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1-5






 物心付く前から、俺は森に一人ぼっちだった。


 記憶にある中で一番古い記憶は、近くの村での出来事だった。

 当時三歳だったデリックは寂しさのあまり、人肌を求めて森の外れにある村まで降りた。


「君、だあれ?この村の子じゃないでしょ?」


 そこで出会ったのは、大人の腰ほどの背丈のまだ幼い少女だった。


「おい、やめとけよ。見たことねえ子どもだぞ」

「どこから来たんだ?」


 一緒にボール遊びをしていた少年二人も集まって来て、デリックを取り囲む。


「随分痩せっぽちだな。どっかから逃げて来たのか?」

「…おい、喋れるか?」

「……にい、」


 言葉も教わっていないデリックは言葉にならない声を上げる。


「…喋れないのかよ」

「おい、もう行こうぜ」

「この子を見捨てるの!?」

「その格好じゃ、飢饉か疫病で村が滅んで逃げて来たんだろ。こいつも何か病気を持ってるかもしれねえじゃん」

「だからって見捨てたら可哀想でしょ!」



 少女はデリックに微笑み掛ける。それが嬉しくて、目を瞬かせたデリックはやがて顔を綻ばせた。

 そしてデリックがその喜びのまま、屈んでいた少女に抱きついた──その時だった。


 バンッ!と激しい音と共に、少女が弾け飛んだ。

 そう、まるで内側から破裂したように、その少女はその場で木っ端微塵になった。



「っ……!!!?」


 二人の少年は絶句した。心臓が嫌な音を立てている。

 何が起こったのか、この目で見ていたはずなのに頭が追いつかなかった。



「………ねえね?」


 デリックは無垢な顔で血肉となった“少女”を地面から拾い上げる。小さな手からは収まりきらない少女の亡骸がボタボタッと地面にこぼれ落ちたその瞬間、少年たちは弾かれたように走り出した。


「はっ、はっ、はっ!」

「はっ、あ、父さん!!!」



 すぐ近くで畑を耕していた少年の父親が顔を上げる。少年が事情を説明しても初めは半信半疑だった父親も、少年たちの剣幕と服に浴びた返り血を見てようやく事態の重みを理解した。

 そして事情を聞いた他の村人たちと共に少年がその場に戻ると、そこにはまだデリックの姿があった。



 すっかり座り込んで「ねえね…」と呟きながら、時折嗚咽を溢し泣いている。

 そのデリックが抱きしめるのは、少女かどうかも分からない血肉の残骸だった。しかし血肉に紛れて衣類の切れ端がところどころに残っている。


「まだ子どもじゃないか…」

「…おい、あの服って…」

「今日、メリーが着てた服……!」


 メリーの父親は顔を真っ青にさせた。

 血肉に塗れたデリックのことを、誰も人の子だとは思わなかった。


「っほんとにこんな化け物がいるの…!?」

「ま、魔物だ…。魔物に違いない!」

「で、出ていけ!」


 一人の青年が石を投げる。石はデリックの頭に当たり、たらりと血が流れた。

 振り返ったデリックに一瞬村人たちは怯んだが、それでも力を振り絞って石を拾い投げた。



「出ていけ!この化け物!」

「二度と村に近寄るな!」

「子どもの見た目をしても無駄だぞ!」

「人の皮を被った魔物が!」


 まだ幼かったデリックは何故自分がこんなにも敵意を向けられるのか、想像もできなかった。デリックはぶつけられる石の痛みに顔を歪めながら立ち上がると、短い足を懸命に動かしてその場から逃げ去った。

