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【引っ越すまで】

 ロージエラは自室に最後の入室をした。


 彼女の部屋は王妃が住まうにしては質素である。大きな天蓋付きベッドを除けばそのどれもが一般大衆にも使われているような家具や調度品ばかりであり、その点数も最低限しかなかった。別にこの部屋の主は庶民派であることをアピールしようとしているわけではない。必要以上の物は不要でしかない。ただ、そんな感性を持っているだけであった。


 その数少ない家具の一つであるティーテーブルに一人の女性がいた。素朴な栗色のボブカットに同色の瞳。クラシカルなメイド服に身を包んだその女性は、見た目通りロージエラの世話をする侍女であった。名前はクレアという。ロージエラより二歳年長であり、幼き日より一緒に時を過ごしてきた。筆まめであり、日記を趣味にしている他、僅かでも文字を書く必要があれば、積極的に記入を行う。噂では祖父が同一の人物であるらしいが、それを意識したことはロージエラには無い。それは、クレアも同様であろう。


「お、おかえりなさいませ、お嬢様」


 思っていたよりも早い主人の帰りを、戸惑いと憩いの時間の痕跡を隠せないままクレアは出迎えた。ティーテーブルの上には、細かな字でページを埋められている日記帳、ティーポッド、飲みかけの紅茶が入ったティーカップが置かれている。人によっては侍女ごときが休息をとっている姿を主人に見せたことを、咎めるかもしれないが、ロージエラはそんな狭量な人間ではない上に、二人の関係性は主従というよりも姉妹のそれに近い。あくまで主従のけじめをつけようとするクレアはそうでもないが、ロージエラの方は全く気にならなかった。


「今戻った」


 舞踏会場の時よりもやや荒っぽい口調でロージエラは応えた。これが普段の、王宮に嫁いでくる以前の喋り方である。


「どうされたのですか……?まだ終わるような時間ではないでしょうに……。それにそのバゲットは……?」


 不安そうに投げかけられる質問の返答をする前に、喉の渇きを潤したいとロージエラは思った。そのため、ティーテーブルの前まで歩き、一杯、所望した。しかし、一人だけのささやかな茶会にはカップが一つしか無い。


「すぐに新しいのをお持ちします」


 というクレアを押しとどめ、ロージエラはまだカップに残っていた紅茶を飲み干した。音を立ててカップを置き、要求する。


「もう一杯」


 田舎娘ですら恥ずかしがってしないような行儀の悪さであった。ましてや、彼女は田舎娘ではあるが貴族である。淑女とは到底言えない行いは、作法の教育係も兼任していたクレアの眉を顰ませた。


「……決して人前でしてはいけませんからね」


 短く溜息をつき、半ばあきらめるように言いながらお代わりを注ぐその姿は、可愛い妹に強く言うことができない姉のようであった。


 一・五杯目を飲み干し、満足したロージエラは、クレアの対面に座った。それを契機に、先延ばしにされていた事情の説明を求められた。


「それで……舞踏会で何があったのですか?その……やけに晴れがまし顔をしておいでですけど……」


 歯切れの悪い問いと対照的に、答えはすっぱりとしていた。


「離婚した」


 晴れやかな表情からそれを推察するのは、幼き日から一緒に過ごしてきたクレアであっても不可能であった。ロージエラの思ってもみなかった暴露は、切れ長の彼女の眼をやや丸に近づけた。


「ええ!?何で離婚してしまわれたのですか!?亡き先代がどれほど苦労してお嬢様を嫁がせたとお思いです!?」


「いや、正しくは『された』」


 細かい言葉のニュアンスを訂正しながら、ロージエラは自分でポットを手に取り紅茶を注いだ。目の前の驚愕している侍女に頼むよりも、こちらの方が手間が無くていい。


「置かれた状況からしてみれば同じです!ただでさえ新参ということで肩身の狭いハンフリッド家が、王家の庇護無しでどう王宮で立ちまわっていけばよろしいのですか!?」


 ラフス貴族社会は、何十世代にもわたる婚姻や友好によって、鎖よりも強固なしがらみによる雁字搦めの関係性が築かれている。そんな中に、ハンフリッド家のような新参者がのこのこと入っていって温かく受け入れられるわけもない。そのため、ロージエラの父クローヴィル・ハンフリッドは、家を守るためたくさんの媚びや自尊心を売り、少なくない出費を重ね、娘の政略結婚を実現させたのだ。


「まあ、そう悪いことばかりでも無いと思うわ」


 ロージエラはこの国の現状、そしてそこから導き出した、そう遠くない未来を語りだした。全国各地に暴動という名の双葉が芽吹き始めていることを。そして、その双葉が成長し花開いたときに、ラフスという国は崩壊するということを。それから、今日の離婚によってその崩壊に巻き込まれる可能性はかなり低くなったということを伝えた。


