異世界ものの定番であるナーロッパにおいて作中人物が「山猿のような」と表現するのは、いかがなものか
日々、数多く執筆される異世界ものを読んでいてときたま目にする表現の中に、とても気になるものがある。
それは、「山猿のような」という形容である。
何度か目にしたが、いずれも「中世ヨーロッパに似た文明度の」異世界を舞台とする物語の中で、
貴族が平民をバカにする時に使用されていた。
なぜ、気になるのか。(他にも気になってた人、いるでしょ~?)
なぜなら、霊長類は(人間以外は)ヨーロッパと北米には生息していない(オーストラリアにも居ない)からだ。
本物の中世ヨーロッパでは、サルの存在自体は知られていたし、個体も少数なら輸入されていたかもしれない。
が、それは遠いアフリカや中東からの希少な輸入品であり、貴族や金持ちの趣味としてか、あるいは
サーカスのような見世物として飼われ、一般の目に触れることはほとんどなかったと思われる。
たぶんエジプトを中心としてアフリカからはオナガザルやキツネザル、中東からはマントヒヒをはじめとしてヒヒ類が、珍しいペットとして入って来ていただろう。
しかし、希少な珍しいペットが、他人を貶める表現に使われるだろうか?
高貴さや富を示すステータスシンボルであっただろう高価な動物を、山の中に生息する野生動物のように言うだろうか?
他人を卑下する時にサルに例えるのが普通に行われるという状況は、サルが普通の人にとって馴染みのある存在であり、同時にヒトと似ていること、似ているけど見てると不快になる事などが「一般に知れ渡っている」という環境が前提となる。
つまりサルの行動が一定時間観察できる機会が誰にでもある、という環境であるはずだ。
それには「サルが身近に居た」か、あるいは「身近に生息してはいないが馴染みがあった」のどちらかが前提として考えられる。
現代なら、サルの居ない国でも映像を通じてサルがどんな動き方や鳴き方をするのか、子供のうちから知ることができるが、中世ではそんなものはない。
絵画や本などで知ることはできるが、識字率は貴族でさえ低かったし、動物図鑑などというものは出回っていなかった。
図書館は、平民には関係の無いものだったが、それでもあちこちにあった。修道院には古くから伝わる貴重な書物が集められていたし、貴族のステータスとして高価な本を沢山集めてお屋敷の中に図書室を設ける風習があったので、それらの本の中に偶然サルに関する記述があった、ということだろう。
例えばイソップ寓話の中にはサルが何度か登場する。
イソップ寓話は紀元前から伝わる小話集なので、古代ギリシアやローマのグローバルな事物を実際に見聞した著者によって著わされており、決して中世ヨーロッパにサルが生息していたとか、サルが見れる動物園があちこちにあったからではない。
古代地中海では、中世よりもずっと異国との交流が盛んだったから、黒人も居たし、コロッセウムで闘技に使う為にアフリカや中東やインドからも珍しい動物をわんさか輸入していた。
かのアレクサンダー大王も遠征先で珍しい動物を捕まえては祖国へ送っていた。その一部はアリストテレス先生宛てに送られ、先生の著作である「動物論」だか「動物誌」だかの材料となった。
イソップさんというギリシア人もそんな環境で暮らしていたから、サルを何度も見たことがあっただろう。
そんな古代の人が書いた寓話集が中世にも伝えられ、人気を博したおかげで、中世の人々もサルという見たことも無い生き物を、当たり前のようにお話の中で知る事となった。
ちょっと本を読んでる貴族なら挿し絵を見たことがあっただろうし、サルという生き物がファンタジーではなく遠い異国に生息していることも知っていただろう。
だから中世ヨーロッパの人達はサルを知らなかった、と断言することはできない。
サルという存在は知られていたし、ヒトにちょっと似ている変な生き物という認識は、広くではないが、何となく伝えられていた。
問題は、中世ヨーロッパにおけるサルはどんなイメージだったか、である。
イソップ物語集のサルたちは残念ながらあまり良い役割ではなく、むしろ馬鹿にされることが多いようだ。
しかし、それは他の動物も同じ。騙されたり馬鹿にされる動物は他にも何種類も登場する。
イソップ物語のサルたちは、他の動物と同じく、人間の愚かさを映す鏡として描かれている。
でも、イソップ物語の世界にも「山猿」というイメージはない。粗野で騒がしく礼儀作法を全く知らない、みたいなイメージが、イソップのサルたちには無いのだ。愚かな人間の例えにはなっているが、下品とか粗野とか垢ぬけない田舎者という役割は割り振られていない。
そして、「山」という語をつけた「山猿」である。
これ、ニホンザルそのものじゃないですか?