 一度だけ振り返るとすぐさま怒号が飛んできて、びくりと震えたデリックは再び前を向いて走った。



 それからは恐怖との戦いだった。

 デリックに石を投げた村の人たちの鬼のような形相を思い出しては、再び彼らが来るんじゃないかという恐怖。しかしそれは別の形で現実となった。


「死ね!」


 突きつけられた剣が届く前に、男は炎に包まれ、逃げるように走り去ると崖の下に落下した。


 何が起こったのか理解できなかった。

 ただ毎日のようにやってくる人間に何度も殺されそうになり、その度に恐怖で眠れなかった。



 幼かったデリックはただ身の危険を感じ、誰かに助け守って欲しかっただけだった。けれど誰かが来るまでもなく、その危機を自分で簡単に排除できることを知った。

 暗殺者が立て続けにやって来ると、暗くなっても明るくても寝付けなくなり、毎日のように眠れない日々が続いた。


 夢の中で自分を殺しにくる人間たちの憎悪に満ちた顔や、怒り声が頭にこだました。




 そうして年を重ねたデリックは、やがて人の助けを求めなくなっていた。

 それは人の助けがなくとも生きられたからじゃない。他者は皆、デリックをどう排除しようかと模索する敵だったからだった。



 自分以外の人間は皆んな自分を殺しにくる。

 デリックはやがて人間が大嫌いになった。


 人の気配で目が覚めるのは日常茶飯事。時折生死を確認しにやってくる王家の駒たちは、会ったこともないデリックの罵言に忙しなかった。けれどひとたびデリックの姿を見ると、まるで魔物にでも遭遇したように恐れをなして逃げ帰っていった。


 魔力が強いというだけでデリックを恐れ、怯え、排斥しようとする。何百人もの暗殺者を送ってくる見知らぬ父親に、デリックは憎悪の念を抱かずにはいられなかった。



 父親だけじゃない。


 俺をこんな森に追いやった奴らが、全員、憎い。



 だから当然エリシアも例外ではなかった。


 自分と同じ年頃の子供と話したのはエリシアが初めてだったが、こんな魔物の棲まう森に足を踏み入れる者などいないと言っていた騎士たちの言葉をデリックは鮮明に覚えていた。



 蜂蜜を混ぜたように黄色く目立つハニーブロンドの髪。王国の奴らに多い碧眼。

 殺人などとは程遠い華奢な肢体は筋肉が一切ないのではというほどしなやかで、傷ひとつない真っ白な肌は汚れを知らないように見えた。


 子どものくせに所作の節々に品があり、デリックに何をされても言い返すことなく慎ましい。


 それが第一印象だった。



 また父親に送り込まれた暗殺者か。

 その程度にしか思っていなかった。


 見方が変わったのは、エリシアが森に来てから一ヶ月経った頃だった。いつまで経っても殺気を見せないエリシアは、何故かデリックの周りをちょこまかと鬱陶しく着いてきた。

 きっと俺を殺す機会を窺ってるに違いない。



 そう思っていたのに。



 エリシアは持ってきた食事を口にして、顔を青くして倒れ込んだ。

 今までも置かれていたパンや果物には手をつけたことはなかった。俺を殺そうとする奴らが俺を生かすような真似をするはずがないと思っていたから。


 それなのに、エリシアはそれを知らなかったと言うのか。



「…死んだのか?」


 魔法で耳を澄ませると鼓動が弱まっていた。呼吸もしておらず、ピクリとも動かなくなる。


 俺を見る人間の目は決まって蔑みか嫌悪か恐怖を抱いていた。俺もそれに慣れきっていたから、今更どうこう思うこともなかった。


 だがエリシアはそのどれでもなかった。

 怒りを抱くことはあっても、純粋で清らかで。


 疑いは拭えなかった。けれどその目が二度と俺を見なくなると思うと、いつの間にか回復魔法で解毒をしていた。

 魔力もなく森の山道にへとへとになってしまうような弱い奴だから、仮に俺を殺そうとしてきても簡単にやり返せる。


 そう自分に言い訳をして、エリシアを助けた。



 しかし弱いのは事実だ。

 魔力の高い俺を狙う魔物はほとんどいないが、魔力を持たないエリシアを虎視眈々と狙う魔物はいつもすぐそばまで迫っていた。追い払いまではせずとも牽制していたが、腹の減った魔物は時に、理性を失うほど凶暴になった。



「っ…殿下!」

 

 魔力のないエリシアが、守るようにデリックを抱きしめて勢いのまま地面に倒れ込む。


「っいった…」



 擦りむいた肘も気にせず、エリシアは果敢にもデリックを背側に守った。


「殿下!逃げてください!!」


 自分は膝がガクガクと震えて立ち上がれもしないのに、エリシアはデリックの背中を押した。



「殿下!!」


 催促するように怒鳴ったエリシアを、俄には信じ難かった。



「ギャアオオオオ!!!」


 その咆哮にエリシアはビクリと肩を震わせ目をギュッと閉じて耐えていた。


 それほど怖いのなら、何故俺を助けようとしたのか。

 魔力もないし、腕力もない。何の力もないのに、俺を助ける理由は何だ?



