第21話:約束
「もう一ヶ月が経ったのか」
8月最後の日。本日は雨。昨日までのサンサンとした晴天とは打って変わって、朝からしとしとと雨が降り続いている一日だった。
繋はそろそろ、菊香たちの当初の予定である京都へ向かうことを考えていた。食料や保存食、医療機器も十分に整い、繋を除く2人もclass2程度であれば余裕で倒せるほどのスキルが身についていた。
あとは自分だけだと、繋は窓辺に映る自分を見つめながらため息を吐いた。
繋は明かりを灯さない暗い部屋で一人、スクラップ帳を片手に二階の窓辺に腰をかけ、窓ガラスの向こうの雨の世界をぼんやりと見ていた。
一ヶ月しっかりと魔力量の回復に努めたおかげで、体感的には50%ほど魔力量が回復できていた。
そして、足りない魔力に関しては生命力で補うために禁呪を使ってこの身に施していた。
それだけで何とかなると思いたいが、そううまくはいかないのだろう。
菊香とヒカルが日課の鍛錬をしている間を見計らって、繋は毎日異なる町に赴き、ゾンビに関する情報を探していた。しかし残念ながら、どれを探しても発生源には辿り着けなかった。
右手に持っていたスクラップ帳を開くと、中にはたくさんの新聞紙の切れ端が貼られており、この一ヶ月で調べた情報がまとめられていることが確認できた。
繋は集めた情報を確認しながら、片手でページをぺらぺらとめくっていった。
どれも感染源は不明で、どこの国から発症したのかもわからなかった。
何処かの企業や国が裏で暗躍しているのなら、いくらでも対処できるのだが、それらしき存在を今のところ確認することはできなかった。
(ゾンビを全部倒すしか方法は無いのか)
現時点で対処方法があるとしたら、安直な考えだがゾンビを減らしていくしかないのかもしれないと繋は考える。
先の見えない戦いを想像して繋は口をきつく結び、苦々しく思った。
何かしらボスのような存在が居て、そのボスを倒せば連鎖的にゾンビも消滅してくれたら良いのにと思うが、そんな都合の良い事は無いんだろうなと繋は更に顔を顰める。
せめて、今後行くことになる拠点が、2人にとって安全な場所に出来るように死力を尽くすしかないのかもしれない。
繋はふと、異世界、セプネテスの仲間達を思い出す。
せめて、共に戦ってくれる仲間が増えたら、どれだけ心強いだろうか。
(案外これから先出会うかもしれない)
なんて。そんな都合が良い出来事なんて中々起きないだろうなとため息を吐くと、繋はパタンと手帳を閉じた。
◇
いつも通り、居間の丸テーブルに3人が集まり、これからの事について会議を開いていた。
繋の都合で、2人をこの家に引き留めたが、その間にさまざまな準備が整った。
食料や医療器具といった物資はもちろん、繋の手助けにより、菊香とヒカルは一般人をはるかに超える戦闘能力を身につけていた。
もはや、Class1とClass2のゾンビが相手なら、物量で押してこない限り2人に敵うことはないだろう。
「とうとう、この家から離れちゃうんだね・・・・・・」
一か月も共に過ごした場所を離れることに、菊香は寂しげな声を漏らした。それにヒカルも「そうだな」と頷く。
菊香はテーブルに肘をついて、手で頬を包みながら目を伏せる。
「楽しかったなあ。まるで夏休みだった」
その笑顔は名残惜しさと、楽しかった日々の余韻に満ちていた。
繋はそうだねと相槌を打つ。
(菊香ちゃんの言う通り、まるで夏休みのような時間だった)
仮初めの平和とはいえ、3人で過ごしたこの一か月は、繋にとっても、遠い昔の記憶を呼び起こす大切な時間だった。
異世界での出来事、ゾンビが蔓延る終末世界の現実――そんな過酷な状況も、この短い休息の間だけは心の片隅に追いやることができた。
だが――
いよいよ明日からは一か月前と同じ、また厳しい現実に立ち向かわなければならない。
泡沫のような平穏な時間も、ついに覚める時間が来たのだ。
けれども、繋は2人に言うのだ。
「また、この家に戻ってこよう」
3人で。必ず。
繋の言葉に、菊香とヒカルは無言で頷く。
ヒカルはふと思い出し、繋に問いかけた。
「そういや、俺との約束もあったな」
繋は困ったように口元を引きつらせ、空笑いを浮かべながら答える。
「ちゃんと覚えてるとも」
「えっ、なになに?」
菊香が興味津々に身を乗り出す。ヒカルが答える。
ヒカルは繋に全てが落ち着いたらツーリングをしようと約束を取り付けたのだと説明をした。
菊香はそれを聞いて「えーー!」と羨ましそうに声を上げる。
「私だけ仲間はずれ? ずるいっ!」
そんな約束を2人だけでしていた事に、菊香は不貞腐れる。
そんな菊香にヒカルは、豪快に笑いながらちゃんとお前も数に入れていると言うと、菊香はしぶしぶと納得した。
「あっ、そう言えば明日京都に向かう時はどうやって行くの」
菊香の疑問に、繋が口を開く。
「それについては、僕から提案がある」
流石に徒歩で京都を目指すのは現実的ではない。だから、途中までは車を使おうというのだ。
「車?」
菊香は首をかしげる。バイクは確かにあるが、というより、繋が直したから有るのだが、車などあっただろうか?
