10-5
煌びやかなプラチナブランドの髪が風に泳ぐ。神々しいその姿を見つめながら、アリスはうっとりと見惚れていた。
「ここがこうなると…ほら、できた」
アリスが分からないと首を捻っていた計算式を見事解いて見せたベンジャミンが、ちらっとアリスを見やる。
「さすがですベンジャミン様…!」
「ありがとう」
褒められたベンジャミンも満更ではない様子で、「他に分からないところはない?」と身を乗り出した。
一層近付く距離にアリスは感激したように両手で口元を覆い隠し、目をハートにさせている。
「…分かりやすいですね、アリス嬢は」
「王太子殿下も…」
アリスたちが机をくっつけ合った向かいで、オフィーリアたちも机を付けて二人をまじまじと見つめる。それでも、互いしか見えていない二人は気付いていなかった。
「どうしたんだあいつら?」
「脳筋ゴリラには一生分からないでしょうね」
「あんだと!」
疎いアルベルトに鼻で笑ったミカエルは「それより課題は終わったのか」と尋ねる。「ゔっ」と言葉に詰まったアルベルトは「お願いします…」と課題を取り出しミカエルに教わるのだった。
その日、王立学院の生徒たちが集まった教室では、個々に机を高めながらの勉強会が開かれていた。
…いいな。
アリス嬢、とても幸せそうだわ…。
カシアは幸せそうな二人の姿から校舎の外に顔を向ける。以前まで放課後は学園祭の準備をしているギルバートを見かける事もあったが、今では見る機会はなくなった。
『あ、あ、の、…どうして…っ』
『…君が泣いてるのが見えたから』
諦めようと思っていた。
けれどあんなことを言われて、諦めきれなくなってしまった。
『…踊りたかったんだろ、フォークダンス』
あの日の思い出は、未だに誰にも言えていない。
温かみのある微笑みも、優しく尽くすような眼差しも、触れると意外とがっしりしているということも、指が細くて綺麗な事も。
私だけが知っておきたかったから。
「カシア嬢?」
「っはい!」
「…随分と気が抜けてましたわよ?」
「テストが近いのに余裕ですわね〜」
「あっ、いえ…」
女子生徒たちに揶揄われカシアは顔を赤くさせる。
全然勉強に集中できないわ…。
「…お花を摘みに行って参ります」
席を立ったカシアは溜息を吐きながらとぼとぼと廊下を歩いた。
もう二週間以上ギルバート先輩をお見掛けしていない。…せめて一目、遠くからでも見られたらな…。
「ったく、調子に乗ってるよな。あいつ。公爵令息で姉があのティンダル先生だからって。紹介もしてくれねえのによ」
…え。姉がティンダル先生って…。
ギルバート先輩のこと…?
「そういえば知ってるか?あいつって昔誘拐されたことがあるらしいんだが、身代金を渡さないと当日に殺すと言われていたところを三日も生き永らえたらしい」
誘拐…?
廊下の角に隠れたまま、カシアはその場から動けなかった。
「リークした新聞社が潰された件なら知ってるぜ」
「違えよ。何で三日も生きていられたか、その理由だ。あの綺麗な顔で誘拐犯の男どもを誘惑したらしい」
カシアは目を見開いた。
「うっわ、気持ち悪っ。ギルバートの奴そんなことしてたのかよ」
「よくいるだろ、綺麗な少年が好きなジジイとかよ。
そういう感覚なんだろ」
「だからって男とできるかよ。しかも初めてが野郎なんて…俺なら恥ずかしくて死んじまうな」
到底受け入れ難い話だった。
けれどその真偽よりも、何度も自分を救ってくれたギルバートを侮蔑する発言に真っ先に怒りが湧き起こった。
「だよな。まあ、そんなことがあれば開き直ってあんな堂々と女を誘惑するのも合点がいくよな」
「何でそんな面白い話題もっと早く教えてくれねえんだよ〜」
ケラケラと笑う男子生徒たちに、カシアは拳を握り締め前に飛び出ていた。
「ギルバート先輩を悪く言わないでください!」
飛び出したは良いものの、カシアは誤って熊の前に出てしまったウサギのようにびくびくと怯えていた。
