11-3
雄叫びと共にもうすぐそこに兵士たちが迫ってきていた。
息が上がって喉が今にも切れてしまいそうだった。足がもつれて再び転びそうになった、その時だった。
「エリシア!」
誰かが私を呼ぶ声がした。
小柄なその子がエリシアを抱きしめた途端、景色が変わって森の中にいた。
「はあ、はあ、はあ、っ!」
肩で息をするエリシアは、慌てて抱きしめてきたその人から距離を取る。
「エリシア!大丈夫?」
パニックになっていた頭は初めは誰なのか理解できず、一歩二歩と後退りした。背後にどんと何かがぶつかり勢い良く振り向くと、そこには見覚えのある顔ばかりだった。
「…あ……。…アリスさん…」
遅れて気が付いたエリシアは、気が緩んで崩れ落ちそうになる。それをそばにいたギルバートが抱き止めた。
慌てるあまり呼び捨てになっていたアリスは、「良かった…」と目に涙を浮かべてエリシアを抱きしめた。
「こんなにボロボロになってしまい…」
カシアも泣きながらアリスとエリシアを抱きしめる。エリシアは二人の温もりに心底安堵していた。
「怪我は表面の擦り傷だけですか?殴られたりとか…」
エリシアの手首を拘束していた縄を解いたターナーに尋ねられ、エリシアは止まっていた思考を回転させた。
「え、っと…、…頭の後ろを叩かれたくらいで…、後は、大丈夫です」
「心配したんだよ。エリシアちゃんがいなくなって」
「随分探しました。なんせ戦地となっている北部が広範囲だったもので…手遅れにならなくて良かったです」
「…ご心配お掛けしました…」
ギルバートとベンジャミンにそう返しているうち、ようやく縛られていた腕が解放される。痺れでほとんど動かせなかったが頭だけはアリスの肩に預けた。
「それと…ありがとうございます…」
気が抜けたエリシアはそのまま眠り込んでしまい、アリスと共に倒れそうなところをターナーが抱き上げた。
その空が怪しい雲に覆われているとも気付かずに。
その魔力に気が付いたギルバートとターナーは一斉に空を見上げた。二人の視線の先をアリスやベンジャミンたちも見つめる。
「…まさか、これって…」
アリスがそう呟いて、ターナーは頷いた。
「…神の咆哮だ」
ギルバートは生唾を呑んだ。
パラパラと降り出した雨は一気に豪雨に変わる。木陰にいたから大して濡れずに済んでいるものの、強風が吹き荒れ雨が差し込んだ。
ドンッ!と雷が鼠色の雲を駆け巡る。
「これが、神の咆哮…」
転生してから初見のアリスは木の葉の隙間から空をまじまじと見つめた。
「…まずいな、次デリックが神の咆哮を起こしたら…」
「魔塔の後継者の資格を剥奪だったな」
ターナーとギルバートはカーライルに聞いていたその話を思い出す。
「っ止める術はないのですか」
ベンジャミンは僅かに期待を込めて二人を振り返ったが、首を振って返された。
こうなったら誰の声も届かないのは経験済みだ。
とてつもない魔力が空で“怒って”いる。
「…せめて、エリシアちゃんならできなくもないが…」
一度止めたことのあるエリシアなら可能性がある。しかし本人は疲れ切って気を失っていた。
「俺たちにはどうにも…」
「諦めるにはまだ早いぞ」
嗄れた声の主を振り返る。デリックたちの魔力を追って移動魔法をして来ていたカーライルが空を見上げていた。
「校長…」
「アリス・ラトランティス嬢といったかな」
「…はい」
カーライルはその目を真っ直ぐにアリスに向けた。
「君の聖力でデリックの暴走を止めてくれないか」
「…やってみます」
アリスは胸の前で両手を握り合わせ祈りを込める。アリスの周囲だけが別のゆったりとした空気が流れ、優しい銀色の光が包み込んだ。
やがてその祈りが届いたように雨風が止み、雲の隙間からところどころ光が漏れ出る。
「っゔっ…」
「アリス嬢!」
眩暈がしたアリスをベンジャミンが抱き止める。
一度にとてつもない聖力を使った反動…。それほど、神の咆哮の威力は凄まじかった。
「後は儂がやろう」
カーライルはターナーが抱いていたエリシアを抱き上げると、移動魔法でデリックの目の前にやって来た。
正気じゃないデリックの目は怒りと悲しみで血走っていた。
♢♢♢
シモンが展開した防御魔法の中には何体もの魔物の死体が転がっていた。召喚にも魔力が使われ、やがて主人の体力を奪っていく。
「この…クソッタレが」
膝を突いたシモンは顎に滴る汗を手の甲で拭った。
魔物の相手をしながらデリックはシモンにも攻撃を仕掛け、さらには防御魔法の破壊を試みていた。
