7-4
ギルバートが予約した店は首都でも指折りの名店だった。支配人はデリックを見るなり魔塔の後継者の来店に喜び、特別に個室で食べられることになった。
「デリックってどこにいても目立つのね」
「紫の髪は魔力の高い証だからね。バルティーナでは皆知っていることだよ」
バルティーナは人の髪色も様々だった。元来魔力保有者は暮らしやすいバルティーナに集まり、多民族魔法国家みたいなところがあるからだろう。
「でも他では見かけないですね」
「それほど希少な存在という事です。以前の魔塔主候補者だった方に一人いらっしゃったそうですが」
「その方はどうなさったのですか?」
「今はもう、亡くなられたそうです」
食事の席なのに、不味いことを聞いてしまった…。
「それほど、デリックは特別なのですよ」
気を遣ってくれたのか、ターナーはエリシアに微笑むとそう締めくくった。
デザートの前にエリシアはお手洗いに立った。人気のない廊下を進み、お手洗いの扉を開けようとしたが、先に扉が開く。
「っ……!」
「…あんた…!」
一驚したエリシアを、翡翠の瞳で睨み付けてきたのは、ドレスコードをしたアリスだった。編み込みを入れてハーフアップにした髪は普段より大人っぽい印象を見せていた。腰のリボンや襟元に赤い宝石を散りばめた装飾の白いドレスは同じように赤いネックレスとイヤリングと均衡が取れていた。
よりによって何でこんなところで会うの……。
目を三角にしたアリスは「ふんっ!」と居丈高になってエリシアの横を過ぎ去る。
「っ待って」
立ち去ろうとするアリスを、エリシアは引き留めていた。
「…アリスさん、デリックのことが好きなんですか?」
「はあ?まさか。何で私が?」
デリックじゃない。
ってことは…。
「じゃあベンジャミン殿下が好きなんですか?」
面食らったように瞳を揺らすアリスは目を伏せると何も答えなかった。
…そういうことか。
「何でそんなことあんたに言われなきゃなんないの」
ずっと気になっていた。
どうしてあれほど私を執拗に標的にしていたのか。
「私も好きですよ」
「っ!!」
鎌をかけるとアリスは今度こそ激情に駆られ、今にもエリシアに手を掛ける勢いで睨み付けてきた。
「大して一緒に過ごしたこともないくせに!どうせ見た目なんでしょ?」
「違います」
「あんたがあの人の何を知ってるって言うの!!」
ゲームの中で主人公はとても気弱で内気な性格という設定だった。
元は平民という身分で街を歩くだけで貴族たちに侮辱されていた過去があるから。
だから王立学院で他の女子生徒たちに虐げられても、自分では言い返せなかった。
けれどこの主人公は、かなり威勢が良い。
「……話があるの。外へ行かない?」
「嫌よ。何であんたなんかと…」
エリシアの肩にドンとぶつかるとアリスは今度こそ立ち去ろうとする。
「──留学するシナリオなんてなかったから焦ってるの?」
勢いよく振り向いたアリスは目を剥いた。
「まさか…あんたも転生者なの………?」
もしかしたら、と考えたことがあった。
彼女も私と同じで、この世に転生した一人なのではないかと。
♢♢♢
外は風が冷んやりしていて、お酒で火照った肌には心地良かった。料亭の裏庭には誰の影もなかった。
「何が目的なの」
決してエリシアの前には立たないアリスは警戒した様子で少し離れたところからこちらを窺っていた。
「シナリオを変えてまで、ベンジャミン様が欲しかったわけ!?」
こうも直球だとかえって話しやすい。
「あれは嘘」
「はあ?」
「そう言えば貴女が着いてくると思ったから」
困惑した様子のアリスはそれでもエリシアの言葉を待っていた。
「ずっと考えてたの。私に罪を被せて、貴女が得られるものは何なのか」
初めはベンジャミン殿下を傷付けたことで目を付けられたんだと思っていた。