山に住んでいて、時折山から下りて来て悪さをする、山猿。
いや、他にも韓国にも似た種は居るし、台湾にも居るし、東南アジアにはカニクイザルというのも生息していて、みんな山とか森に住んでいる。
でもみーんなアジアなんですよ。アジア人だったら「山猿のような」と表現されれば「ああ、そんな感じね」とイメージが沸くでしょう。
でも、ヨーロッパはどうだろう?
彼等にとって、日本人の言う山は、森に当たる。
まず、山が身近にない。大多数の欧州人は平たんな牧草地と森林の入り混じる土地に暮らしていて、山の近くと言ったらアルプスかピレネーかカルパチア。コーカサス山脈は中世にはイスラム圏になっていたので除外。
欧州全体の地図を見ると、この三つの山脈がポン…ポン…ポン…と間隔を開けて配置している。
日本のようにクシャクシャと畳み込まれたような山脈の端っこに何とか人の住める土地がへばりついてるのとは大違いだ。標高は欧州の山脈の方がずっと高いが、地形に占める割合が少なすぎて、山の存在感があんまり無い。
つまり、欧州は平坦な土地が圧倒的に多い。だから人口の大部分も平地に分布していて、山のふもとで暮らす人の割合は低い。日本人の大多数が山の中や、山のふもとで暮らしているのとは対照的に。
なので「山猿」がいたとしたら例外的な地域としてアルプスかピレネーかカルパチアの山の中、ということになるが、
しかし
サルは熱帯の生き物だから寒いところでは生きられない のである。
世界の霊長類の中で唯一、ニホンザルだけが寒冷地にも生息域を拡げたのであって、アフリカ産や中東のおさるさんはヨーロッパでは生きていけない。
ローマ帝国時代はヨーロッパの気候が温暖な時期だったし、栄えていたのは地中海沿岸だったので、アフリカの動物たちもアルプス以南やスペインだったら凍え死ぬことも無かったのだろう。
でもアルプスなんて高すぎて寒いし、ピレネーも2000から3000メートル級の山が連なってるし、カルパティアなんか5000メートルとか4000メートル級がずらっと並んでる。そんな山に入ったら、温暖な時代でも低体温で逝ってしまっただろう。
だから貴族に飼われてたヒヒか何かが逃げ出して野生化した、という例も無いと思っていい。ヨーロッパの冬はアフリカや中東やインドのサルが野生で生きて行くには厳しすぎるから。
ということは、イソップ寓話を楽しんでいた中世ヨーロッパの人達は、本物のサルを見た事がなかった、という結論になる。
「山猿」はあくまでも、寒冷地に適応した世界で唯一のサルであるニホンザルを、山のへりにへばりついて暮らすしかない日本人が、身近な害獣として認識した言葉なのである。
百歩譲って「山」を取り除き、中世ヨーロッパの人が「サルのような」と形容したとしたら、その意味はエギゾチックで珍しい、というものだろう。
・・・うん、でも、これでも悪意ある皮肉にはなるかな。貴族の世界に属する、高価な価値のあるサルだけど、異国の者だから普通ではないですわね?みたいな…