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記憶の欠片 弟の誕生

(……苦しい、息ができ無い)


意識が浮上し、あまりの息苦しさにむせた。口の中はカラカラで喉が詰まる。誰かに抱き起こされ、呼ばれていたけれど、その声に応える余裕は無い。


(私を呼んでるのは誰だ?)


なんとか重い瞼を持ち上げると、そこには灰緑色の瞳があった。


(なんでだ……体に力が入らない……怖い。私は、死ぬのか?)


「……しにたくな…い……」


発した声はひどく擦れていて、ちゃんと聞き取れる言葉になっていたかは分からない。目の前の灰緑色の瞳が驚いたように瞬き、“私”の意識はまた遠くなっていった。


◇◇◇


 朝日の明けきらない早朝、騎士団の訓練場では剣戟の音が響いている。刃を潰しているとはいえ真剣に打ち合う一撃は重く、打ち所が悪ければ大怪我をしてもおかしくはない。額に汗を浮かべがむしゃらに打ち込む小柄な人物とは対照的に、その切っ先を軽々といなしながら、時に鋭く攻撃を繰り出す騎士団長は息一つ乱していない。


「エルダー様、本日はここまでといたしましょう」

「……はぁっ。先生ありがとうございました」


 何合目かのやり取りを交わした後、エルダーの呼吸が乱れ、動きが鈍ってきたところで本日の訓練は終了となった。騎士団長は傍で息を整えながら汗をぬぐっている教え子を見る。その体はあまりにも華奢だ。はっきり言って持久力は乏しい。しかしながら、それを補う程に剣技では同年代の中でも頭ひとつ分は抜きん出ている。毎朝の地道な訓練は確実にエルダーの剣技を向上させていた。自ら望んで真摯に取り組む姿は騎士団長を務める彼から見ても好ましいものだ。


「最後の突きはなかなかでした。腕を上げられましたね」


 お世辞ではない褒め言葉に、エルダーは嬉しそうな笑顔を見せる。その顔は年相応に見え、普段の冷静で大人びた表情からは想像もつかないあどけなさだ。騎士団長はその事にほんの少し安堵する。幼い頃から“領主の後継”としての立場を求められているエルダーは、子供っぽさを表に出すことが殆ど無い。“領主の後継”としての立ち振る舞いを教える側の人間としては優秀な生徒を誇らしく思う反面、大人達の都合でエルダーの子供時代を奪っているのではないかという小さな罪悪感が日々胸に降り積もっていた。


 ふと人の気配を感じて訓練場の入口を見やると、若い騎士見習いが慌てて訓練場に駆け込んできた。エルダーは一瞬にしていつもの“貴公子”然とした雰囲気に戻っる。


「訓練中に失礼いたします」


若い見習いはエルダーと騎士団長に騎士の礼をとる。


「どうした?」

「団長。城より伝令です。すぐに殿下にお戻り頂くようにと」

「分かった、護衛は私が勤める。これを戻しておいてくれ」


若い見習いは騎士団長から二振りの剣を受け取ると、武器庫の方へと駆けて行った。


「エルダー様。お部屋までお送りいたします」

「あぁ、よろしく頼む。しかし、いったい何があったのだろう……」


 急ぎ戻った城内はどこか緊迫した雰囲気で、居住区に近づくにつれその異変は大きくなる。普段は音も立てずに静かに歩く侍女たちも、廊下を小走りに近い速さで行き来していた。


 エルダーが部屋に戻ると、待ちかねていた乳母が駆け寄ってきて二人に告げる。


「ジャスミン様の陣痛が始まりました!」

「……そうか母上が……ついに私にも弟か、妹が出来るのだな」


エルダーは貴公子然とした佇まいで静かに微笑した。


 その一刻後、サルト国コモン公爵家に男児の誕生が告げられた。領地では男児誕生の旗が次々に掲げられ伝播し、領土全域が喜びに満ちた。


 エルダーはふにゃふにゃで頼りなく、赤い顔をくしゃくしゃにして泣いてばかりの弟を見て、正直可愛いとは思えなかった。それを乳母に正直に告げると、乳母は楽しそうに笑った後で諭すように言った。


「生まれたばかりですからね。もうしばらくしたら愛らしいお顔におなりですよ」


(本当に可愛くなるのだろうか)


 信じられない気持ちでもう一度赤子を覗き込み、そっとその小さな手に触れてみる。思いの外強い力でギュッと握りしめてくる弟に、初めて少しだけ愛しい気持ちが湧き起こった。


(大きくなったら、先生に教えてもらったように、私が剣の稽古をつけてやるのもいいかもしれない)


もっと強くなって、この頼りなくも幼い弟を守ってやらねばならない。エルダーはそんな使命感にも似た決意を人知れず胸に抱いた。


 けれどこの日を境に、ここ数年来続いていた朝の剣術訓練はあっけなく終わりを告げた。


◇◇◇


 少女が目覚めた時、古びた木の天井が目に入った。知らない部屋だ、体を起こして部屋を見渡し、ふと違和感を感じて首に手をやると包帯が巻かれていた。


(……頭がボーとする。いつの間に怪我をしたんだろう……剣の訓練で失敗したんだろうか……剣の訓練?)


 カチャリと扉が開く音がして、少しくたびれた白衣姿の小柄なお爺さんが部屋に入って来た。


「おぉっ、気が付いたようじゃな。心配せんでもえぇよ。わしゃこう見えて医者じゃ」


少女はぼんやりとお爺さんを眺め、ここは医務室なのかと考える。


「お前さんは長いことな、意識がなかったんじゃよ。どれ、異常が無いか見てみよう」


優しい声や慣れた手つきに少し安心する。医者は小さな明かりを顔の前で照らして目を覗き込みながら、質問をしてきた。


「痛い所や苦しい所はないかい?」

「……は…ゲホッゲホッ」

「あぁ、無理せんでいい」


 少女は返事をしようとしたが声にならなかった。医者はすぐに近くにあった透明な液体が入ったコップを差し出した。一瞬“毒”という言葉が頭をよぎり、コップを持つことができずに動きが止まる。老医師はその様子を見て、ふむっと頷いた後、自分で一口コクリと飲んで見せる。


「ほれ、大丈夫じゃ。喉がスッとするハーブエキスが入っている水じゃよ」


そう言って少女にコップを持たせた。少女は恐る恐る一口飲むとその液体はほんのり甘くてスッとした清涼感があり、喉の痛みが少しマシになった。


 次に医者は口を開けるように指示すると、喉の様子を診た。


「喉が大分炎症を起こしているな。頷く事は出来そうかい?」


返事の代わりにひとつ頷く。


「そうか。自分の名前は分かるかい?」


頷きかけて首をかしげ、首を振る。


(私の名前、名前……分からない。どうして……)


「ふむ、記憶が混乱しておるのかもしれんの。とりあえず今はゆっくり休む事だ」


 その後いくつかの質疑応答がなされ、医者は考え込む少女の頭を優しく撫でて部屋から出て行った。少女の思考は長くは続かず、自然と瞼が下がり、ゆるゆると夢の中へと引き戻されていった。

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