『明日から気を付けた方が良いですよ。
エストランテの貴族は弱者を定めて執拗に相手を嬲る特性があるみたいですから』
エストランテは完全な貴族社会で、王立学院でも貴族令嬢令息は誰でも都合の良い人間を標的にしていた。
「罪を被せて蹴落とすのもまた一興。貴族社会で育った令嬢たちにとってはそうかもしれない。だけど貴女は違うでしょ」
アリスは強気な態度を崩さなかったが、揺れる瞳は動揺を隠しきれていなかった。
「平民上がりの男爵令嬢。身分を気にして気弱になっているはずが、令嬢たちと一緒になって私の身分を嘲笑ったり、単独でバケツの水を被せようとしてきたり…」
あれらは全てゲームの中で貴族令嬢たちに主人公が受けた仕打ちだ。
それを思い付くのは同じゲームのプレイヤーなのではないかと考えたら、どんどん話の辻褄が合っていった。
「本来の性格とはかけ離れていたし、貴女は他の令嬢たち以上に私を憎んでる気がした。それで思ったの。
貴女も本来の主人公ではなく私のように転生してシナリオを知っているから、攻略対象者に近付く私という異分子を舞台から退場させようとしてるんじゃないかって」
アリスは諦めたように嘆息した。
「その通りよ。
で?あんたは何なの?」
「…何なのって?」
「勝手にシナリオを変えたり、ゲーム開始前からデリックの恋人だったり。何が目的なの?
そもそもあんたは誰なの」
少しは落ち着きを取り戻したようで、尖っていた目が和らいでいる。
怒っていたアリスの熱気がなくなったからか、冬が近づいてるからか、涼しさを通り越して寒くなってきた。
「…それが、私にも分からなくて…」
「はあ?分からないってどういうことよ」
アリスは拍子抜けしたように組んでいた腕を下ろす。
「そもそも誰かのルートに入ろうなんて思ってなかったし、主人公も攻略対象者も魔法学園に来るしでこっちが混乱したんだけど」
「あんたが何かしたんじゃないの」
「ベンジャミン殿下や貴女とは入学式が初対面です」
「……デリックとは?」
「それは…話せば長くなる」
「いいから今話して」
…本当に主人公に話していいのかな。
まだ信用したわけじゃないし、私とデリックの過去を知る人物は限られてる。
いくら同じ転生者だからって全てをあけすけに話すのは……。
「きゃー!!」
その時、店内から女性の悲鳴が聞こえてきた。
ピキピキ…という音と共に店の壁が凍っていく。気付けば鳥肌が立つほどの寒さだった。
「何なの!?」
アリスが店内に戻っていく姿を追うと、どんどん寒気が強くなる。
皆が食事を取っていた大広間を、巨大な氷山のようなものが天井を突き破る勢いで取り囲んでいた。他の客は壁際で呆然としていて、従業員の誘導で避難をさせられていた。
「何これ…!」
先ほどとの変わりようにアリスも言葉を失っていた。
しかしエリシアには、まさかという疑念がよぎっていた。
「エリシアちゃん!」
目を吊り上げたギルバートとターナーが怒声を上げた。
「何で他の人を好きなんて言ったんだ!!」
エリシアは一瞬ポカンとしてから、アリスとの会話を思い出す。
「えっ、聞いてたんですか…」
「魔法で筒抜けですよ。それより、どういうことですかあれは」
何その設定。
聴覚まで強化できるなんて知らないんだけど…。
「嘘ですよあれは」
「「嘘!?」」
珍しくギルバートとターナーの声が被った。
「アリスさんと和解するためにちゃんと話がしたかったんです。だけど話す気がなさそうだったので。
エストランテの王太子殿下を好きだと言ったらエストランテ国民としては見逃せないじゃないですか」
本当はアリスさんがベンジャミン殿下を好きだと気付いたからだったけど、それは黙っておこう…。
ギルバートとターナーは呆れたように顔を見合わせた。
