【返事を出すまで】
ブルグト軍を撃退してから一週間。ロージエラは暇を弄ぶという贅沢を久々に満喫していた。毎日のように乙女連隊の訓練と、領主としての職務を遂行してはいるが、それも陽が頂点に昇る前に終わってしまう。残りの半分の時間をどう過ごしてしまおうかと迷い、結局温室で陽が沈むまで過ごす日々であった。
ハンフリッド家の温室は、ロージエラの母親が作った。日光が遮られないように大部分がガラスによって作られており、暖房器具によって一年中温暖な気温を維持し続けているこの温室には、ロージエラが好きな草木が植えられている。冬場になると燃料を消費するため維持費はやや嵩むが、その額はかつて貴族が行っていた贅沢に比べればささやかなものであり、ハンフリッド家の家計を圧迫するようなものでは決してなかった。
心地良い温かさの中、椅子に座り、紅茶を啜って手紙を読む。この要素だけを抜き出して見れば、ロージエラは深窓の令嬢ともとれるが、実際に彼女を目にした者は、動きやすさを重視して着用されている男装と、人生の酸いも苦いも経験した大人の顔から、どう見ても令嬢という柄ではないことを瞬時に理解するだろう。
既に本文を読み終わり、追伸の部分『あんたに猛烈に会いたがっている人がいるわ。きっと近いうちに合うでしょうね』と、その下に書かれた差出人の名前『イラベル』に目を通し終わった時、ロージエラは横から声をかけられた。
「そう、厳めしい顔をされていると、嫁ぎ先が無くなりますぞ」
ロージエラは眉間により深く皺を作り、声がした方へと振り返った。この地の領主である彼女にこのような差し出がましい口を叩ける者はそう多くない。その数少ない人間の筆頭が、女性で言えばクレアであり、男性で言えばこの温室の管理をしている――
「――バシオール。うるさいわよ」
ロージエラは憩いの時間を不躾にも、無礼な物言いで乱してきた老人を睨みつけた。しかし、バシオールと呼ばれた老人は、大の大人でさえひるむことが多い棘のような視線をまったく意に介さなかった。この老人は数多の戦場に立ち、ロージエラや乙女連隊の教官も務めてきた。今更、娘以上に年の離れた女性の視線など、どれほど殺気が込められていようと可愛げしか感じないのだろう。
「ほっほ。これは失礼いたしました。それより、お嬢様、今から花たちに水をやる時間ですが、いかがされますかな?」
バシオールは温和な笑みを浮かべ、立派な――ロージエラに言わせれば草花よりも先に手入れをした方が良い――髭をなでながら言った。
「やるわ」
ロージエラは手紙を封筒に戻すと、素早く立ち上がった。花の世話をすればするほどなぜか枯らしてしまう彼女にとって、バシオールと共にする水やりは、唯一世話ができる機会であった。
二人並んで水をやっていると、バシオールに水をかけられた花がいきいきとしているのに対して、なぜか自分がかけてやった花がはぐったりしている。その花たちの差別的な扱いに不満を感じていると、バシオールから水を向けられた。無論、文字通りの意味ではない。
「……ところで深刻そうな表情をされておりましたが、先程読まれていた手紙は何か重大な内容で……?」
「ええ、そうね。イラベル……いえ『市民政府』から軍事通行権を要求されたわ」
アルロザス、というよりもハンフリッド伯領は、十年前に起きた革命の時から、半独立状態にあった。これは、革命勃発と同時に発足された市民政府の前身『革命政府』が、『革命』という大義と『平等』という正義を掲げる無法者の集団であったための自衛的措置がきっかけであった。
革命政府は法という概念を、何十世代にもよって醸成された復讐と怨恨という感情でどす黒く塗りつぶしており、彼らの手によって貴族というだけで裁判にもかけられず即時に処刑された者は非常に多かった。何よりもロージエラが気に食わないのが、私刑まがいの拷問じみた尋問や、民衆の手による私刑そのものを平気で横行させていたどころか、推奨や扇動までしていた点である。それに、政府の役人を名乗る盗賊同然の悪党が国中に湧いていたという点も、彼女に独立を促した。
革命政府が崩壊し、その瓦礫の中から誕生した市民政府によって、共和国として再建されたラフス。それが同信教連合と本格的な戦争を始めてからは、アルロザスが戦乱に巻き込まれないように中立の立場を取り、ひっそりと独立を続けていた。その結果、むやみに戦線を拡大したくない両国の思惑によって、この辺境の地は捨て置かれ、隣国からの小規模な侵攻を除けば、平和な日々を享受出来ていた。もっとも、外交上はラフス共和国からの独立は認められておらず、対外的に言えば『ラフス共和国のアルロザス市』なのであるが、その実情は、政府の幹部がこのような手紙を送ってきたことが示す。言ってしまえば自治区或いは同盟国のようなものであった。
「お受けになられますか?共和国の方も今は大分安定しているようですし」
バシオールの問いに、ロージエラは首を捻りながら答えた。答えたといっても明確な回答ではなく、考えを整理するために頭の中で浮かんだことを、都度、口にして言っているようなものである。
「うーん。確かに市民政府が設立されてからラフスは安定しているけれど……それでもこの要求をのめば、それをきっかけに完全に共和国の一員となってしまうことは避けられないわ。そうなると、今現在も続けられている、同信教連合との戦争に巻き込まれ、地理的にここは最前線になってしまうでしょうね……。それに、あの娘たちのこともあるし……」
『あの娘たち』とは乙女連隊のことであった。彼女らの多くは革命政府に親兄弟を処刑されているため、その後継である市民政府に対して強い反感と不信感、そして恐怖心を抱いている。総裁であるロペスの人柄からみるに、併合されたとしても彼女たちの身の安全は保障されるだろうが、その気持ちを無視することは出来なかった。
「では、断るおつもりで?」
「ええ、そうするわ」
十年間、他国の侵略と本国の干渉を独力ではねのけてきたのである。この状態がいつまでも続くとは全く思っていないが、もう少し落ち着いた情勢になった時に併合されたいとロージエラは思っていた。そうすれば、彼女の居場所――この温室よりもずっと広い範囲――は今しばらく平和を享受し続けられるであろう。
水やりを終えると、ロージエラはじょうろを片付けた。茶器の片づけをバシオールに押し付け、出口へと向かう。方針が決まった今、すぐに返事を書かなければならなかった。なぜなら送り主のイラベルは、直ぐに返事をよこさないとうるさいからである。
「それにしても、私に猛烈に会いたがっている人って誰なのかしら?」
おそらくは政府の置かれているラルフローの住人なのだろうが、そこで築いた限られた交友関係を思い返せるだけ思い返してみたが、その誰もが、既にこの世にはいなかった。
温室を出ると、冬の名残を思わせる寒気に鼻をくすぐられ、勇ましいくしゃみが出た。
「……寒いわね。桜の見ごろはまだ先かしら?」
この瞬間、ロージエラの頭の中は淡い赤色に染められた。彼女にとって、見知らぬ人間なんかのことよりも、綺麗な晴れ姿を見せてくれるであろう存在の方が重要であった。それは、彼女の趣味嗜好によるものもあったが、なにより、連隊全員が参加する花見の実行委員長でもあったからだった。