 クレアはその予測をすんなりとは受け入れなかった。貴族の家に使える者の嗜みとして、クレア自身、ある程度の教養はある。その教養の内に歴史も含まれており、その頭の中には、かつてこの国に起きて潰えていった、いくつかの反乱の名前が書きこまれ、記録されていた。そのため、今度起きるという反乱も、それらと同じように双葉の状態で踏みつぶされる、或いは、花が開く前にまとめて刈られるのではないか、と思うのだった。


「……それでも、この国には王国軍が、十五万人の正規兵が存在しておりますが」


 クレアはラフスが『反乱』という花が咲き乱れる花畑にならない理由として、強大な常備軍を挙げた。彼らという農夫が居る限り、畑に生える雑草はことごとく取り除かれるであろう。だがそれは、ロージエラに言わせればただの案山子でしかなかった。双葉を踏みつぶすことも花を刈ることもきっとできない。


「王国軍はもはや完全に形骸化しきっているわ。もし私にその十五分の一……一個師団の兵力でもあれば簡単に殲滅できるでしょうね。もっとも、忠義に対する相応の対価を払わない主君を、命がけで守る兵士なんていないでしょうけど」


 そう大口をたたく主人に二、三質問を重ね、クレアはようやく今日の離婚については飲み込むことは出来た。しかし、だからこそ更に気になる点が浮かぶ。


「これからどうされるおつもりなんですか?」


「帰るわ、故郷に」


「いえ、それはわかるのですが、そのいずれ起きる反乱が起きたとして、ハンフリッド家はどういう振る舞いをなさるおつもりなのかと」


 ロージエラは顎に手を当てて数秒考えこんだ。出てきた答えは


「知らないわ。それはその時にでも考えましょう」


 という無責任なものだった。だがロージエラは、明日何が起きるかすら分からないのにそれよりも未来のことを、自信を持って断言する方が無責任だろう、と思うのだった。


「……それよりも、早くここを引き払いましょう。今日中に追い出されるわけじゃないでしょうけど。あいつと顔を合わせる可能性は低い方が良いわ」


 元夫を『あいつ』呼ばわりして、ロージエラは行動の指示をクレアに下した。


 クレアの心に発生したもやもやとしたものは解消されていないが、それでも、目の前にやらなければならないことがあるとなると、実務家タイプの人間なため、それらを無視して目の前の仕事に取り掛かり始めた。


「承知しました。それでは向こうに持って帰るものを上げていってください」


 クレアは日記帳から惜しげもなく一ページ破り取ると、それをメモとしてティーテーブルの上に置いた。そして、そのメモにロージエラがあげていったものを一つ一つきれいな字で素早く記入していった。持ち替える者については主に本、衣類、茶器、などがあげられた。一部の本以外はどれも、ロージエラの嫁入りの時に持って来た愛着のある品であった。それらを書き留めて、クレアは不満そうに言った。


「ドレスとかはお持ち帰りにならないのですか?」


「ええ、そうね、どうせ着ないわ。それに着るようなことがあっても、今着ているこれで充分よ」


 ロージエラは舞踏会場からそのまま着てきたドレスの肩の辺りをつまんだ。彼女の身長は去年から伸びていない。体型が極端に変わらない限り、ずっとこのドレスを着ていくことができるだろう。服装の流行などに興味の無い彼女にとって、社交場での晴れ着は一着で充分であった。


「どれもお似合いですのに……」


「あら、ありがとう。でもこういうのは好きじゃないわ」


 残念がるクレアに別室から着替えを持ってくるようにいい、ロージエラは一人でドレスを脱ぎ始めた。数人がかりで脱ぎ着する想定のドレスを、一人で脱ごうとすれば当然手間取る。普段の着替えの十倍以上の時間をかけ、四苦八苦しながら脱いだドレスの下から、生半可ではない努力によって鍛えられた体が露になった。コルセットの不要な引き締まった体幹。並の男性よりも強力な膂力があることをしめす筋張った腕。重量物を担いで何十キロも歩ける太い脚。そのどれもが故郷で行った鍛錬と訓練によって培われたものだった。身体だけでなく技術も磨いており、素手であっても並の男であれば簡単に黙らせられる。大切なものを守るためには、それに応じた力が必要という彼女の思想が、体つきにそのままに現れていた。


 脱いだドレスを放り投げて椅子の背もたれにかけると、タイミングよくクレアが着替えを持って来た。高級なドレスの乱雑な扱いに対する注意を生返事で受け流しながら、ロージエラは普段着に着替えた。ズボンに、シャツに、ベストに、ジャケット、男装であった。しかも、平民階級が着るような粗末な代物である。だが、着用者の淡麗な顔立ちが、体の中を流れている血の高貴さを物語っており、初めて見かけた者でも彼女がただ者でないことを充分に悟れた。


「うん。やっぱりこっちの方が動きやすいわね」


 枷が外された囚人のように体の動きを確認している主人に、クレアは報告した。


「着替えを持ってくるついでに、荷馬車と人手を手配しておきました。あと一時間もあれば来ると思われます。それまでの間にある程度荷造りを済ませておきます」


 ロージエラの侍女は一人しかいない。それは必要以上のものを不要に思う彼女の感性に基づくものであった。そして、今までそれで不自由したことは無かった。


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