「だとしてもデリックにそんな残酷な事を聞かせるなんて」
「血も涙もありませんね」
「私が直接言ったわけじゃなくて盗み聞きしてたんですよね……?」
相変わらず二人はデリックの味方のようだ。
「っベンジャミン様!!」
アリスの泣き叫ぶ声が耳をつんざく。
氷の中央には長テーブルがあり、そこを囲むように座っていたベンジャミンや王立学院の生徒たちが氷漬けにされていた。
「ちょっと!何とかしてよ!」
「何とかって言われても…」
もしかしなくもない。
こんな事があったのに、デリックが出てこなくて、ギルバートさんたちからあんな事を言われるということは……。
「デリックを止められるのはエリシアちゃんしかいない!」
ああ、やっぱり……。
エリシアは額に手を当てて項垂れた。
「でもどこにデリックが…」
一歩前に出るとサァーッと氷が解けていく。
エリシアたちは目を見張った。
一歩、一歩と進む度まるで道案内をするように氷が解け、他の者を受け付けないように背後に氷が聳え立った。水蒸気が発生して辺りは見えなかったが、やがて一つの椅子に辿り着く。
「…デリック」
肘置きに両腕を置いて力なく肩を落としたデリックは、人形のようだった。
「氷を溶かして。皆死んじゃうよ…」
「…いい」
「え…」
気力のない声はとても静かだった。
「もうそんな約束忘れた」
まるで全てを投げ出してしまったかのように。
「…あいつが好きなんだろ」
「違う」
「…殺してやる」
小さな呟きだった。
どこからか氷が弾けるように割れたと思うと、解放されたベンジャミンの首にツタが伸びてくる
「うゔっ…」
首を絞められたベンジャミンが眉根を寄せ、苦痛に顔を歪めながら声を漏らした。
待って待って待って……!!
「嘘だったの…!」
「っあいつだけは絶対に殺してやる…!」
何でこうなるの…!?
「デリック聞いて!本当に違うの!」
近づこうとすると地面から突き出てきた氷の壁が二人の間に立ち塞がる。
「もう何も聞きたくない」
「デリック!」
手に触れると反射的に引いてしまうほど、本物の氷のように冷たかった。
「ベンジャミン様あ!!」
アリスの声が聞こえて振り返るとベンジャミンが意識を失ったように項垂れていた。
……嘘……。
「デリックお願い!もうやめて!!」
氷の隙間から顔を出して声を張る。
僅かに反応を見せたデリックは、拳を固く握っていた。その手に血が滲んで見える。
「……そこまでしてあいつを守りたいのか」
「違うよ…」
「そんなにあいつが好きなのかよ!」
怒号を放ったデリックに負けないほどの声量でエリシアは即座に否定した。
「違う!」
取り乱したデリックはようやくエリシアを見上げたが、その瞳がぐらぐらと揺れていた。
「……じゃあ誰が好きなんだよ」
意地になったような、拗ねてしまったような物言いに、エリシアも張り合うようになってしまう。
「……分かるでしょ…。あんなに毎日部屋に連れて来られて。嫌だったら行かないよ…」
自分でも何でなのかは分かってた。
だけどそれを口にするには、とてつもない勇気が必要で。
どんな結果になったとしても、今と同じ関係ではいられなくなる。
私はそれが、怖かった。
新しい関係に進むことも、期待して落とされてまた一人残されることも。
両親を失い、デリックとも離れ離れになって、今日まで自分を奮い立たせてきた。
ようやく仕事も生活基盤も安定してきたのに、今の安泰が壊されてしまうかもしれないと思うと、先へ進むことなんて………。
氷壁が解けるように崩れると、エリシアは風でふわりと浮かび上がる。そしてそのままデリックの足の上に乗せられた。
「っ〜〜〜〜〜!!」
声にならない声を上げて、エリシアは首まで真っ赤になっていた。
逃げようにも腰と背中に腕が回り、まるでエリシアがデリックに跨っているような体勢になっていた。
