13-4
色んな奴らと話をするエリシアは、俺がいなくても楽しそうに笑っていた。必要とされていないようで悲しいのに、エリシアに呼ばれただけでまた犬のように尻尾を振って駆け寄ってしまう。
振り回されていると分かっていても、結局エリシアを好きな気持ちに変わりなどなかった。
バルコニーの扉を開けたデリックは、そこにいた人物に顔を顰めた。
「そんな顔をするなよ」
眩いブロンドの髪を撫で付けたベンジャミンは去年の姿よりもずっと国王らしく見えた。
「エリシアさんに頼んだのさ。こうでもしないと二人きりで話すことはできないだろ」
そう、俺もエリシアに呼ばれてここに来た。
エリシアに掛けた防御魔法は会場の方にあったが、エリシアに言われたことは疑う余地もないと思っていたからだった。
「お前と話すことなどない」
「そう言わないでくれ。こうして軽口叩けるのも、もうデリックくらいなんだ」
寂しげに笑うベンジャミンに誘われ、デリックは嫌々バルコニーに足を踏み入れた。
「こうしてゆっくり二人で話すのは初めてだな」
「話したくもないがな」
断言したデリックをベンジャミンは軽く笑って受け流す。
「デリックは俺が嫌いか?」
「…別に。好きでも嫌いでも」
「それは良かった」
二人の間を夏の湿った風が吹き抜ける。草木の香りに誘われて顔を上げるといつかエリシアと見た夜空のように無数の星がそこにあった。
「私は…ずっとデリックが羨ましかった」
「それは皮肉か」
「いや、本当だよ。
…私にはないものばかりを持っているデリックが、羨ましかったんだ」
「皮肉だろ」
「最後まで聞いてくれ」
「貴族の奴らは遠回しに話してばっかで結論が遅いんだよ」
魔塔の後継者として貴族とも関わりのあるデリックは嫌悪を露わにする。自分にはない素直さを持つデリックを、ベンジャミンは眩しそうに目を細めて見つめた。
「私は、デリックの母君に…お会いしたことがある」
初めて出てきた母親の話に、デリックも口を閉ざして耳を澄ませていた。
「…とても慈しみ深くて、優しいお方だった。侍女や使用人たちにも親切にされていて、身分や地位など見て呉れで判断せず誰に対しても同じように接する。
私は…あの方と過ごす時間がとても好きだった」
誰からも聞いたことのない母親の話。
誰かに育てられたわけでもないデリックにとって、母親と言われもピンとはこなかった。
「王国は一夫一妻制だ。私の母が王妃である以上、あの方は公的に妃とはなれない。だが国王の寵愛に加え宮殿中から愛されるあの方を、王妃はとても憎んでいた。
酷くなったのはデリックの妊娠を知ってからだった。男児であれば国王になる可能性が出て来るからだ。王太后の座を狙っていた王妃はデリックの母に厳しく当たり…、それは私に対しても同じだった。
王太子となるために遊ぶ暇もなく寝る間も惜しんで勉学に励んだ。そうしなければ…」
それまで流暢だったベンジャミンの口が止まる。デリックが視線を送ると、再びゆっくりと話し始めた。
「…だがデリックの母君は違った。幼い私が子どもらしくないのを悲しみ、たくさん遊んでくれた。だがその愛情が一番に向かう先は結局、デリックだった」
「…記憶にはないけどな」
「私の中には鮮明に残っている。あの方は…デリックの誕生を心待ちにしておられた。きっとデリックが無事でいるのなら自分の身など構わないと思っていただろう。そのくらい…あの方はデリックを愛していた」
知らない人の、知らない話。
興味はそれほど湧かなかったが、ベンジャミンの話を遮る気にはならなかった。
「デリックが生まれ、あの方が亡くなり、それでも私はデリックに一目会いたかった。だがそれも構わぬうちにデリックは王宮を離れ…、今日まで何もしてやれなかった」
佇まいを正したベンジャミンはデリックに向き直る。
「兄として私は非道な人間だった。本当にすまなかった」
国王がしでかした代わりの時ように頭を下げられても、気が晴れることはなかった。
「…兄といっても歳もそれほど変わらないくせに、何ができたんだよ」
「…デリック…」
庇うつもりはなかったが、ベンジャミンはそう受け取ったようだった。
「…実は、デリックの母君に…頼まれていたんだ」
「…何を」
『殿下。どうかこの子を守ってやってください』
ベンジャミンの脳裏に優しい笑顔が蘇った。
「デリックを、守るようにと」
「………お前に頼むなんてどうかしてたんだな」
自分を排除しようと画策する正妃の息子。
しかし当時のベンジャミンは単純に、弟か妹ができることを心待ちにしていた。
「…まあ、俺ももう成人したんだ。そんなに気負わなくていいんじゃないか」
「…ふっ。俺のことを気遣ってるのか」
「調子に乗るな」
あははっと声を上げて笑うベンジャミンに、デリックは居心地悪そうにしていた。
「…もう良いだろ」
「デリック」
立ち去ろうとしたデリックを呼び止めると、存外デリックは足を止めた。
「結婚おめでとう」
「…ああ」
「王宮にも顔を出してくれ。国王となると容易には国を出られないんだ」
こうして時々、話をしたい。今まで何もしてやれなかった分、兄らしいことをしたい。
「…気が向いたらな」
そんなベンジャミンの願いが届いたのか、デリックはそう言い残してバルコニーを後にした。
♢♢♢
廊下を彷徨っていたアリスはすれ違ったデリックを見上げ、次にデリックが出てきたバルコニーを覗く。
「ベンジャミン様!こちらにいらしたのですね」
「アリス嬢」
振り向いたベンジャミンは今やアリスにだけはとびきり甘い微笑みを見せるようになっていた。
「随分と探しました」
「それはすまなかった。足は痛くないか?」
「平気です」
パーティの明かりを背後から浴びたベンジャミン様もかっこいい…。
ちらりとその姿を見上げながら、アリスはうっとりと感嘆の溜息を吐いた。
「アリス嬢が手伝ってくれたから…ここまで来ることが出来たよ。本当にありがとう」
数日前まで公務に追われていたベンジャミンを思い出す。山積みの書類を片付けるため、アリスはその手伝いをしていた。
「私にできることは…限られていますが、それでも、ベンジャミン様のお力になりたいと思っております」
「…ありがとう」
手すりに置いていたアリスの手の上に、ベンジャミンの手が重なる。
手…手っ、手が…!!