 魔物が手を振り上げたところを、デリックは射抜くように睨みつける。デリックの殺気を感じ取った魔物は大人しくその手を下ろし、移動魔法でりんごの木の下に送ると素直にそれを食べていた。



「……お前、何で俺を助けた」


 ようやく開かれたエリシアの瞳は潤み、離れたところに座る魔物を目にすると当惑していた。



「…え……あれ………」


 しかし襲ってこないと分かると、安堵したように座り込んでしまった。


「おい、聞いてんのか」 

「ああ、すみません殿下。

てっきり…殺されるのかと思って」

「…お前、俺があんな奴に殺されると思ったのか?」



 俺を魔物だと畏れる者も、矢を向ける者もいた。


 それなのに俺が殺されると思って、守っただと…?



「………」


 呆れてものも言えない。


 俺以下のあんな魔物に、俺がやられるはずがないのに。


 そんなことも知らないのか。



「…ほら」


 いつまでも座り込んだままのエリシアに、手を差し伸べる。



「…え…」

「…早くしろ」


 怪訝そうなエリシアだったが、急かすとあっさりと手を握ってきた。


 小さくて、柔らかい手。



 引っ張ると予想以上に軽くて、エリシアはふらついてデリックにぶつかった。



 ふわりと甘い香りが漂った。

 白い首筋は傷一つなく、とても細くて、女性らしかった。


 俺は、身体中の血がぶわっと沸き立つのが分かった。



「っ…ごめんなさい…」


 エリシアはさっと離れると、顔の赤らんだデリックを見つめて首を傾げた。


 名前も知らない感情が湧き、くすぐったくて堪らない。


「あの、王子───」


 エリシアの言葉を最後まで聞くことなく、デリックは感情のままにドンッと突き飛ばしていた。


 

