表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/76

1-4






 その夜は、エリシアが帰宅した時から使用人たちが忙しなく走り回っていた。


 お客さまでも来てるのかな。…私には関係ないけど…。

 今日はもう疲れたから早く寝たい…。


 そう思い、階段を登っていたところだった。



「調子はいかがですか」


 エリシアは声の主を振り返る。



「トルストイ公爵閣下…」

「どこか元気がないようですね。

……上手くいっていないのですか?」


 宰相ロマンの言葉に棘を感じ、エリシアの背筋が伸びる。



「いえ。つい先程帰宅しましたので、少々疲れが出てしまったようです」

「こんな時間まで遊ぶほど親交が深まったのですね。それは何よりです」


 相手も私も、所詮は見かけばかりの笑顔。



 こういう人の相手をするだけで、体力を吸い取られるよう。

 早くベッドにダイブしたい…。


「では、私はこれで失礼致します」

「エリシア令嬢」


 挨拶をして別れようとすると、再び呼び止められる。



「国王陛下は事態を深く憂いております。こうしている間にも、あの怪物が襲ってこないとは限りませんから」

「………」

「新たな勅令です。今日から一週間以内に、あの怪物を処理してください」


 ロマンは周囲にも聞こえぬよう、エリシアに耳打ちをした。



「っそんなこと、急に言われましても…!」

「一ヶ月掛かっても処理しきれなかったところを王は寛大にもさらに一ヶ月、猶予をくださっていたのですよ」

 猶予なんて聞いていない。


「でも、そんないきなり…」



 眉を寄せたロマンが声を低くさせる。


「まずは陛下の寛大な慈悲に、感謝すべきでしょう」


 その威圧感に押されて、エリシアは震えながら「ありがとうございます…」と答えた。



「陛下の慈悲に応えるためにも、頑張ってくださいね」


 何をしに来たのかと思いきや、釘を刺しにきたのか。



 私が、早く殺さないから。




「どうぞ、お土産です」


 渡された包みをぼんやりと受け取って、どうやって部屋に戻ったのかもよく覚えていない。

 その夜は目が冴えて眠ることができず、包みは朝になって開けた。


 それは毒が塗り込まれ色変わりした短剣だった。



「…どうしたんだ、その顔」


 エリシアを迎えに来たデリックは、エリシアの目元にできたクマに眉を顰めた。



「ええと…、ちょっと、眠れなくて…」


 対してデリックは、ここ数週間で顔色がみるみる良くなった。

 毎日昼寝をしているせいか目元のクマも薄くなり、心に余裕ができて迎えに来てくれるほど優しくなった。

 顔色が良くなると尚更その眉目秀麗さが際立ち、二大攻略対象者として推されていた美貌の片鱗が見えていた。



「………そうか」


 昨日の今日だからか、デリックも深くは聞いてこなかった。


 それから、サンドイッチを食べて、お昼寝をして、おやつにりんごを食べて、たわいもない話をした。

 そのうち、期日である最終日が来てしまった。




「与えられた王命なんだから、しっかりね」

「お前ならやり遂げられる」


 ヘンドリー夫妻が私の何を知っているのか。


 両肩を掴まれ、エリシアはそんなことを思っていた。きっと成功した時は報酬が倍になるとでも言われたのだろう。

 その日は初めてエリシアのお見送りにやって来た。


 私は、こんな人たちに認めてもらいたくてあんなに必死になってたんだ。


「…はい。行ってまいります」


 …馬鹿みたい。

 エリシアは笑顔の仮面を被り、ヘンドリー邸を後にした。



 それが、エリシアがヘンドリー邸を訪れた最後の日だった。





♢♢♢




 サンドイッチを食べ、おやつのリンゴを食べ、昼寝をして目覚めると、デリックの姿がなかった。


 起きあがろうとすると固い何かがお尻に当たる。

 それは、隠していたはずの短剣だった。



 まだ蒸し暑い時期だというのに途端に悪寒が走った。

 まさか…見られた?


「…王子殿下?」



 日が傾き始めているのに近くに姿はなく、デリックがいそうな場所を探したが、結局どこにも見つけられなかった。

 今日が最後だから、せめて、一目見ておきたかったのに…。


「……殿下…」



 デリックのことを殺すなんて、やっぱり私にはできない。

 けれどこれは王命でありヘンドリー子爵夫妻も共犯であるから、帰る家もない。


 だから帰りの馬車が森を抜けたどこかで、言い訳をして下ろしてもらおう。子どもでも小さな町にでも逃げれば働き口があるはず。



「仕方ない…、帰るか」



 一歩踏み出した途端、足場が悪かったようで体が傾き始める。


 斜面をゴロゴロと転がり、全身を打ち付けたエリシアのドレスは破け、小枝が頬を引っ掻いた。

 勢いが止まらず低い崖からドンッと落ち、ようやく目を開けることができた。



 とはいっても、身体中を打ち付け節々が痛い。

 息をすることが精一杯で、胸が苦しい。

 

「ガルルルル…」

「っ…!?」


 唸り声の聞こえる方に目線を向けると、ライオンのように(たてがみ)を靡かせた魔物が赤い目を光らせてこちらを窺っていた。


 嘘………っ。

 逃げなきゃ…!