「…本当は、国政が落ち着いて準備が出来てから伝えるつもりだったんだが…」
荒ぶる心を抑えようと、アリスは胸元を握り締める。ベンジャミンの視線を感じて隣を向くと、真剣な表情をしたベンジャミンがアリスを見つめていた。
「…これからも、ずっと私のそばにいてほしい。
アリス嬢を…王妃として迎えたい」
「…え……っ」
嘘…っ。夢にまで見たエンディングの告白シーン…!!
その生ボイスを耳で受け止めると心臓が破裂してしまいそうなほどだった。アリスの映る黄金の瞳はどこか切なさを孕んでいる。
「…アリス嬢の事が、好きなんだ」
アリスは目を瞬かせた。
あれ、こんな風に直接的な言葉はなかったはずなのに…。
「…返事を聞かせてくれないか」
「あ、え、えっと…」
私も、ベンジャミン様が好き。
その気持ちを伝えようとして、本当に良いのかな、ともう一人の自分の囁きが聞こえた気がした。
ベンジャミン様のサポートをしているといっても、侍女長には綴りのミスやマナーの間違いを指摘されてばかりだし、王立学院内のテストの成績も良いわけじゃない。
現実にこの世界を生きたから分かったけど、王妃となるには幼い頃から教育を受け、教養も知識もあり、社交界の評判も王立学院の成績も良くないといけないもの。
それなのに、私が王妃になったら…。
「………」
「王妃というのは話が早かったかな」
考え込んでしまったアリスの緊張をほぐすように柔らかい笑みを見せたベンジャミンは、重ねていた手を握った。
「率直にアリス嬢の気持ちを聞かせてほしい。私のことを…どう思っているのか」
バルティーナを出るときに散々カシアをけしかけておきながら、いざ自分にその役目が回ってくると肝心な言葉が出てこなかった。
「……私も、ベンジャミン様と…ずっと、一緒にいたいです」
言い終わるかどうかのところで、腕を引かれた。視界が暗くなり、ベンジャミンの腕が固くアリスを抱きしめる。
「…嬉しいよ、アリス嬢…」
「…ベンジャミン様……」
ずっとこの日を夢見てきた。しなやかなこの腕に抱き締められることを。
恐る恐る顔を上げると、鼻先が触れてしまいそうな距離でベンジャミンがアリスを見つめており、視線が交わると幸せそうに微笑んでいた。
「…アリス」
「っ…」
ベンジャミンの顔が近付き、アリスは驚倒して目を固く閉じた。その隙を狙ったように、唇に柔らかいものが当たる。
やがて離れていく気配を感じて瞼を開くと、後頭部に回った手が頭を引き寄せた。
「っベンジャミン様…?」
「…ごめん。今は…このまま…」
珍しくしどろもどろになっているベンジャミンをこっそりと見上げると、蕩けたような顔をしていた。
ベンジャミン様も緊張してるんだ…。
同じだと思うと、アリスの緊張もいくらか和らいだ。背中に腕を回していくと、アリスを抱きしめる腕の力が強まる。
「…ありがとう、アリス」
「…それは私の台詞ですよ、ベンジャミン様」
二人は顔を合わせて微笑み合い、再びキスをした。
それから二年後、国王陛下となったベンジャミンは再びアリスにプロポーズをした。王立学院時代からベンジャミンをそばで支えて来たアリスを知っている王宮の者たちは好意的に見ており、聖女という立場からしても平民出身の男爵令嬢ということからも、身分差の大きいエストランテ王国の平民たちに希望を与える存在として国民の支持を得た。
唯一貴族たちの意見は割れており、特に年頃の娘を持つ父親たちは己の娘を妃にしようとアリスを断固反対したが、聖女の力に助けられたりアリス個人に助けられた貴族もいたことで賛成票が上回り、アリスは無事国王陛下の唯一の妻である王妃となったのだった。
かつては平民だった男爵令嬢と国王とのラブロマンスは平民たちにも広まり、身分を超えた愛に国民は歓喜に湧いたという。
二人の結婚式には旧友である王立学院の生徒だけでなく、バルティーナの魔法学園時代のターナーやパトリツィア、ギルバート、そしてエリシアとデリックも参席した。
また病に伏せていた設定の国王と賊に襲われて亡くなった設定の宰相の魔法が解けることはなく、それから死ぬまで蛙の姿だったという。




