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翌日。
「おはようございます、王子殿下」
その挨拶もいつも通り冷たくあしらわれると思っていた。
「……ああ」
しかしこちらを見ずとも初めて返された相槌に、不覚にも感動の涙を流しそうになった。
昨日まであんなに冷たかったのに、挨拶はできるようになった…!
「今日の食事は私が作りました」
「……お前が?」
「はい」
あんな毒入りの料理をあげるわけにもいかない。かといって同世代より小柄で顔色の悪いデリックには栄養が必要なのは確かだった。
探るような目つきのデリックにサンドイッチを出して見せると、ジロジロと不躾なほど見つめてきた。
「毒は入っていませんよ」
「はっ、どうかな」
そう言いながらも、エリシアがランチの準備をするとデリックは離れずにそばに腰掛けていた。
サンドイッチの一つを手に取ったエリシアは目の前で食べて見せる。
「うん、美味しい」
「自分で言うかよ」
この皮肉やろう……。
「殿下もいかがですか?」
「いらない」
「私一人じゃ食べきれなくて」
「…それっぽっちも食べきれないのか」
なんかまた馬鹿にされてる気がする…。
「だからそんなに細いんだ。もっと食え」
うん?
…これって、心配されてる…?
「殿下は私より細いですよ。今が成長期なんですから、たくさん食べないと」
試しに一つを差し出すと、躊躇った末にデリックはサンドイッチを手に取った。
あれ、案外素直。
そして小さく口にすると、もう一口、さらに一口と次々に頬張る。
「そんなに一気に食べると喉に詰まりますよ…」
エリシアが差し出した水を一気に飲み干すと、大して噛んでもなさそうなサンドイッチをごくんと飲み込み、こちらに寄ってきてもう一つ食べ始めた。
「…美味しいですか?」
問いかけにも答えないデリックは、次々とサンドイッチを頬張る。リスみたいなその姿を見つめながら、エリシアは自然と微笑んでいた。
…お腹空いてたんじゃない。
何個か払われたり潰されたりしてダメにされるかと思って、多めに作ってきてたからちょうど良かった。
他のものも全て綺麗に平らげたデリックは、食後の紅茶も苦いと言いつつ飲み干した。
今までは近くに寄ることすら出来なかったから気付かなかったけど、デリックの目の下には何重にも濃くなったクマがあった。
いつも気が立っていたのは、眠れていないせいもあるのかも…。
「…何だ」
ジロジロ見ているのが不快だったようで、デリックは眉を寄せた。
「あっ……。……殿下って、お風呂どうされてるのかなって。臭いとかもしないですし…」
「……魔法でお湯を被れるし、近くに湖もある」
「なるほど…」
光を浴びた紫色の髪は肩でバッサリと切られていて、酷く傷んでいた。
けれど悪臭が漂うなんてことはなく、服も以前置いていったものに着替えているからどことなく清潔感もある。
「今日の……」
「…はい」
デリックの言葉を待っていても、なかなか返事がこない。
ちらりと隣を見やると、ふいと顔を逸らしたデリックがようやく口を開いた。
「………また、作ってきてくれ」
それがサンドイッチのことだと知ったエリシアは、「もちろんですっ」と意気込んだ。
ぶっきらぼうな優しさも、ありかもしれない…、なんて思いながら。
それから、エリシアがサンドイッチを用意し、二人で昼食を取るのが日課になった。
紅茶はカモミールティーやジャスミンティーなど、鎮静や安眠効果を期待して持ち寄った。
そのお陰なのか、デリックはエリシアを睨んだり暴言を吐くことはなくなり、次第に二人でいることが当たり前のようになっていった。
「…気持ちいい……」
芝生に寝転がったエリシアは、温かな日差しを浴びて駆け抜ける風を感じながら、うとうとしていた。
その横には、既に眠りについたデリックがいる。
今日は、初めて寝顔を見ることができた。
今まで一度だって眠りについた姿を見せたことはなかったのに。
まだ子どものあどけなさが残る寝顔には、デリック相手といえど微笑んでしまった。
柔らかそうな頬をつついてみたくもなるが、きっとデリックは目覚めてしまうのだろうと、エリシアは動かないことを決めた。
それにしてもお腹いっぱいで、風も気持ちよくて、眠い…………。
そのまま、エリシアも眠りについていた。