「…っ……くそっ…」


 入り乱れるこの感情が何なのか、分からないデリックは吐き捨てるようにそう言って逃げるように走り去った。




 翌日もエリシアはデリックの元を訪れ、その日は手製のサンドイッチを持ち寄った。

 食事は口にできるものならなんでも構わないと思っていたが、エリシアが作った料理には、興味が湧いた。


「殿下は私より細いですよ。今が成長期なんですから、たくさん食べないと」


 はるかに背の高いエリシアに言われると、背が低いと言われているようで、デリックはムキになって食べないと意地を張っていた。


 しかし匂いにつられて一口食べると、その美味しさに我慢が利かなかった。森の甘いリンゴも劣るほどの、優しく温かな味だった。


「…美味しいですか?」


 優しげに目を眇めるエリシアに涙が出てしまいそうなのを、たらふく食べることで堪えた。



 それから、エリシアが毎日サンドイッチを用意し、二人で昼食を取るのが日課になった。


 腹が膨れると毎回眠気が襲ってきた。

 それでも眠りにつく事はなかったのだが、その日だけは違った。

 デリックはハッと目が覚めた。飛び上がるように起きると、既に夕陽が顔を出し、風が冷たくなっていた。

 こんなに熟睡したのは初めての事だった。


 いつも風が拭いたり木の葉の音がするだけで目が覚めてしまうのに、その日は全く気が付かなかった。



 それに最近は気分が良く、何かに無性に腹が立つことも少なくなった。

 隣からいびきが聞こえて振り返ると、エリシアが口を開けて爆睡していた。



 そう、エリシアが来てからだ。


 いつもどこか不安で、誤魔化すように怒りに満ちていたはずなのに、エリシアが来てから心が穏やかになった。

 まるで嵐がさあっと引いていったように。


「っくしゅん…」



 このままでは寒くて風邪を引くかもしれない。暗くなっては親も心配するのだろう。

 俺のような捨てられた者に会いに来ているのであれば、尚更。


「…………エリシア…」



 初めてその名を口にした途端、恥ずかしさで顔が熱くなるのが分かった。


 ただ、名前を呼んだだけなのに。



 鼓動が激しく高鳴り、手が震えた。


「……エリシア……」



 それと同時に、歓喜で打ち震える自分がいた。

 その名を呼ぶだけで、温かな感情が湧き上がる。


「……ん…」


 そうこうしていると、エリシアはぱちぱちと瞬きをする。


「え、もう夕方!?帰らなきゃ…。

殿下、今日はもう───」


 そう言ったエリシアの手を、咄嗟に握りしめていた。


 離れたくない。

 夜も朝も、そばにいたい。


 目を開いて真っ先に映るのは、エリシアであってほしい。



「…殿下?」


 エリシアは戸惑ったようにデリックと空を交互に見やる。


 …俺は、何を考えているのか……。


 さっと手を離すと、エリシアはどこか安堵したような表情だった。

 …気に食わない…。


「…明日はもっと早く来い」

「えっ、……どうしてですか?」

「いいから」


 立ち上がって道を先に行くと、エリシアは「待ってください!」と走って追いかけてきた。


「わっ」


 小石に躓いたエリシアはデリックに飛びかかるように落ちる。

 どうにか腕で支えたデリックはエリシアを起こした。


「あ、ありがとうございます殿下」


 しかしあまりのエリシアの顔の近さに突き飛ばしてしまったことは言うまでもない。




♢♢♢




「おはよう」

「おはようございます、殿下」


 挨拶をすると、挨拶が返ってくる。


 エリシアが小さな笑顔を見せる。



 そんなことが、いつの間にか日課となり、そんな日々に幸せを感じるようになっていた。


 そんなある日。

「どうしたら良いんだろ…」

「何がだ」

「あ、い、いえ、何でもありません。

りんごでも取ってきますね」

「………」


 逃げるように立ち去るエリシアは、どこか元気がない様子だった。心配で追い掛けると森の深くまで入り込み、魔物に囲まれているのに気付いていない。

 

「…あれ、ここ…どこだっけ……」


 そしてあろうことか座り込み、魔物の催眠ガスが放たれると眠りについてしまった。



 貝殻のように開閉する口には鋭い牙が上下に生え、人や動物を細かく砕いてから捕食する食人植物の魔物。


「それ以上近付くな」


 デリックが現れると、魔物たちはサッと引いていく。

 しかしその中でも、まだ分別のつかない幼い子どもの魔物はするすると根を伸ばし、デリックの頭上から襲い掛かった。


「炎魔法」



 デリックの魔法により根っこから炎が上がると、魔物は奇声を発しながら地面に倒れ込む。

 砂埃が立ち昇り、デリックはエリシアを抱き抱えシールドを張った。


「移動魔法」


 瞬時に元の草原に戻ってくると、うなされたように眉根を寄せたエリシアをそっと寝かせた。

 ハニーブロンドの髪が波紋状に広がる。


「……エリシア……」


 どうしたら良いのか分からず困っていると、すぐにエリシアは目を覚ました。



「眠る直前、魔物のような何かを見た気がしたのですが、夢だったようですね」


 見ていて眠ったのなら、相当なマヌケだな…。



「……私の両親は、魔物に殺されたんです。

両親に守られて、こうして私は生きていますが…」


 殺された…?


 じゃあ、いつもどこに帰っているんだ?

 帰る家がないのなら、ここにいればいいじゃないか。


「…じゃあ、家がないのか?」

「親戚に引き取っていただいて、今はそちらに」

「ああ…」


 そんなわけがないか。


 手入れの行き届いた艶のある髪。

 傷ひとつない白く透明感のある肌。

 いつも異なる綺麗なドレス。


 エリシアがこんな森で暮らせるはずがない。



「…だから魔物がすごく怖くて。今でも夢に見るんです」


 そう思っていると、エリシアは思い出したように両腕を抱えていた。


 さっきうなされていたのはそのせいか。

 エリシアをこんな顔にはさせたくないのに…。


 ああ、そうだ。


「………消してやろうか?」

「え?」


 彼女の不安は全部排除すればいい。



「魔物。全部殺してやろうか?」


 喜んでくれると思ったのに、予想に反してエリシアは顔を青ざめていた。

 

 

「…嘘、ですよね?」

「いや」

「………」


 エリシアは何を怖がっているのか。


「……大丈夫か?」

「っ!?」


 デリックがエリシアの肩を叩くと、ビクッ!と大袈裟なほど跳ねる。


「大丈夫です…」


 エリシアは目も合わさず、デリックの手をそっと払った。


 それが拒絶であると、デリックにはすぐに分かった。


 驚きと同時に、心臓を抉られたような痛みを感じた。


「……今日はもう帰ります」 


 引き留めたかった。


 けれど引き留めればまた、あんな風に拒絶されてしまうかもしれない。


 


 それだけは嫌だ。




 エリシアに嫌われるのが、──怖い。


 


デリックは本来とても優しい子でした。

ですが誰からも歓迎されず、人嫌いになります。

エリシアと出会い、少しずつ変わってはいますが…。

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生まれた時から罪のない人を殺しまくる... こんなん当人の意思がとうとか悪意の有無とか関係ないじゃんね。 絶対さっさと殺しておくべきでしょ。
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