魔力のないカシアに恐怖を感じるはずもなく、男子生徒らは良い獲物を見つけたと言わんばかりににやりと笑った。
「何だよ、君もギルバート好きなの?」
「そういうの飽き飽きなんだよなあ」
その目が舐め回すような目つきでカシアの容姿を上から下まで見つめた。やがて「ふーん…」と品定めするように二人はカシアを取り囲む。
「でもよく見ると…君、随分可愛いじゃん」
顎を掴まれたカシアから血の気が引いていく。
「っや、やめてください…!」
「なあ、ギルバートと、もうそういうことしたのか?」
その目が気味の悪いものだと理解した瞬間、カシアは足が竦んでその場に崩れ落ちる。
「じゃあ俺たちが同じことしても良いよな?」
「良いわけないだろ」
その時、迫っていた男の髪が燃え上がる。「あちちちっ!」と慌てた男子生徒は「水!」と水道の方へ走り去り、一人残された男子生徒も恐怖を感じてその場を逃げ去った。
一瞬の出来事にカシアは目をぱちぱちと瞬かせる。
「このクズ共め…」
「………ギルバート先輩…」
まさか、また会えるなんて…。
目を輝かせたカシアにギルバートの手が差し出される。
「立てるか?」
「は、はい…」
今日も紳士的だわ…。
その手をそっと取り、体重を掛けないように気を付けながら立ち上がる。
「あ、あの、助けていただき…ありがとうございます…」
いつも、ギルバート先輩は私を助けてくださる。
それが嬉しいようで、自分が少し情けなくもあった。
「いちいち否定しなくていいから、ああいうの」
「え?」
「誘拐されたのは事実だし」
「……」
淡々と述べたギルバートは気にしていないようだったが、カシアは未だに胸の奥にモヤモヤが渦巻いていた。
「でも、…憶測であんな風にギルバート先輩のことを言われるのは、…嫌です」
「でもそれで君は危険な目に遭っただろ」
ギルバートの瞳が咎めるようにカシアに向けられる。
それなのに、カシアの胸がどきりと跳ねた。
「…私のこと、心配してくださっているのですか…?」
そんなはずない。
私でなくとも心配したはず。
そう分かっているのに、あのフォークダンスのひと時を思い出しては期待してしまう自分がいた。
何かを言いたげだったギルバートは、一度瞼を下ろすともうカシアと目を合わせることはなかった。
「…とにかく、また一人でこんな無茶しないように」
立ち去るギルバートの後ろ姿を見送りながら、カシアは再び悩ましげに溜息を吐いたのだった。
♢♢♢
「あれ、ターナーどこに行くんだよ」
ターナーが共同部屋に置かれていた私物をまとめていることを不思議に思ったギルバートは、重い蔵書を閉ざす。エリシアも読んでいた本から顔を上げた。
「しばらく首都の邸宅に帰ることになった」
いつもは何を言っても反応が薄いデリックも、その言葉には反応を示した。目隠しをしていた魔導書を退けてエリシアの膝から体を起こす。
「何かあったのか」
「お祖父様の具合が良くないんだ。しばらくはそばにいようと思ってな」
「そうだったんですね…」
「そうか…」
しんみりした空気になると「またそのうち戻ってくるから」とターナーが気を遣った。
「エリシア先生、デリックの事よろしくお願いしますね」
「…はい」
やがて荷物をまとめたターナーが移動魔法でいなくなると途端に部屋が暗くなったようだった。
「…以前お会いした時はお元気そうに見えたんですけどね…」
「サンフォード伯爵は随分ご高齢だからな」
医療の発達していないこの世界は短命だ。
命あるものはいずれ終わりが来ると分かっていても、両親を失った時の悲しみを思い出してはエリシアも胸が苦しくなった。
やがて日が暮れ始めギルバートが自室に戻ろうと蔵書や参考書を片付け始めたことで、エリシアも帰ろうと腰を上げた。
「もう少し一緒にいたい」
しかしお腹にデリックの腕が回り、エリシアは有無を言えなくなった。
「…でも、もう暗いし…」
「昨日は遅くまで外で飲んでたのに?」
エリシアの顔に、バレてる…!?という文字が書いてあるのが見えた気がして、ギルバートはぷはっと吹き出していた。
