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【結婚式まで】

 四月二日、ハンフリッド邸の庭園には大勢の人間が(つど)っていた。その数は花見大会の参加者よりも多い。近隣の領民や乙女連隊に加えて、市民政府の高官や、共和国軍の将校、邸宅より遠方にすむ領民たちが、わざわざ各地から集まってきているからである。この二個連隊にも匹敵する数の人々は、皆、たった二人の幸せを祝福するためにやってきた参列者であった。思い思いに、知り合いや、興味を惹かれた人と会話し、二人の主役が姿を表すまでの時間を楽しげに過ごしている。


 窓の隙間からすり抜けてきた賑やかさを打ち消すように、花嫁の嘆息が控室に響いた。


「二回目だとしても、なれないものなのですね」

 

 その嘆息を聞いた侍女が、花嫁を気遣う。未婚の彼女では、再び花嫁となった主人の気持ちを、想像を働かせて(おもんばか)ることしかできない。だが、彼女の主人は、顔も見たこと無い王に嫁ぐため、足を踏み入れたことも無い地にほぼ単身で赴いた豪胆な少女の()()()()()である。今更外の賑やかさによって、婚前の不安を煽られたわけではなかった。


「……今からでも軍服に着替えることってできないのかしら」


 そう言ったロージエラの格好は、十年前、離婚を告げられた時に着ていた純白のドレスであった。当時は社交界などに着ていくのはこれ一着で良いと思っていたが、十年もあれば、服はそうでなくとも着用者は変化する。肉体的にも、精神的にも。少女と呼べた年齢なら何とも思わなかったが、大人と呼ばれる年齢になると、このドレスが随分と当時の年齢に合わせたデザインだったのだと理解した。


 とにかくリボンが多い。腰に巻いたベルトのような大きなリボンを筆頭に、大小さまざまなリボンがドレスのいたるところに取り付けられているのだ。特にスカートには大量のリボンがランダムに配置されており、それがまた子供っぽい印象を見る者に与える。これを三十手前の大人が人前で着るのは相当の覚悟か、そういう感性を持っていなければ無理だった。


「それは駄目です。市民政府は私兵を持つことを禁止しています。これから『アルロザス市』としてやっていくのにもかかわらず、お嬢様が自身の私兵である乙女連隊の軍服を政府の高官が来ている場で着用するというのは政治的配慮に欠けています」


 苛立ち紛れにどうにか着替える方便は無いか、とロージエラは頭をかきむしった。しかし、それでよい案がぽろりと零れてくれるわけが無い。ただ、せっかく綺麗に整えた赤色の髪を、乱れさせるだけであった。


 ロージエラは恨んだ。といってもその恨みの対象は全て過去の自分である。十年前にこのドレスのみ持って帰るように言った自分。十年前とほとんど変わらぬ体型を維持した自分。結婚するのが確定した時に新たなドレスを注文しなかった自分。ドレスの管理をクレアに任せっきりにしていた自分。


 また控室に嘆息が響いた。しかし、この溜息はクレアが吐いたものだった。ロージエラの髪を整えたのは彼女であり、その労力が無碍にされたことに、徒労感を感じて吐いたのだった。クレアはポケットにしまっていた櫛を取り出すと、主人の髪を再び整え始めた。


「次からはもう少し、衣服に興味を持ってくださいね。そうすれば、このようなことはもう起きないでしょう」


 そう諭すクレアは、窮屈な礼服を着てむずがる子供をなだめる母のようであった。


「……ええ」


 子供のような素直さで、忠臣からの忠告をロージエラは受け取った。彼女は賢く、知っていることも多い。だがそれでも、痛い目を見てようやく理解することはまだまだ多かった。


 たかだか数時間羞恥に耐えるだけ。ロージエラがそう覚悟を決めた時、控室の扉が強く叩かれた。数回続けて叩かれたところを見ると、かなり粗暴ではあるがノックのようだった。


「……お嬢様」


「鍵を閉めていないのでしょう?どうせ勝手に入ってくるわよ」


 不審な来客によって不安そうにし始めたクレアを落ち着かせるように、ロージエラは優しく言った。ロージエラの推測が正しければ扉の向こうにいるのは政府の高官であり、彼女の知り合いであった。


「お邪魔するわよー。ってなによ!居るなら返事ぐらいしなさいよ!」


 二度目のノックを終えると共に入ってきたのは、小柄な女性であった。夜を思い起こさせるやや青み

がかった黒い髪、月を思わせる琥珀色の瞳、結婚式に参列するために礼服として着てきたドレスは明け方を思い起こさせる紫色であった。


「勝手に部屋に入ってくるなんてマナーがなっていないわね、『イラベル』。ま、平民の出にマナーを期待する方が酷でしょうから、大目に見てあげるわ」


 クレアは平民の思い描く『意地悪な貴族令嬢』のような演技をし始めた主人を、真円に近くなった目で見つめた。今はある程度融和的になったとはいえ、貴族は市民政府にとってまだまだ敵に等しい存在である。その高官に対してこのような振る舞いは、最悪の結果を招くかもしれなかった。しかし、そんな危惧は、高官の勢いのある鼻息で吹き飛ばされた。