「いっ…!!」


 動こうとすると、全身に感じたことのないほど激しい痛みが走る。


 一歩、また一歩と魔物は距離を詰める。その度にエリシアの心臓は飛び出そうなほど跳ねた。

 魔物が飛び上がったその瞬間、エリシアはギュッと目を瞑った。



「っエリシア!」


 初めて、その名を呼ばれた。


 エリシアの前にデリックが現れると、魔物は炎に包まれ、咆哮を上げながら倒れ落ちる。

 

 初めて見る魔法に、エリシアは目を見張った。



「エリシア!大丈夫か!」

「殿下…」


 どうやら口の中も切ったらしい。話すだけで血の味がした。



「回復魔法!」


 視界が眩くなるとエリシアの痛みもどんどん引いていった。

 苦しかった胸も楽になり、息ができるようになると、体を起こすこともできた。



「あ…すごい…」

「エリシア、まだ痛いところはないか?」


 それまで見えなかったデリックの顔がはっきり見える。



 目に涙を浮かべて、今にも泣き出しそうな顔をしている。

 エリシアの肩を掴む手は震えていて、焦った声は早口になっていた。



「大丈夫です…。助けてくださって、ありがとうございます」


 不思議な感覚だった。

 身体中の痛みという痛みが、すうっと引いていくような。


「そうか……」


 どこかほっとしたように安堵したデリックは、エリシアの腕を掴む。


「移動魔法」


 その瞬間にエリシアの視界は全く変わり、大きな湖の前にいた。



「わあ……!!」


 夕日が湖に反射して月面のようにキラキラと輝いている。緑の森が眩いほどの光に包まれていた。


「綺麗ですね…!」

「…ああ」


 エリシアを木に寄り掛からせると、その隣でデリックは初めて、本当に僅かだが微笑みを見せた。



「殿下が笑った……!」

「…なんだよ」

「殿下が笑ったところ、初めて見ました!

笑顔の方が素敵ですよ!」



 今になって分かった。

 残酷で無慈悲なところがあるデリックだけど、笑顔の破壊力は凄まじい!


 みんなはこれが良くてデリックルートに行ってたのか……。



「…殿下」

「何だ」

「助けてくださってありがとうございます」

「それはさっきも聞いた」

「でも…本当に、怖かったので」


 先ほどの光景を思い出し、エリシアはデリックに頭を寄り掛からせた。

 また突き飛ばされるかと思ったが、それはされなかった。



「…だから魔物を消すかと聞いたんだ」

「それはやめて下さい」

「…エリシアのためを思って言ったんだ」

「デリック王子殿下」


 名前を呼ばれたデリックの肩が揺れる。

 見上げるとデリックの瞳まで困惑するように揺れていた。


「殿下のために申し上げております。

誰かを“殺す”なんて、簡単に言わないでください」

「あ………。…すまない」


 まさか謝られるとは思わなかったエリシアは一瞬思考が止まった。


 どうやら本当に反省しているようで、耳がついていたら垂れ下がっていただろう。


 

「……殿下」

「なん───」


 何だ、と言いかけたデリックは、エリシアに抱きしめられて言葉を失った。



 自分よりもまだ体の小さいデリック。


 十歳でこれほどの闇を抱えているのだから、このまま拗れて成長したら、きっと他人の痛みも分からないまま社会に放り出されるのだろう。



 でも…。


「…きっといつか、救われる日が来ますから」



 私は知っている。



 デリックが王立学院に入学し、ヒロインと出会う未来を。

 他の攻略対象者ルートだとデリックは最終的にはヒロインと結ばれないけれど、ヒロインと出会い、優しさを学んだデリックは、他の攻略対象者たちと親しくなって成長していた。


 だから大丈夫。



「…エリシア?」



 離れるのは辛い。


 忘れられるのは寂しい。



 けれど、デリックが幸せになれるのなら。



 エリシアはデリックの額に口付けた。

 首まで真っ赤になったデリックはエリシアを突き飛ばしかけて思い直し、華奢な肩を掴んだ。


「……なんだよ……」

「へへ、もう帰りますね。送ってください」


 小っ恥ずかしくなったエリシアもまた頬を赤くして、別れを告げた。




♢♢♢



 ガタガタと揺れる馬車の中で、エリシアは先ほどのことを思い出して熱くなった頬を両手で包んだ。


 未だにデリックの熱い体温を覚えている。心配そうに見つめてくる瞳も、少しだけ微笑んだ表情も。

 きっと、この先忘れることはない。


 だけどもう二度と会うこともないだろうから、いい思い出としてしまっておきたい…。



 森を抜けるまであと少しのところだった。馬車は道の半ばで止まった。


 空は薄暗く、人気のないこの一本道は、暗殺に適した場所のように思えた。



 まさか。


 まだ森も抜けてないのに…!



 乱暴に扉が開かれ、騎士が中を確認する。


「令嬢だけです」

「そうか。──処理しろ」



 処理、という言葉に反応したエリシアは先に動いた。

 剣に手を掛けた騎士にエリシアが頭突きをすると、騎士は「うわっ」と地面に転がり落ちる。


「…貴様!」



 別の騎士が威嚇するように馬車を乱暴に蹴り飛ばした途端、ピクリと震えた馬が前足を上げて暴れ出した。


「おい、落ち着け!」


 もう一頭の馬まで落ち着きを失うと、道を踏み外した馬に引き摺られて、馬車が宙に投げ飛ばされた。



 エリシアを乗せた馬車は崖の下に真っ逆さまに落ちていく。



「っきゃあ…!」


 体が宙に浮き、次の瞬間ものすごい衝撃が体を打ち付けた。



 




 バッシャーン!と激しい音を立てて高く水飛沫が上がった。

 崖の下の急流でバラバラになった馬車と馬が奔流に呑み込まれていく。


「この高さじゃもうダメだ…。死んだな」

「一応遺体を確認するか」

「下流で待ち伏せだ!追いかけろ!」


 騎士らは再び馬に跨り下流へと急いだ。


エリシアもデリックも、ついには決断できませんでした…。


次からはデリック目線になります!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