「…それは、ほら、私はもう成人だから…」
「自分で自分の身守れないのにか?」
言い返せないエリシアを、デリックは更に固く抱きしめる。見つめ合う二人の何かが始まりそうな雰囲気を感じて、ギルバートは先に自室に戻った。
♢♢♢
正直、彼女の好意には気が付いていた。分かりやすく頬を染めて、目が潤み、言葉を選ぶように逡巡する。
けれどそれは単純なものではなくて、彼女の場合は切実だった。
「カシア嬢!こちらですわ!」
一人で歩いていると魔法学園の生徒たちの不躾な視線を向けられるからか、王立学院の女子生徒たちを見つけると安堵したように表情を緩め早足になる。
「今日のランチは何かしら」
「…カシア嬢、どうかしました?いつもならランチの時とても楽しみにしていたではありませんか」
「…少し、食欲がなくて…」
「まあ、カシア嬢が?珍しいですわね」
食事や物の好き嫌いはハッキリしていて、女性に関しては来るもの拒まず去るもの追わずだった俺が、何故彼女を目で追ってしまうのか。
その理由には何となく気がついていた。
あの日。
毎年のように誘われるフォークダンスを交代する女子生徒たちと踊っていた時だった。
「っふ…っ…」
校舎の方から嗚咽を堪えた泣き声が聞こえた。
そういえば、フォークダンスを断った時も泣きそうになってたな…。
他の女子たちは「えー、私より大事な先約があるのー?」「私も踊りたかったです」「残念。来年こそは踊ってよね」とがっかりしながらも早々に諦めていた。
そもそも、俺は誰のものにもならないと分かっている女子たちは本気にならず、俺もまた深入りされない今の関係を楽に思っていた。
「ゔっ…、っ…」
それなのに、彼女だけは違った。
酷くショックを受けて、今にも泣き出しそうだった。
悪気があったわけじゃなくとも、罪悪感が湧いた。いつかずっと見ていた泣き暮れる姉の背中を思い出した。
女子たちが次は自分だと言い張っている間に、ギルバートはカシアの近くまで魔法で移動した。薄暗い校舎の中からはキャンプファイヤーの炎が眩しく見えた。
「っ……、うっ……」
こんなところで一人で泣いているなんてな…。
「何で泣いてるの」
パッと振り返ったカシアは目を瞬かせた。
「っえ、ぎ、ギルバート先輩…!」
魔法で聴覚を研ぎ澄ませると、心臓が爆音で鳴っていた。
残っていた一筋の涙が流れ、咄嗟に人差し指の甲で拭う。試しにその涙をぺろりと舐めると、心臓は更に鼓動を速めた。
「っ…!」
「しょっぱいな」
目を白黒させたカシアは赤面し、唇を震わせる。
皆ギルバートに触れることに緊張も遠慮もせず、当然のように触れてくるのに、カシアだけは違った。
「あ、あ、の、…どうして…っ」
「…カシア嬢が泣いてるのが見えたから」
ギルバートが小さな手を取ると、カシアの腰が引ける。カシアを抱きしめるように腕を回し、そのままゆっくりとステップを取った。
ダンスだと気付いたカシアもステップを踏み、ギルバートの肩に片手を預ける。
何か期待を込めたようなキラキラした瞳がギルバートを見上げ、視線が交わるとすぐに伏せられた。溢れんばかりの思いが伝わり、ギルバートは心が疼くのを感じていた。
それと同時に、初めて向けられる少女のような純粋な好意が、妙にくすぐったかった。
「…その、他の、方たちは…っ…」
「あー、急に抜けてきたから驚いてるかも」
先ほどまでギルバートのいた場所で、女子生徒たちが「ギルバートくーん!」「どこー?」と探し回っているのが見えた。
握ったカシアの手は未だに震えていて、心臓も爆発するんじゃないかと思うほど激しく高鳴っている。
「…踊りたかったんだろ、フォークダンス」
きっと、姉貴も同じなんだろう。
言い伝えという形のないものに執着し、毎年学園祭にあの男が来る度にフォークダンスに誘っているのは。
カシアのその熱烈な視線は不意に止み、くしゃっと目が細まったと思うと立ち止まってしまう。
「っふっ…ふぇっ…」
「まだ泣くのか」
俺を見る度に泣いてないか…?