「ふん!ノックを無視するような失礼な奴が、マナーなんて語らないでくれる?元貴族であるならせめて、それぐらいのことは人並みにできて欲しいわね」


「あら、あの扉を叩く音はノックだったのね。てっきり押し入り強盗が扉を破ろうとしているのかと思って息をひそめていたの」


「はっ!強盗程度で怯えるほど可愛らしい存在だと自分で思っているなんて、この屋敷の鏡は嘘つきばかりなのね。もしくはあんたの目がそうなのかしら?」


 肉食獣の子供がじゃれ合うようなやり取りは、イラベルが相手の格好に気づいたことによって終わった。


「……ちょっとまって!あんた……!何よその恰好……!」


 ロージエラは沸き起こった笑いの奔流を、天を仰ぎ、黙ってその身で受け続けた。戦略的劣勢を戦術によって覆しようがないように、今のロージエラでは、どんなに巧みな話術を有していようとこうなるのは必然であった。ロージエラは再び、もう少し衣服に興味を持つよう己に誓った。固く。


 イラベルはひとしきり笑った後、ようやく花嫁に送るに相応しい言葉を述べた。


「結婚おめでとう、ローゼ。二度目?だったわよね?今度はいい夫婦生活を営めるといいわね」


 ロージエラの結婚生活がどのようなものだったかは、当時の夫が吹聴してまわったため、ラフス全土に知れ渡っている。その結果、ロージエラに同情が寄せられたのもアルロザスが独立を保てた要因のうちの一つであった。『なんだかんだで皆、可哀そうなお姫様が好きなのよ』とはイラベルの言である。


「ありがとう、イラベル。二回目というと、未婚のあなたの分も私が取っているようで恐縮だけど……」


 ロージエラはささやかな反撃を試みた。しかし、獲物が罠にかかった猟師のようにイラベルが笑みを浮かべたことによって、自身の失策を自覚した。


「じゃーん。黙ってて悪いけど、あたし、つい最近結婚したの。相手は年上の貿易商人」


 そう言いながら左手をロージエラの前にかざす。その薬指に室内の明かりを金色に反射する存在があった。ロージエラのつけているそれよりも大きく、細かな装飾が施されているところを見ると、かなり羽振りの良い商人と結婚したようであった。


「……やや遅れたけど、そちらもおめでとう」


「ありがとう。……そうだ、ロペスも元気で……っていうわけでも無いけど変わらずにいるわよ。『結婚おめでとう』って言ってたわ」


 ロージエラは十年前に出会った総裁の姿を思い出した。好々爺という言葉が似あう男であった。一度会っただけだが、彼がこの場に来られていないことを残念に思った。アルロザスの独立は、彼が強硬派の意見を抑え込んでいたから保てたところが大きかった。


「まあ辛気臭い話はまた今度にして。ね、ね、あたしと彼の馴れ初め聞きたい?」


「嫌よ」


 自分ののろけ話を、拒否というよりも拒絶したロージエラに対して、イラベルは対価を要求した。


「あーそう。じゃあ、ローゼ、あんたが話しなさいよ。麗しの女領主はどうやって新進気鋭の将軍様と出会ったのよ」


 ロージエラは目線を右にそらした。そして、右から左へと流す。その後ろめたそうな様子を、市民政府が男女同権を推し進める以前から重要な役職についてきた女傑は、見逃さなかった。


 敏腕な尋問官と化したイラベルは、的確にロージエラの図星をついた。この所業がたまたまだったのか、或いは彼女の第六感によるものなのかは分からない。


「えっ!?何々!?もしかして子供の内から手出し――」


「――今から化粧直しをするからお引き取り願うわ。クレアつまみだして」


 主人の意に従って、クレアは来客に退室を促した。しかし、それでもなお粘ろうとしたため、無作法を承知で抱え上げた。小柄なイラベルは口では反攻しながらも大人しく部屋の外へと運ばれていった。


 静まり返った部屋に、また、嘆息が響く。


「……もう疲れたわ」


 ロージエラの精神的エネルギーの大半はイラベル一人に費やされた。まだ、花嫁としての最初の一日を半分も終えていない。これから彼女は、日中に大勢の人間の相手を務め、日没後は、一人の男の相手を務めなければならない。どちらの方が大変かはまだ分からないが、どちらも大変なことは前回の経験から知っていた。


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