通常の人間がそんなことをすればものの数分で倒れ込んで動けなくなるのだが、魔力の高いデリックは敵ながら天晴と言わざるを得ないほどピンピンしていた。
「クソッタレはお前だ」
デリックの炎の球をどうにか防御したシモンだったが、迫っていたデリックに頭から蹴り飛ばされた。
倒れ込んだ体はもう、動きそうにない。
その背中にデリックの長い足が乗った。
「二度とこんなことをしようと思わないことだな」
シモンは撫然たる面持ちをしていたが、体力は限界で防御魔法が解けていく。その瞬間、デリックはその場から移動魔法で消え去った。
エリシアに掛けた防御魔法の気配は首都で途絶えた。そこから追跡魔法を掛けて、エリシアの後を追った。
その間にも目障りな国王やエリシアを利用しようとする養父母がいて、デリックは怒りが込み上げた。
エストランテに進軍するノーザランドの兵の大群を前に、エリシアは囮りのように置かれていた。既にギルバートたちに救出されたようでもうそこに姿はなかったが、追跡魔法で見た男たちの気味の悪い顔は忘れられなかった。
血と汗と狂気に塗れた兵士たちは最早判断力が鈍くなっていて、エリシアを前にろくでもないことを考えているのが顔に出ていた。
お前ら如きがエリシアを相手にそんなことを考えること自体が憎い。許せない。
殺してやる。
こいつら全員殺してやる──!
その瞬間、どうにか耐えていた怒りが爆発して何も考えられなくなった。
怒りに身を任せ、感情のままに魔法が動く。殺したい、そんな思いのまま。気が付けば兵士たちに次々と雷が落ちていた。
しかし、まだ怒りは微塵も収まっていないというのに、ふと曇り空から光が漏れてくる。
再び雷を落としてやろうと手を伸ばしたデリックの目の前に、カーライルが現れた。
「感情に任せて暴走するなと言ったはずじゃろう」
その腕にはぐったりしたエリシアが眠っていた。
腕や脚だけでなく顔にまで擦り傷を作り、痛々しいほどに跡が残っていた。
それまで頭を支配していた憎しみがサァーっと引いていく。
代わりに湧き上がるのは、エリシアを失うかもしれない恐怖だった。
「…目を覚ませ。今お前がやることは報復じゃのうて、エリシアを守ることじゃろう」
カーライルから強引にエリシアを抱き上げ直ぐに回復魔法を掛ける。痛々しい表面の傷が治るとエリシアが薄らと瞼を上げた。
「守れなくてまた後悔を繰り返すつもりか」
『……肝心な時にエリシアを守れなかった』
そうだ。
俺はエリシアを守るために、今日まで努力してきた。
「…デリック…?」
「……エリシア…」
目をパチパチとさせたエリシアはまだ目が開ききらない。けれどデリックに抱き上げられていると知り、安堵して頬を緩めた。
「デリック…。良かった……」
デリックの首に腕を回したエリシアはそっと頬を擦り寄せる。デリックも目を閉じてその温かさを感じていた。
うんうんと頷いたカーライルは気を利かせてその場から立ち去る。
デリックはエリシアを抱きしめる腕を一層強めた。その力強い腕と高い体温に、エリシアは心底落ち着いていた。
「…助けられなくてごめん」
罪悪感でいっぱいになったデリックの顔は今にも泣き出しそうで、エリシアはできるかぎり首を振って「そんなことないよ」と否定した。
デリックの魔導士のローブも中に着ている服も焼けた跡や穴が開いた跡があり、只事ではない何かがあったことはエリシアにも伝わっていた。
黄金の瞳が切なげに揺れている。その目が伏せられた隙に、エリシアは高い鼻に自身の鼻を擦り寄せた。
「エリシアを、失うかと思って…怖かった…」
デリックの声はらしくなく震えていた。広い背中をゆっくりとさすると、エリシアの首元に顔を押し付けてしまう。
「すげー怖かった…」
エリシアの首元が濡れていた。こんな時なのに、それが嬉しくて。
乱れた髪を撫でながら、エリシアは緩む頬を抑えきれなかった。
「来てくれてありがとう」
「…ああ…」
まるで天地がひっくり返るのではと思わせるほどの酷い嵐が鎮まっていく。木の葉からぱたりぽたりと雫が垂れてくると、その隙間からようやく淡い日差しが差し込んだ。
雨が降り止んだことで、アリスたちは木陰から出て空を見上げた。
「わあ…!」
カシアが歓声を上げるのも無理もない。
いつの間にか夜が明け、現れた朝日が雲の隙間から漏れる。その一筋が、デリックとエリシアを包み込んだ。
「…まるで天使みたい」
神秘的なその光景にアリスも夢中になって目が離せなかった。
救出成功!