「ご、ごめ、っなさい…」
何か誤解したように肩を震わせたカシアは、手の甲で乱暴に涙を拭う。姉貴もよく目の周りを真っ赤にさせていたな…。
そんなことを思いながら代わりに指先で涙を拭うと、カシアは吃驚していた。
「跡になるぞ」
「っ…!ゔっ…」
そして何故か、一度は泣き止んだのにまた大泣きしたのだった。
フォークダンスを断っても踊っても泣いてばかりの子。その姿が姉貴と重なり、その日は、その日だけは、笑ってほしかった。
だが後になって後悔した。
あれは、彼女に変な期待を持たせただけなのではないか?と。
これではやっていることは姉のあの憎き思い人と変わらない。
それからは、あえて彼女の視界に入らないよう、避けるようになっていた。
しかし避けようと意識すればするほど、彼女が視界に入って頭から離れなかった。
「そういえば知ってるか?あいつって昔誘拐されたことがあるらしいんだが、身代金を渡さないと当日に殺すと言われていたところを三日も生き永らえたらしい」
静かな廊下を歩いているとき、たまたまその声が聞こえた。姉のパトリツィアの紹介を強請り、拒んだ時に文句を垂れていた二人だった。
「何で三日も生きていられたか、その理由だ。あの綺麗な顔で誘拐犯の男どもを誘惑したらしい」
「うっわ、気持ち悪っ。ギルバートの奴そんなことしてたのかよ」
「よくいるだろ、綺麗な少年が好きなジジイとかよ。
そういう感覚なんだろ」
「だからって男とできるかよ。しかも初めてが野郎なんて…俺なら恥ずかしくて死んじまうな」
誤解を受けることも、妬みや中傷を浴びることも、名のある家柄の息子としてはよくある話だった。
落ち込むなんてことはなかった。
姉貴と知り合いたくて俺に近付いてくる連中はわんさかいる。奴らもそういう連中だったというだけだ。
「だよな。まあ、そんなことがあれば開き直ってあんな堂々と女を誘惑するのも合点がいくよな」
「何でそんな面白い話題もっと早く教えてくれねえんだよ〜」
「ギルバート先輩を悪く言わないでください!」
ケラケラと笑う男子生徒たちの前に、可憐な声をした女性が飛び出した。
この声…。ギルバートはその姿を覗き見る。
カシア嬢…!!
今にも崩れ落ちそうなほど怯えた様子のカシアに、男たちの鼻息が荒くなるのが分かった。
「でもよく見ると…君、随分可愛いじゃん」
「っや、やめてください…!」
会うつもりはなかったのに。
常に彼女を避けていたのに。
「なあ、ギルバートと、もうそういうことしたのか?」
「じゃあ俺たちが同じことしても良いよな?」
その言葉を耳にした瞬間、一人の生徒の髪を炎で燃やしていた。
「良いわけないだろ」
残された男子生徒も恐怖を感じてその場を逃げ去ると、カシアは可愛らしく目をぱちぱちと瞬かせた。
こんな怯えた彼女に手を出そうとするなんて…。
「このクズ共め…」
「………ギルバート先輩…」
その目がギルバートを見るなり恋する乙女のそれになる。
そのことに、ギルバートは自分でも知らず知らずのうちに嬉しく思っていた。
「いちいち否定しなくていいから、ああいうの」
「え?」
「誘拐されたのは事実だし」
あの程度のもの、気にする暇もない。
「でも、…憶測であんな風にギルバート先輩のことを言われるのは、…嫌です」
そんな風に言ってくれるのか。ギルバートはカシアの人情味溢れる優しさにそう思いながら、胸が熱くなるのを感じた。
だが…。
「でもそれで君は危険な目に遭っただろ」
ギルバートは咎めるようにカシアを見つめた。
いつでも守ってやれるわけじゃない。避けようとしていたのだから尚更だ。
「…私のこと、心配してくださっているのですか…?」
心配せずにはいられない。
そう心の中で思ってから、すぐに姉貴と重ねているだけだ…と自分の思いを否定した。
「とにかく、また一人でこんな無茶しないように」
ダメだ。彼女といると調子が狂う…。
自分の心が分からなくなったギルバートは、早々にその場を立ち去った。
ギルバートぉ…。否定しないでくれ…。




