海底
何気なく海を見る。
すると目の前には漆黒とかすかに光る星々があった。
時刻は深夜一時を回るころ、酒の場に"飽き"を感じ抜け出してきた後数分。
星は陰り、海からは声がする。
ふらつく足をなんとか踏み直し波を喰らう。
数瞬の後、海からの声は解放の告に代わった。
どんよりと重たくなった足で腰まで海に浸かる。
夜の海はどこまでも暖かく、癒しを与え、思考という行為を無とした。
目に見える波、月明かり、砂浜、自身の影曇天とその中に見える薄幸。
全てが神秘的で、儚く綺麗に見えた。
気がつけば体は陸で生きている時よりはるかに楽だ。
そして月に魅せられたように海に入っていく。
海面は胸あたりまで上がってきた。
ふと足元が気になった。
目を向けた先には人が居た。
いや、人と呼ぶには造形が美しいと長らく放棄した思考を行った。
「ねぇ、貴方はどうしてここまで来たの?」
彼女は柔らかな表情を変えずに問いた。
どうして…考えたが何も浮かばない。
仕方なく、分からねえ、なんとなくだと答えようとした。
が、
「まぁそんなことはどうでもいいや。
一緒にあの光を目指して歩かない?」
その彼女の声に握り潰された。
光は彼女の指の前方にあった。
何があるか分からないが心が軽くなった気がした。
目から涙が出て、何故か過去が襲いかかってくる。
何度自身の全力を尽くしても評価されない現実。
夢を捨て歩み出した社会で屑の様に上の吐き溜めにこき使われる毎日。
両親が早死した時の彼女が放った一言。
兄弟の出涸らし、社会不適合。
ただ、ただ許して欲しかった。
ただ、ただ苦しい砂漠を歩く様で喉が渇く。
ただ、ただ心に抱えた影を投写することすらできず人生の歩く度に苦痛という影を拾うという規律に則って引かれたレールを進んでいく。
こわれる…きっとそう思った頃だ。
声が聞こえた。
「どうしたの?さっきから俯いてかんがえごとばかりだよ?」
彼女の声だった。
その一声で影は一目も見なくなった。
ここは…
「ここはあの光の中だよ。君が見た幸ノ形ノネ」
彼女はこちらを見るとふっと闇に消えた。
彼女と一緒に見えていたであろう景色はいつしか常闇に姿を替えた。
息ができず何も感じなかった。
何も見えない世界で幸せだと感じた。
ただ先の少女は誰だろうかと考えようとしてやめた。
静かに目を閉じた時にあったのは静寂とその肉塊であった。
魂は回帰する。
では、海底を見るために人は産まれてきたのか。
はたまた海面を目指そうと努力した結果、海底を見るのか。
人は誰しも最後に海底を見る。
その海底は等しく暗がりであるが、光か影かを決めるのは私たちの生まれた上での権利だろう。
そう、生と死と、海面と海底とのリーブラの様に。