繋は答える。
その疑問の答えは倉庫にあると説明をし、繋は菊香を倉庫に案内した。
そう言って倉庫へ向かい、菊香を案内する。そこには、古びた軽トラックが置かれていた。
「これ、祖父が生前使ってた軽トラなんだ。ヒカルに頼んで、魔法で修理したんだよ。バイクのときみたいに、金属を集めてもらってね」
これで京都までは快適に行けると繋が言うと、菊香は1つ懸念を挙げた。
「でも、これじゃ1人は荷台で座らないといけないですよね・・・」
運転するのはきっとヒカルで、助手席に乗るとしたら菊香自身と繋が交代交代なのだろう。
しかし、荷台に乗るのは初めてだから大丈夫かなと心配していると、繋は不敵な笑みを浮かべたのを繋菊香は見てしまった。
「も、もしかして」
「その“もしかして”さ」
繋は菊香が驚いてくれる事を期待し乗ってみてごらんと言う。繋に促されて菊香が軽トラのドアを開ける。
「凄い! なにこれなにこれ!!」
案の定菊香の驚く声が倉庫中に響き渡った。繋はその様子を微笑ましく見ており、その直ぐ隣でヒカルは呆れながら笑っていた。
外から見れば運転席と助手席しか無かったのに、車の扉を開けると後部座席の先があった。それも唯の後ろ席ではなく、いわゆるキャンピングカーの中と同じような構造となっていた。
魔力が50%ほど回復したことで、繋は空間拡張魔法を使用できるようになり、内部を改造していたのだ。
それだけじゃない、車の中は3人が就寝できる広さに加え、快適な旅ができるよう整えられた空間にしている。
使えるもの、利用できるものはちゃんと使って少しでも快適に旅が出来ればと思い、繋はこのような事を行った。
ちなみに、バイクについては荷台に積んで落ちないようにロープやシートでしっかり固定する予定だった。
「わたし、キャンピングカーに乗った事無いから嬉しいかも!」
車の中から無邪気にはしゃぐ声が聞こえる。
「なあ───」
和やかに見守っていると、繋の横にヒカルが並んだ。
ヒカルがふと真剣な表情で繋に声をかけた。
「さっき言ってた言葉だけどよ・・・・・・その後、お前はどうするんだ?」
その後。すべてが終わったあとに、繋が本当にやりたいこと。繋はヒカルの質問に、答えても良いかなと思った。
(そろそろ、言うべきかもしれないね・・・・・・)
今まで2人にはまだ話した事がなかったし、話す必要は無いと思っていた。でも、ここまで一緒に居たのだから、言っていいかもしれないと思い、繋はヒカルにだけ打ち明ける。
「実は・・・・・・両親と一緒に暮らしていた所で供養をしたくてね」
異世界から戻ってきた本当の理由も、両親の供養をする為に戻ってきたのだとヒカルに語った。
その言葉を聞いたヒカルは一瞬固まる。
「な―――」
「な?」
急に固まってしまい、謎の単語を発したヒカルに繋はきょとんとした顔になる。
次の瞬間、ヒカルは繋の胸倉を掴む勢いで怒鳴った。
「なんでそんな大事なこと、黙ってやがった!!」
思わぬ剣幕で、まさか怒鳴られると思ってなく、今度は繋が固まってしまう。
「お前、自分のことより、俺達の事を優先したのか・・・・・・」
怒りと戸惑いが入り混じった声で、ヒカルは続けた。
繋はそんなヒカルに「だって助けた人たちが困ってるのなら助けたいと思うよ」と困った顔で、優しい声で言うのだ。
その言葉を聞いてヒカルは確信する。
夢の中に現れる“もう一人の男”――それが繋だと確信した。
しかし、なぜ繋がヒカルの夢に現れるのかはまだ分からなかった。
今はまだ、このことを繋に話すべきではない。ヒカルはそう判断し、暫くは胸の奥にしまい込む事を決めた。
それよりもだ。
ヒカルは繋への認識を改める。
ただのお人好しだと思っていた。ただの気立てのよい人間だと思っていた。
(これは、違う)
自己犠牲の精神とも似ているのかもしれない。いや、そんな綺麗なものじゃないとヒカルは考える。
(こいつは自分の優先権を他人へ渡せてしまう、それも”平気”で渡せてしまう人間だ)
ヒカルは自身の心がざわつくのを感じる。以前、繋と共に訓練した後に言われた言葉を思い出した。この間の違和感もこの事だったのかと気づく。
(ふざけんな―――)
がッ!!ヒカルは繋の肩を掴み、真剣な目で言い放つ。
「おい! 約束しろ」
突然の事に繋は呆気にとられる。ヒカルは良いから約束しろと繋に話す隙を与えなかった。
必ず3人でこの家に帰る為に。
誰一人欠ける事無く帰れるように。
「必ず、3人でここに戻ってくるって。誰一人欠けることなく」
まるで反論でもしたらぶん殴ってやると、まるでそんな圧を放つヒカルに繋は唯々頷くしかなかった。
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