途中に一つ。そこで休もう」
「よし。燻製はそこで食うか」
「さっき食べたばかりなのに」
「あれはつまんだだけ」
繋は呆れたように笑い、地図を畳んだ。
以前なら、休まず先へ進もうとしたかもしれない。その彼が、自分から二人で休む場所を決めている。
スヴィグルは何も言わず、その隣へ並んだ。
「この先も、いろいろあるんだろうな」
「そうだね。転移門の設置先も、まだまだ残ってるし」
「魔王討伐もな」
「うん。でも、二人なら乗り越えられるでしょう?」
何気なく返された言葉に、スヴィグルは横顔を見た。
繋は前を向いている。特別なことを言ったつもりはないらしい。
だからこそ、嬉しかった。
自分一人で何とかするのではなく、二人で進む未来を、繋は当たり前のように口にしたのだ。
「ああ。そうだな」
短く返すと、繋もこちらを見て笑った。
サムフェラグを交わしてから、その僅かな変化が気になって仕方がない。
過去を知ったことで、何もかもから遠ざけてしまいたくなる瞬間もある。
けれど繋は、自分の足で旅を続けるつもりでいる。
守りたいという思いで、その歩みまで止めたくはなかった。
「休憩したら、魔力の修練に付き合ってくれねぇか」
「もちろん。身体強化の練習?」
「おう。歩きながらでも保てるようにしたい」
「じゃあ、最初は短い時間からね。疲れたら、ちゃんと言ってよ」
「分かってるって」
返してから、スヴィグルは口元を緩めた。
自分が繋へ繰り返してきたのと、同じ言葉だった。
街道へ出ると、荷車の轍に靴底が沈んだ。
繋は歩きやすい側へ寄りながら、荷紐に触れる。
「この先で代わるよ。そっちの荷物、少し多いでしょう?」
「まだ平気だ。水場に着いたら分け直そうぜ」
「約束だからね」
「おう」
繋は頷き、少し先へ歩いていく。
風に乱れた髪を押さえ、振り返ってスヴィグルを呼んだ。
その顔を見て、スヴィグルも歩き出す。
いつか、危険を探して身構えずに、旅を楽しめる日が来ればいい。
繋が誰かを守るためではなく、自分の行きたい場所へ、ためらわず手を伸ばせるようになればいい。
(そこまで、一緒に行こうぜ)
過去を消してやることはできない。
それでも、この笑顔が続く世界のために、自分の力を使うことはできる。
魂を結んだこの相手と、魔王の脅威が去った世界を歩く。
その日まで、どちらも欠けずに生きていく。
スヴィグルは追いつきざま、繋の肩へ軽く自分の肩をぶつけた。
「置いてくなよ」
「スヴィが立ち止まってたんでしょう?」
二人の声が、どこまでも続く街道へ響いていく。
サムフェラグによってつながった魂からは、互いの温かな感情が、言葉にするまでもなく微かに伝わっていた。
スヴィグルは大股で。
繋は、それに合わせるように。
歩幅の違う二人は、いつしか自然と同じ速さになっていた。
並んで。
時には互いの手を引き。
どちらかが躓けば、もう一人が支えながら。
二人は、どこまでも続く道の先へ進んでいく。
春風が、新たな旅へ向かう二人の背中を優しく押していた。
いつも読んで頂いてありがとうございます!
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