いつもは見上げないと見えないデリックの顔が、目の前にある。
精悍な目付きにびくりと震えたエリシアはさっと顔を逸らしたが、太い首の喉仏が映りまた目を逸らす。
今度は腕捲りをして血管の浮かんだ太い腕が目に入り、自分のものではないように心臓が高鳴っていた。
デリックの高い鼻がエリシアの鼻に当たる。薄く形の良い唇がゆっくりと開いた。
「俺を見ろ」
熱い吐息が唇に掛かり、緊張のあまり唇を結んだ。
長い指が二の腕をなぞるように掠め、腰を撫でられると、体は魚のようにびくびくと震えた。
だけど、氷の張った真冬のような空間で、触れ合っているところだけは温かくて。
だからに違いない。
もっと触れてほしいと思ってしまうなんて。
恐る恐る、エリシアは顔を上げた。
デリックの黄金色の瞳は火傷をしそうなほどの熱を孕んでいた。
まるで世界にただ一人、エリシアしか見えていないとでも言うように。
「俺はエリシアが好きだ」
震える吐息を漏らし、エリシアはこれでもかというほど目を見開く。
「…っえ、う、…あ…」
気が動転したようにしどろもどろになると、茹でダコのように顔から蒸気が上がっていた。
今までも素直な態度からその気持ちは伝わっていた。
けれどこんなに直球に言われると、くすぐったさと、恥ずかしさと共に、嬉しさが込み上げた。
いろんな気持ちが混じり合ってデリックの顔を真っ直ぐに見られない。心臓は既に爆発しそうだった。
「…エリシアは?」
「へっ…!」
思わず素っ頓狂な声が出た。
目を逸らすとそれさえも許さないと言うように頬に骨張った手が添えられ、黄金の瞳にエリシアだけが映り込んでいた。
「俺のこと、どう思ってんの」
再び唇に吐息が当たり、背筋に震えが走った。真っ直ぐに見つめる黄金の瞳は、誤魔化すことを許してはくれなさそうだった。
言わなきゃ。
今なら、言える気がする。
「わ、私、は…」
ちらりと見上げるとデリックは静かに耳を傾けていた。まるでいつまでも言葉を待つかのように。
開いたり閉じたりしていたエリシアの唇が、やがてゆっくりと動いた。
「私、も……デリックの、こと、…」
固く目を閉じてその言葉を絞り出す。
「す、好き…」
その瞬間、唇に柔らかなものが重なった。
目を開けるとデリックの整った顔があり、冷たく、柔らかな唇が、エリシアのそれと合わさっていた。
エリシアが思考停止しているうちに、離れた唇がもう一度合わさる。
遅れて気が付いてどうにか胸板を押して反抗してみたが、昼間のように頭の後ろに手を回されて押さえつけられ身動きが取れなかった。
薄らと開いていた瞼が落ちていく。
鳥のように啄まれると時折リップ音が聞こえた。
「っん、…あ…」
声が漏れたのが恥ずかしいのに、そんなことを考える暇もなく口付けが降ってくる。
上になっているのはエリシアなのに、その主導権を握っているのはデリックのようだった。
いつの間にか抵抗する気力も失せて、身を委ねるようにデリックの服を握り締めていた。
変更点も出て来たので再び人物紹介です。
◆エリシア・リンデン(王国ではヘンドリー姓)
21歳。
【肩書き】(王国では子爵令嬢)、魔法学園の教師、魔塔の後継者デリックの恋人(?)
【人物】パトリツィアの誘いで魔法学園の補助教員となり四年後の現在、正式な教師となる。学園内ではデリックの恋人として噂されているが、真相を聞ける者は少なくデリックに溺愛されていることしか分かっていない。
過去に魔物の襲撃に遭い両親を殺されたことから、魔物に対する恐怖心が人一倍強い。優しい両親の元で育ったためエリシア自身も心優しいが、それ故に両親とデリックを失ったショックで未だに心を痛めており、大切な人を作ることへの恐怖から人と一線を引く臆病な一面もある。
【好き】魔法、デリック