デリックのそばは家にいるよりも落ち着いた。
だからなのだろう。
帰る道のりは憂鬱で、行きは遠足のようにわくわくしていた。
「殿下とは親しくなれたの?」
時折ヘンドリー子爵夫妻と食事を摂ることもあったが、決まってデリックとの進捗を聞かれた。
「はい」
「大役をいただいたのだ。しっかり務めは果たすように」
「…はい」
務め。
私がデリックの元へ行った理由。
それは、デリックを暗殺するため。
「おはよう」
今では自ら挨拶をして来るようになったデリックに、エリシアは自然と笑顔を返すようになった。
「おはようございます、殿下」
でも、転生前に戦争のない平和な世を生きていた私にとって、そんな簡単に人を殺したりはできない。
私を守って亡くなった両親にも顔向けできない。
「どうしたら良いんだろ…」
「何がだ」
デリックに顔を覗き込まれ、エリシアは狼狽えてしまった。
口に出てた…。
「あ、あの、いえ、何でもありません。
りんごでも取ってきますね」
「………」
逃げるように立ち去るエリシアを、デリックは訝ってじっと見つめた。
「はあ……」
深い溜息を吐いても、心が軽くなるわけでもない。
そもそもゲームの舞台である王立学院入学までデリックが生きているということは、そういうこと。
私や国王がどうこうしたところで、デリックは死なない。
しかしそんなことを言って宰相たちを説得するわけにもいかない。頭の可笑しい奴として牢獄行きだ。
……もういっそのこと、デリックとここで暮らそうか?
少なくとも今は優しくしてくれるし、あの日以来魔物とも遭遇しない。
湖で体を洗い、木になるリンゴを食べれば、暮らしていけなくもない。
「…あれ、ここ…どこだっけ……」
考え事をしていたせいで、どうやら深いところまで来てしまったらしい。そこは森に慣れてきたエリシアでも見慣れない風景だった。
そういえばここまで歩き続けていたせいか、足も痛い。木に寄りかかるように腰掛けると、不思議と睡魔が襲ってきた。
眠りに落ちる最後の瞬間、鋭い歯を持つ大きな植物が目の前にいた。
♢♢♢
目が覚めると、いつもの草原だった。
隣には同じように寝転がったデリックが何とも言えない表情でこちらを見つめていた。
「あれ……私なんでここに…」
「……森で寝てたから連れてきたんだ」
そういえば、途中で寝てしまったような…。
「危ないから遠くへ行くな。魔物に食われるぞ」
「…そうですね……」
その返事が気に食わなかったのかデリックは黄金の瞳でエリシアを見つめたまま、更に何かを言いたげだったが、エリシアが先に口を開いた。
「眠る直前、魔物のような何かを見た気がしたのですが、夢だったようですね」
「………」
時折、あの日の悪夢を見ることがあるから、それだったのかな…。
「……私の両親は、魔物に殺されたんです。
両親に守られて、こうして私は生きていますが…」
「…じゃあ、家がないのか?」
デリックは意外そうに目を見開いた。
「親戚に引き取っていただいて、今はそちらに」
「ああ…」
「…だから魔物がすごく怖くて。今でも夢に見るんです」
「……消してやろうか?」
「え?」
聞き間違いかと思った。
しかしデリックの目は至って本気だった。
「魔物。全部殺してやろうか?」
全身にゾクッと悪寒が走った。まだ日が差しているのに、まるで冷たい暗闇の中に取り残されたかのようだった。
どうしてそんなことが言えるのか。
“消す”や“殺す”だなんて、いとも簡単に…。
私は、こんなにも迷っているのに。
お父さんもお母さんも、簡単に殺されてしまったのに。
「…嘘、ですよね?」
「いや」
「………」
エリシアの顔がみるみる青白く染まっていき、デリックはエリシアの肩を叩いた。
「……大丈夫か?」
「っ!?」
エリシアの肩がビクリと跳ねる。
「大丈夫です…」
エリシアはもうデリックと目を合わせることもなかった。
そっと払われた手を見つめたデリックは息を呑み、震える手を握り締めた。
「……今日はもう帰ります」
一度も魔法を見せられたことはなかった。
だから忘れていた。
目の前の少年は、一国が見捨てるほどの膨大な魔力を持っている。
そんなデリックにとって、私たちは、喚く米粒に過ぎないんだろう。
デリックに悪気はないんですけどね。
何も教わらず人と関わらなかったためにちょっと歪んでます。(ちょっと?)




